第3話 農民のお仕事

都市にとって、農業は人の営みの根本で最も重要な仕事である。

 

故に農耕技術の発展は、国家の繁栄に繋がる重要な案件である事は間違いないだろう。

だが、その方向性を明確に示せる者はこれまで現れなかった。


例えば畑に撒く肥料にしてもそうだ。

アルマ王国では錬金術によって作られる薬を使う事が多い。

これは植物の成長を促す効果があり、比較的簡単に作ることができるからだ。

 

しかし、エルムでは昔ながらのやり方で肥料を土に混ぜ込む方法を取ってきたのだ。

そして、どちらの方法でも明確な差異はなく、労働人口の八割を農民として消費していた。


「確かに育ちがいいな」


3つの畑の成長具合を見比べて、ラウルは唸るように呟いた。

二ヶ月前、錬金術師と名乗る女達から渡された三種類の肥料。


その中の一つがハッキリと生育速度が早かった。

何度も検証する必要はあるだろうが、錬金術師の望む結果は得られているのではないかと、ラウルは推測していた。

 

「まあ、俺にはよくわからねーな」


彼は脳筋男爵と揶揄される程には、考える事が得意ではない。

だから、細かい理論を説明されても理解できる気がしなかった。


——私は馬鹿が好きだぞ


不意に脳裏に浮かんだ言葉に苦笑する。

 

ラウルはつい最近まで、市民であった。

市民とは国民街の更に外周に居を構える身分であり、代を重ね長年の奉公と当事者の能力により、国民へと抜擢される事を夢見ている。


だが、ラウルの頭はあまりよくなかった。

次の代は優秀であるようにと願いながら、クワを振っていたのだ。


そんなある日の事だった。


……

………


数年前。

市民街 外周耕作地。


ラウルは、今日もクワを振っていた。

怪力ラウルと呼ばれた彼は、収穫量の落ちてきた畑に肥料を撒き、それを土に混ぜ込んでいる。


広大な面積を他の者の何倍もの速さで耕しているのだ。


「まるで重機ですね」

「じゅうきとはなんだ?」


若い女性の声がしたので、手を止めて振り返る。

そこにいたのは、黒髪の少女と銀髪の女性であった。

 

ラウルは職業柄、二人の手先に目を引かれた。

二人の手先は綺麗で、農作業に従事していない事が一目瞭然だったのだ。

それ故に興味を持った。

 

「お嬢ちゃん達、何か用かい?」

「……お嬢ちゃん?」

 

ラウルの何気ない一言に、黒髪の少女が不満そうに反応する。

 

「くくく」

 

それを見て、銀髪の女性は声を殺して笑っていた。

 

「……うん?」

「いや、そなたの働きを見て、感心していたのだ」


女性の言葉にラウルは照れたように頭を掻く。

褒められて悪い気はしないものだ。

しかも相手は美人なのだ。

男としては嬉しいに決まっている。

 

ただ、気になる事があった。

彼女の言葉遣いは、まるで貴族のようであったのだ。

 

「あんた、貴族様か?なんでここに居るんだ?」

 

ラウルの問いに女性は首を振る。

 

「いや、違うぞ。街娘だ」

 

その言葉にラウルは眉を顰める。

服装こそ、見慣れた市民の服だが、溢れ出る気品が隠しきれていなかった。

 

「ああ、そうかい」

 

だが、ラウルは考えるのが得意ではない。

それに、貴族の子女がお忍びで農作業を見にきてるのだとしても、ラウルには関係がない事なのだ。


「泥を被りたくなかったら、もうちょっと離れてな」

 

そう言って、再び作業に戻るのだった。

そんなラウルの態度に気を悪くする事もなく、二人の姿は遠ざかっていく。

 

(変な奴らだな……)

 

そんな事を考えながら、目の前の仕事に没頭するのであった。


それから数日後、ラウルの視界にまた二人の姿が映る。

 

「もうこんなに耕したのですね」

 

黒髪の少女が感心した様子で呟くと、隣にいる女性が頷く。

そして、そのまま口を開いた。

 

「そなたは一日中、働いているそうだな」

 

どうやら怪力ラウルの噂話を、他の市民に聞き回っていたらしい。

 

「俺には、これしか取り柄がないんでね」

 

ラウルはそう自嘲気味に笑う。

 

実際、この生き方しかないと思っているのだ。

そして、そんな自分に満足している。

 

この生き方を変えるつもりもなかった。

その答えを聞いて、黒髪の少女は口を開く。

 

「また明日でいいやとか、ほどほどに手を抜いて終わらせるとか、それだけ作業が早いなら、やりようがあるじゃないですか」

 

その目は真剣そのものであった。

銀髪の女性は、呆れた表情を浮かべていた。

 

「そんな不真面目なやつは殴りつける」

 

