2-1 村娘の初任務
私が逆行をしたと分かり、クラリス様を救ってみせると決めた時から、紅騎士団に入ることは必須条件になっていた。
一般庶民の私が王女であるクラリス様の側に近付くには、それしか手段がないからだ。
しかし問題は、騎士学校や剣術師範の名家で武術を学んできた人たちに、私がいくら自力で鍛錬したところで勝てるのかということだった。
そもそも、うちの村に剣とかないしなあ。動物を狩るための槍とかならまだしも、騎士が持つサーベルなんか、たとえ手に入れたとしても教えてくれる先生もおらず、圧倒的に不利だ。
そんなことを悩みながら、えいっ、えいっと木を切り倒し、ぽやぽやとした父に「ルイーゼは飲み込みが早いなあ〜」と言われた時に、天啓が降りてきた。
これだ!
私、木こりの仕事でなら勝てる!
そういう訳で、村を囲む広大な森林にて、私は毎日斧を振り回した。うちの村はえぐいほど田舎だったため、未開拓の森はそこら中に広がっていた。
切り倒す木の幹もだんだん太くなっていって、大人が五人手を繋いでも囲めないくらいの大木を一人で切れるようになった。
ついでに森のクマさん(気分屋さんでとっても凶暴☆)やオオカミさん(好きな食べ物はヤギと人間☆)を倒したりしているうちに、斧を戦闘で使う時のコツみたいなものを自分で習得していった。
名付けて、ルイーゼ流・木こり戦法!
……ネーミングセンスがないのは両親譲りだ。
また、鍛冶屋のおじいちゃんが戦斧について教えてくれたことも助けになった。
「戦うのが騎士様の専売特許になってからは、もう数百年あまり実例は聞かないがのう。今のこの国の政治基盤ができるまで、国内が荒れていた時期も長かったから、必要に迫られて村人が戦ったことがあったらしい。その点、斧や鎌やクワは、生活に密着していたから、武器に転用しやすかったようじゃ。どれ、伝え聞いた戦斧の作り方を試してみようかの」
「えっ、戦闘用の斧を作れるの!」
「ああ、作れるとも。この爺に任せなさい。どれ、そこのカナヅチを取っておくれ」
「じいちゃん、それはピッケルだよ」
ちょっと老眼が心配な、腰の曲がったおじいちゃんだけど、鍛冶屋としての腕は確かな人だ。私のために、しなやかで重みのある戦斧を作ってもらった。広い刃には返しがついていてなかなか攻撃的。加えて、持ち手が短く投げることもできる手斧もおまけでくれた。
ありがとう、じいちゃん。王都に行ったら、よく見える老眼鏡を買ってくるから。
そんな風に、明らかに木こりの範疇を超える私の仕事ぶりを見ていて、家族は少なからず心配したらしい。
クマさんとの戦闘から生還した後、私の作業着にできた穴をちくちくと縫ってくれていたマイクが、訝しげに聞いてきた。
「お姉ちゃんさ、昔から疑問なんだけど、いったい何を目指しているの? 木こりだよね?」
「そりゃ、もちろん。私はこの世で最も強い木こりになるよ」
「なってどうするってのよ、もう。あーあ、お姉ちゃんもたまには姉らしく、王都に行って、弟妹のためにお土産の綺麗な布とか買ってきてくれないかしら!」
私のお古を着ているベティが、口をとんがらせて言った。マイクとベティは順調に優秀な針子街道を歩んでいる。チャーリーはまだ可愛い子供で、友だちと一緒に竹とんぼを飛ばして遊んでいる。
あなたたちの夢と、この光景を守るために、私は世界一強い木こりになるんだよ。
そんなことはもちろん言わないで、私は苦笑いをすると、また森へ修行をしに出ていった。
騎士になりたいのだと明かしたのは、入団試験の本当に直前の時だった。
初めて家族会議が行われた。
家族会議どころか、村中の人たちがやってきて集落会議になった。
「思いつきで言っているんじゃないんだね」
「めったに故郷に戻れなくなるわよ」
「死ぬかもしれない仕事だぞ。それでも行くのか」
みんなは優しかった。止めようとする人は心配から、応援してくれる人は私への信頼から、それぞれ助言してくれた。
「ありがとう。それでも、私、行きたいの」
私が重い戦斧をくるくると頭上で回して見せると、鍛冶屋のおじいちゃんは目を細め、みんなは黙り込んだ。
権能もない、学識もない、斧が使えるだけの村娘の門出を、村はせいいっぱい祝ってくれた。
「ルイーゼ、本当にこの名前が王宮で呼ばれることになるのかもなあ」と父は笑ったが、その後で母と二人、寂しそうにお酒を酌み交わしていた。マイクは呆れ、ベティは怒り、それでもチャーリーの手を引いて見送りに来てくれた。私は馬の上から手を振って、愛する故郷を後にした。
