第44話 混乱波及
「そっちは無事かしら、ラン」
「はい、なんとか守り切りました」
「……あなたね」
漂う黒煙を手で扇ぎながら聞くリシェルに、食べていた食事の配膳を抱えたままランは答えた。食い意地が張った様子のパートナーに溜め息を吐きつつ、咄嗟に縦にした机の影から立ち上がる。
爆炎に包まれ炎と煙が満ちる館内では、すぐに防災装置が作動し、消火や空気の清浄が行われいた。途端に鮮明さを取り戻していく視界の中で、ゴホゴホと咳をしながら、ザイエフらも立ち上がった。
「ちゃんと生きてたようね。流石だわ」
「……そっちこそな。無傷じゃないか」
「これくらいわね」
複雑な心境が含まれた賛辞に肩を竦め、リシェルは周囲を見渡した。まだ完全には空気が清浄化されず、視界を遮る館内では、ところどころで人の呻き声が聞こえている。彼女はこの場の状態を確かめるように、ぐるりと視線を巡らせた。
自分の仲間の無事を一通り確認したザイエフが、彼らの身を起こす手伝いをしながら問いを口にする。
「聞いていいか。どうしてあいつが自爆するって分かった?」
「うーん、強いて言うならそういう体質って感じね。生まれつき、魔力の流れには人より敏感なの」
「……なるほどな」
曖昧な返答に、僅かに考え込む振りをした彼は、言葉の意味を察して納得の言葉を吐き出した。
「これは俺の中で秘めていた方が良さそうだな」
「言いふらしてもいいけど、そのときはあなたとは絶縁ね」
「ふっ、言わんよ」
二人が軽口を叩き合わせていると、施設内ではアナウンスが流れ始めた。並行して多くの自動ロボットと救助のための人員が投入されていく。
ここにいる意味もなくなったなと、リシェルはこの場から移動することを決める。
「じゃ、無駄話はこれくらいにして、お互いすることをしましょうか。いくわよラン」
「はい」
きっちりと完食し、床へ丁寧に食器を置いたランが、ザイエフの方へと向き直った。
「先ほどの発言を撤回します。申し訳ありませんでした」
そう一言謝罪して、リシェルの後ろを遅れることなく追随していった。ザイエフはその背中を、なんとも言えない心境で見送った。
彼女たちの姿が見えなくなったところで、彼の仲間の一人が気にかかったことを質問する。
「……彼女は、本当にアレなんでしょうか?」
「いや、なり損ないだろうな。本物なら都市が放置するわけない。堂々と協会内を闊歩などできないだろうよ」
問われた内容に、ザイエフは自身が導き出した憶測を述べた。実際、彼は自分の予想は間違っていないことを確信していた。
先の質問を発したのとは別の者が、続けて違う疑問を投げかける。
「では本当にあの二人を誘うつもりだったんですか? あれ、どう考えてもフリーの人間じゃないですよ」
「だろうな」
「ならどうして誘うような真似を? 最悪チームが内部から崩壊していましたよ」
レベルの高い探索者チームほど、情報のやり取りや人員整理には厳格だ。一つの情報漏れが、チームのメンバー全員の生死に関わることもある。だからメンバーの勧誘には気を使うし、実力だけでなく人柄や素行でも判断する。
そんな中で特に注意されるのが、異性関係の事柄だ。どれだけ注意を払い己を律しようと、本能的な欲求を完全に防ぐことは難しい。娯楽というのは時に厳格な人物をも堕落させる。酒やギャンブルなど個人の嗜好の範囲ならまだしも、対人関係は人の意思が明確に悪意を孕み、現実的な脅威となり得る。
仮に彼女たちが他所の組織の人間であり、上位の人間に取り入り悪意を持ってチームを崩壊に導けば、防ぎきることは不可能かもしれない。そうでなくとも、魅力的な異性は嫉妬や不和の原因を生む。異性絡みでチームが崩壊するなんてことも、探索者の間で珍しい話ではない。
仲間の抱いた杞憂に、ザイエフは小さく笑みを浮かべた。