ラウルは少女の言葉の意味が分からず、苦笑いを浮かべた。

頭の良くない自分が手を抜いたら、一体何が残ると言うのだ。

 

「そなたの価値観は特殊だと言う事を、自覚した方がいいぞ?」

 

銀髪の女性が諭すように告げる。

 

「そうみたいですね」

 

黒髪の少女は苦笑し、肩をすくめる。


そして、

「いい筋肉してますね」

「!?」

 

ラウルは突然の事に言葉を失った。

 

少女の姿が突然消えて、次の瞬間には自分の腕を触られていたのだ。

それも筋肉の付き方を確認するかのように、指でなぞりながらだ。

 

ラウルは混乱した。

何が起きているのか理解できなかったのだ。

 

「身体強化の魔法ですか、さすがハーフエルフですね」

 

少女は観察するようにラウルの身体を見る。

 

「お、おい」

(もしかして、ヤバいやつに絡まれてるのか?)

 

そんな考えが脳裏を過ぎながらも、なんとか言葉を絞り出す。


「ああ、驚かせてすみません」

 

少女は素直に謝罪の言葉を口にすると、後ろに控えている女性に視線を向ける。

すると、銀髪の女性はやれやれといった表情を浮かべた。

 

「ラウル殿、一つ質問をしてもいいか?」

 

その言葉を受けて、ラウルは頷いた。

市民と変わらぬ身なりの彼女に、有無を言わさぬ威厳を感じられたからだ。


「それだけ働いても、給金が変わるわけではないだろう?それなのに、なぜ、それだけ働くのだ?」


彼女が言うように土地を借りて収穫量の出来高で収入が変わる地主と違い、ラウルはただの農民であった。


契約金なので、多少色をつけて貰えるが、それでも他の農民と大きく変わるわけではない。


だが、ラウルの答えは決まっていた。


「俺は馬鹿なんでね、難しい事はわからねーよ」


商人として働ける頭もない。

ただ人より力と体力があるだけなのだ。

 

次の代は優秀であるようにと願いながら、真面目にクワを振るうのだ。


「そうであるか」

 

彼女は納得したような表情を浮かべると、黒髪の少女に向き直った。

そして、その耳元で何かを囁くと、その場から去っていく。

 

去り際に手をヒラヒラさせながら歩く姿はなんとも優雅であった。

 

(なんだったんだ……)

 

ラウルは呆然と立ち尽くしたまま、二人が立ち去る後ろ姿を見送ったのだった。


 

それから暫くして、ラウルはいつもの教会に訪れていた。


目的は当然、祈りの為である。

 

別に信心深いわけではないが、休日に通う習慣になっているのだ。

そして、教会の奥にある祭壇の前で膝をつき両手を合わせる。

 

所々腐った床がギシギシと軋む音だけが響く、静かな空間だった。

 

そんな中、不意に人の気配を感じて顔を上げる。

そこには黒を基調とした法衣に身を包んだ女性が立っていた。

 

「エリーゼか」

 

見知った顔にラウルは表情を和らげる。

同じ孤児院で育った幼馴染であり、教会のシスター見習いでもある彼女だったのだ。

 

「これ少ないが……」

「ラウル、いつもごめんね」

 

エリーゼの手に僅かな寄付金を握らせる。

 

「俺の頭が良かったら、もっと稼げるんだけどな」

「ううん、ラウルは頑張ってる!すっごく頑張ってるよ!?」

 

慌てて否定する姿に苦笑を浮かべると、ゆっくりと立ち上がった。

 

身長差のあるエリーゼは目線を合わせる為に、少し上を見上げる形になる。

エリーゼは自分よりもずっと大きい男性を見上げながら呟いた。

その顔はどこか不安げだ。

 

「ラウル、ちゃんと寝てる?」

「それなりにな」

 

即答するラウルにエリーゼは小さくため息を吐いた。

その様子を見て、ラウルは再び苦笑した。

昔から心配性なのだ、この娘は。

 

「それより、教会や孤児院の維持費は足りるのか?」

 

年季の入った木造の教会は手入れも行き届いていないようだ。

隙間風が入り込み、あちこちガタついているのがわかる。

孤児の数も多いので食事だけでも大変なはずだ。

 

「街のみんなが寄付してくれるから、なんとかかな」

 

エリーゼは微笑む。

だが、その表情には陰りがあった。

 

「俺がもっと稼げたらな……」

「大丈夫、フォルトナ神様はちゃんと見ててくれるよ」


それは何の根拠もない言葉だったかもしれない。

だが、不思議と心が軽くなるのを感じた。


それから数日後、ラウルは王宮へと呼び出された。


その最奥には、いつかの銀髪の女性の姿があった。


「私は馬鹿が好きだぞ」


頭が真っ白になっていた彼の耳には、女王陛下のその言葉だけがいつまでも残っていたという。


 

 

 

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