そして、王都の高い城壁の向こう側に着いた時、ほんの少しだけ、運命の歯車にヒビが入る音がしたような気がしたのだ。
*****
宿舎の長い廊下の一番隅に、私に与えられた部屋があった。
騎士の基本は質素と倹約。狭い部屋に置けるものは少なく、クローゼットとベッド、物書き机を入れた時点でかなりいっぱいだ。私はそんな自室に帰ると、斧を壁に立て掛けた。するどい刃がきらりとロウソクの光を反射する。日は落ちていた。
私はその斧……相棒を撫でて、日記をつけようと机に向かう。
「今日はクラリス様と手合わせをしました。ちっとも敵いませんでしたが、この間より重心のかけ方が上手くなってると褒めてもらえました……ふふっ、嬉しいな」
あれっ。私は何を書いているんだ。
違うちがう、この記録はただの日記じゃないんだから。
頭をぶんぶん振って、疲れでちょっとおかしくなっているらしい脳に喝を入れる。そして、記しておくべきことを整理しながら、手帳に書きつけていく。
「えっと、まずはクラリス様を囲む環境について。クラリス様は、現女王の一人娘で、十八歳。父である王配は既に死去している。王宮育ちだが、昔からたびたび勝手に抜け出して、気ままに街を走っていた模様。なおそれは、王都の人々には完璧にバレている……」
そりゃ、明らかに育ちが良すぎる銀目の美少女が街に現れたら、誰だって怪しむに決まっている。それでも親切な街の人は知らんぷりをしてくれるのだが、唯一、追いかけてきたマチルダ・スティアートさんだけには情報を教えてあげるみたいだ。
「マチルダ副団長は、クラリス様の一つ年上で十九歳。立場上は、女王様から派遣されたクラリス様付きの世話係。クラリス様の騎士団入りに合わせて一緒に騎士になった。守護はオリオン座、権能は『狩人の腕』。弓と銃は百発百中、狩猟全般が得意」
私はここでペンをいったん止める。
と、いうのも、現時点で紅騎士団の人たちをどんな風に考えればいいのか分からないからだ。
私はクラリス様が処刑された時、王都がどんなことになっていたのか詳しく知らない。紅騎士団の解散はクラリス様が罪に問われた時期と前後するが、果たして紅騎士団の人たちは、クラリス様の味方となるのか、敵となるのか。
味方だとしたら、紅騎士団もクラリス様と一緒に潰されてしまう未来が待っている。そして徴兵制が敷かれたこの国は、恐ろしい戦争へと突き進んでいってしまうのだ。それを防ぐためにも、私は騎士団を助けたい。
でももし、クラリス様の死に、紅騎士団の裏切りが関わっているとしたら。見過ごせない可能性だ。クラリス様の戦闘的な強さを知っていくほど、あっさり殺されてしまったことが不思議に思えてくる。しかし、最も身近な存在である紅騎士団だったら、クラリス様を騙して陥れることも容易なんじゃないか。
うーん、私が疑り深いだけならいいけど。あの悲惨な未来を思うと、なんとなく一歩引いてしまう。先輩たちとは打ち解けたいと思うんだけど……まあ、それ以前に、私の方があまりみんなに受け入れられていないみたいだしね。
やっぱり斧のせいかしら。私はうなった。私の武器が「本当に使えるんだろうな」などと訝しげに見られているのは悔しいことだ。どうにかして見返してやりたいけど、今のところ新人に活躍の場はない。おとなしく任務の依頼が来るのを待つだけだ。
クラリス様が国のあちこちへ騎士団を連れて行くせいで時々忘れるけれど、私たちは王都を守る騎士なので、初めての任務は街のための仕事と決まっている。それは、国の色々な所から集められた新人騎士たちが、王都に馴染めるようにという配慮でもあるけれど、基本的にこの街は平和だからな。
窓の外はすっかり暗くなっていた。私は、ロウソクの火を消して、明日に備えてよく眠ることにする。
きっと明日も過酷な訓練なのだろう。ああ、早く任務に出たい。
次の日、マチルダさんに呼ばれて訓練場に並んだ私たち新人は、そろそろこの日々が一ヶ月を過ぎそうなことにどんよりとした表情をしていた。
そんな私たちを見てマチルダさんは「しけた顔してんなあ」と眉をひそめたので、怒られるのかと慌てて背筋を伸ばしたが、マチルダさんは手を振って、
「楽にしろ。今日は訓練じゃない。お前たちにもそろそろ、給料分の仕事はしてもらわにゃならんからな」
私たちは一瞬、ぽかんとした。そして、マチルダさんの言わんとしていることが分かるとともに、嬉しさが込み上げてきて「うおおおーっ!」と一斉に叫んだ。
やった! 任務だ! 初仕事だ!