「裏のある女を男の魅力で落とす。それもまた一興だと思ってな」
笑いながら答える彼に、数分前にしたやり取りを、少しだけ後悔する男たちであった。
未だ横たわる者が多い中を、二人は存在感知で周囲の様子を探りながら通り過ぎて行く。
「死者、少なそうですね。もしかして0人ってこともあり得ますか?」
「かもね」
「そうですか。運がいいですね」
一見意味のなさそうな会話をしながら、二人は協会施設から外へと出た。そのまま野次馬含め、人が集まりつつある入り口付近を通過して、自分たちの泊まる宿の方面へ向かった。
歩く途中、自身の端末を操作していたリシェルが物思わしげに呟く。
「……繋がらないわね」
「あの少年ですか」
すかさずランが反応する。
端末から顔を上げたリシェルは、小さくため息を吐いて応じた。
「何も言っていないのだけれど」
「言わずとも、それくらいは察しがつきます」
しばし無言が続いた。
その間に、遠方からは大きな音が響き渡った。
「……また爆発ね」
「同時多発的な攻撃ですか。組織的な動きと見て良さそうですね」
中断した会話が再開する。そこで二人の端末が着信を受け取る。
通話を試みて手が開かないリシェルに変わり、ランが連絡内容を把握した。
「悪い知らせと悪い知らせ、どちらから聞きます?」
「どっちでもいいわ。というかそれ、答える順番どうやって決めるのよ」
「一つ目の悪い知らせは、何者かに都市が襲撃を受けたというものです」
「それはもう知ってる」
今しがた起きた惨事が、都市周辺全ての人々に通達された。
「二つ目は、遺跡の奥から絶賛モンスターの群れが溢れ出し、現在都市に向けて接近中、とのことです」
セイラク遺跡方面からサルラードシティへ向けて、多数のモンスターの移動が確認されたとの知らせ。それが探索者協会から全探索者へと告げられた。
そして悪いことは重なるように、端末が不協和音を響かせる。
「どうやら悪い知らせはもう一つ追加されたようね」
「……広域無差別警戒警報ですか」
新たに着信音が鳴り、端末上には不穏な画面が表示されていた。
「特定災害モンスターの討伐に際し、周辺数十キロに厳警戒態勢を喚起」
「加えて、東側から大量のモンスターの群れを確認。都市近辺にいる全ての探索者はこれの防衛に当たられたし、ね」
同時に都市周辺の全探索者へ、緊急強制依頼も発令された。
「どうやら遺跡方面は都市が受け持つようね。実力を考慮しない雑な戦力の振り分け。さしずめ上も、てんやわんやといった有様かしら」
都市を挟み、ほぼ同時進行で大規模なモンスターの群れの接近。加えて探索者協会を含めた壁外区への突発的な攻撃行為。かかる事態に、上層部も対応しきれていないことを文面からは察せた。
(いえ、それだけとは限らないわね。これは遺跡方面に探索者を近づけたくないのかしら。そういう意図も、諸々の状況を推測すれば読み取ることができる)
通常の防衛戦であれば、都市が探索者に都市の防衛を任せ切ることなどはあり得ない。壁内戦力である防衛軍を中核として、抗戦に当たるのが普通だ。それをせず、一方面とはいえ探索者任せの守りを行う。手が足りていないのか、出し渋っているのか、はたまた別の何かを警戒しているのか。どれも考えられるが、通常では考えられない対応だった。
「まあ、予想しても仕方ないか」
今自分たちがやるべきことは別にある。上の思惑に思考を巡らせても仕方がない。思案を中断したリシェルは顔を上げた。
その彼女へ、雑談程度にランが問いを振る。
「これを為したのはどこの勢力でしょうか?」
「不明ね。非公開になってるわ。詳しく調べれば判明するかもしれないけど」
広域無差別警戒警報は都市と協会が発令する。強力なモンスターの出現や接近など、周辺地域に大規模な混乱や被害が発生するおそれがある場合に、当該都市の判断で発せられる。