私たちの喜びようを、この一ヶ月訓練を担当してきたマチルダさんは微妙な顔つきで眺めていた。そんな彼女の背後に、どこからか現れたクラリス様がふっと降り立った。
「おっ! 威勢がいいじゃないか、新人諸君! マチルダの指導のおかげだな」
「姫さん、それは嫌味? それとも本気?」
「何が嫌味なんだ? 私は純粋に称賛のつもりで言っている」
気の抜ける会話をしてから、クラリス様は私たちの方を向いて「さて」と切り出した。
「記念すべき初任務として諸君に依頼するのは、他でもない。騎士とはそもそも、ある保護対象を外敵から守る仕事だ。それは女王陛下然り、王都然り。そして今回君たちに守ってほしいものとは……」
クラリス様はそこでにっこり笑った。
「羊だ」
「ひつじ?」
私たちは目を丸くした。
羊? 白くてもこもこで、夜眠れない時に一匹二匹と数える羊? 田舎の方に行くと、地域によっては住民よりも数が多いという、あの羊?
「そう、その羊だ。かわいいぞ。南の高原育ちで、好奇心旺盛な元気っ子たちだ。このたび、はるばる王都までやって来てな、これが本当にかわいい」
冗談なのか天然なのか、そうして羊のかわいさを力説するクラリス様に、私たちはどっと脱力した。
初の仕事が羊の護衛……。
そんな仕事しか任されない自分に情けない気持ちになる人たちが大半な中で、「待ってください!」と抗議の声があげる者がいる。
見ると、プラチナブロンドの髪に優しい顔立ちをした同期の一人だったが、その目には隠しきれないプライドが滲み出ている。
「いくら我々が新人だからといって、羊飼いの真似事をさせられるだなんて侮辱です! ボクはそんな仕事をするために騎士になったんじゃない!」
「じゃあどんな仕事をするためだ」
マチルダさんが氷点下を記録するほどの冷めた声で問い返した。それに怯んだ同期は、それでもかなり根性があるらしく、憮然として答えた。
「国と国民を守り、騎士道精神にのっとって、勇敢に敵と戦い……」
「そうか。もういい、分かった。要はこの仕事、王都の有力な商会が手配した輸送貨物の護衛な訳だが、お前たち、舐めてかかっているな」
マチルダさんが厳しく指摘するのを聞いたクラリス様は、首を傾げて「そうかな? 新人諸君は理想が高いのだろう。それは歓迎すべきことだ」と前置きしてから、訓練場に入る門の所までふわりと飛んでいった。
「きっと君たちは、仕事の実感が湧いていないのだろう。ここに一匹、私が連れてきた例の羊がいる。少し遊んでみなさい」
そう言って門を開け放った。と、同時に、バビュン! と猛スピードでこちらへ突進してきたそれに、みんなは飛び上がる。
えっ、なに、イノシシ? いや、よく見ればもこもことした毛があって、なにやら太陽光を反射して輝いている。
あれは、金色の毛の羊だ!
「それ、鬼ごっこだ! 捕まえろ!」
そんなこと言っても、私たちは羊の突進に巻き込まれないように逃げるだけで必死だ。しかも金色の毛の羊は足が異様に速いことで有名なのだ。慌てふためく私たちを見下ろして、クラリス様は言った。
「この羊が王都の城外で百匹、貨物車に乗って待っているぞ! 迎えに行ってあげなさい。ただし、お茶目な子が多いからな、街中で逃げだしてしまうかも知れない。随時捕まえて、街の人々に害のないように。しかし、この羊は商品だから、くれぐれも傷つけてはいけないよ!」
一匹でもこの有様なのに、そんなの無茶です!
私たちの声なき悲鳴にも気付かないで、クラリス様はうんうんと頷き「新人諸君がやる気いっぱいで私は嬉しいぞ!」と笑った。私は、隣で見ていたマチルダさんがぽつりとこう呟いていたのを聞いた。
「私よりも、姫さんの方がよほど厳しくて容赦がないと思うんだがなあ……」
……それは、事実かも知れない……。
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