特定災害の討伐もこれに当てはまる。戦闘の推移や結果如何によっては、特定災害や周辺モンスターの移動に大きく影響が出る可能性があるためだ。だからこそ、特定災害モンスターの討伐に当たるときは、事前に近辺の探索者協会に申請を出さなければならない。これを怠った場合、二次被害の度合いによっては相応の罪に問われることになる。
「偶然ですかね」
「どうかしら。狙い合わせた可能性もあるけど、こちらにはそれを立証する手段がない。討伐の可否を判断材料の一つにするしかないわね」
もし彼らが入念な準備や意志を以って討伐に臨んだ場合、討伐は達成されるか、若しくは失敗して少なくない犠牲が出ることは必定だ。逆にモンスターの群れを都市に嗾けるために仕組みを利用していた場合は、討伐や犠牲とは無縁の結果となる。因果関係から彼らの本命を汲み取るができる。
「どちらにしろ、然るべき対処は上がするでしょう。私たちが気にすることではないわ」
モンスターの群れを意図的に都市や連合の関係車両等に誘導する行為は、連合への明確な敵対行為となり重罪だ。探索者資格の取り消しはもちろんのこと、犯罪者として境域中に指名手配されることも十分にあり得る。ただ今回の場合、警戒警報の申請を律儀に行った事実からして、現実的にそうなる可能性は低いと予想された。連携した可能性はあるにしろ、それだけで立証責任が果たせるわけもない。
「では仮にこれが連携だとして、彼らの目標はどこにあるのでしょうか? 流石にこの程度の戦力でここを陥落させられるとは思えません。それは企てた彼らにしても同様の見解でしょう。よもや特定災害モンスターを利用するにはいかないでしょうし」
モンスターの群れがどれだけ押し寄せようと、都市の戦力を考えれば決して危機的状況とは言えない。防衛軍の戦闘能力は特定災害すら討ち果たす。討伐強度Cランク帯のモンスターがどれだけ群れようと、ただの一体すら聳え立つ壁を越えることは叶わない。そのことは、都市の防衛能力を知る者ならば誰でも予想できる。
可能性があるとすれば特定災害を利用することだが、それを行うならば警戒警報の意味がなくなる。状況類推的に考え、連携を前提とするならば整合性が取れないことを指摘した。
「都市への攻撃じゃなく、混乱を作ることが目的なのかもね。迷宮を本命に置いているのならあり得るわ」
「ああ、そちらがありましたか。それにしても達成困難だとは思いますが」
迷宮の破壊、或いは最奥のコアを奪取し、都市の財源にダメージを与える。成功すれば大きな成果になるが、それにしても容易なことではない。どちらも達成するには迷宮の守護者を打倒する必要がある。
セイラク遺跡迷宮の守護者は、推定討伐強度BBBランク帯となっている。上級探索者チームでも苦戦する強さだ。加えてそこに、防衛軍に後背を突かれる危険性も出てくる。
都市とてこの程度のことに思考が及ばない筈はない。すぐに防衛軍の派遣を決定するだろう。そうなれば迷宮を襲撃した者たちは守護者と防衛軍の二つに挟まれ、壊滅は必至となる。彼らが今回の目標を達成する実現可能性は、非常に低いと思われた。
「まあ、それにしても私たちが気にすることじゃないわ。強制依頼も出てるわけだし、するべきをしましょう」
「彼はいいのですか?」
それを問われ、リシェルは少し黙る。
間を置いて、引き結んでいた唇を開いた。
「……私たちは探索者。その命の全ては、自己に対する責任で占められるわ」
「あなたがいいなら、それでいいですけどね」
主人の下した決断に、従者の女は軽い様子で承諾した。
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