第19話 オルディンとの対談
カラナの訪れから数日が経過した。ロアは本日オルディンの拠点に出向くつもりであった。
あれからまたオルディンの使いが来て、ロアと対談する日時のすり合わせを行なった。それほど間隔を空けるのも好ましくないと、ロアは明日にでも行って構わないと告げた。流石にそれはオルディン側の都合がつかなかったため、結局両者の対談は四日後となった。ロアはそれに納得して、その間も探索者としての活動を続けた。そしてようやく当日を迎えた。
「迎えを寄越すって言ったけど、お前が来るんだな。意外だ」
「ああ。改めてもう一度礼を言いたかったからな。立候補したんだ」
自身の泊まる宿まで迎えに来たのは、以前ロアが助けた探索者の一人であるロディンだった。てっきりまたカラナあたりが来ると思っていたロアは、予想しない人選に驚いた。
「別に礼はもういいよ。言葉でも物でも受け取ったから。これ以上は貰い過ぎだ」
「そう言わないでくれ。本当に感謝してるんだ。他の奴らはともかく、俺はお前に助けられなきゃ死んでた。命の恩人なら感謝も過剰になるもんだ」
「じゃあ、改めてその感謝は受け取っておくよ」
ロアはそう言って苦笑した。ロディンもそれに釣られて笑った。
ロアにとって、同じ探索者とこうして気持ちのいい会話をするのは初めての経験だった。ベイブやエルドのような人物が探索者として当たり前だと思っていた。これはロアの偏見と交友の狭さが原因と言えたが、一部分ではそれは正しくなかった。
あの頃のロアには力がなかった。力がなかったからリーダーとしての立場を追われた。力がなかったから探索者としても人間としても侮られた。
仮にロアが以前の弱いままだったなら、ロディンの態度も全く違ったものになっていたかもしれない。ロアを弱者として、蔑むように扱っていたかもしれない。命を助けられても、こうして心からの感謝は述べなかったかもしれない。これは全てロアが力を手に入れ、強くなったからこそ得た結果だった。
そのことに薄々とロアは気がついていた。以前にペロから言われたことも思い出していた。
強ければ注目され、弱ければ無視される。力なき者の言葉には意味を持たない。力なき弱者の言葉には誰も耳を貸さない。以前と今で、弱者と強者の立場を往復して経験したからこそ、それを思い知っていた。
だからといって、ロアはこれからの生き方も何も変えるつもりはない。その資格もないと思っている。確かに自分は強くなったが、それはペロのおかげであり、いわば借り物の力だ。それも含めて自分の力であるが、今更そう思うことも、振る舞うこともできなかった。それは自分が探索者を続ける意味にも反していた。だからロアは変わらないし、変えるつもりもない。いつだってそうするのは、相手の方だからだ。
ロディンの後ろを軽く雑談を交えて付いていったロアは、やがて目指していた場所に到着した。
「ここがお前らのグループの拠点か。思ってたよりずっとでかいな」
「ああ。なんと言っても構成員の数は百人を超えるからな。これくらいなきゃ入りきらん。それにこの辺は、大通りなんかからも外れていて土地も安い。中規模ぐらいのグループは、こういう場所に拠点を構えることが多いんだ」
「へー」
自分とはほとんど関わりのないグループの事情を聞いて、ロアは拠点を見上げながら感心のこもった声を出した。
建物の大きさも敷地内の広さも、自分が借りている宿よりもずっと大きい。既視感でいうなら、グラック&カバックがそれに近い。四階建てで奥行きもありそうな建物に、グループというのは凄いなと子供のような感想を抱いた。
ロディンが敷地内の前に立つ見張り役と会話し、ロアを連れてきたことを説明する。二人いるうちの一人が情報端末でそれを中にいる者たちに伝えて、許可が下りてから中に入った。
建物の中へ入ったロアは、そこにいる者たちからの好奇の視線に晒された。自身に注がれる視線を逆に見返したロアは、ある事に気が付いた。
「若いな……」
そこにいる者たちの多くが、比較的若者と言える者たちであった。中にはロアと同等か、明らかにそれ以下に見える者も混じっていた。もっとごつい大人や、ガルディのような老人もいるかと思っていたロアにとっては、素直に意外な光景だった。
「流石に気付くか。これがこのグループの特徴と言えるかもな。俺も含めて、半分以上は二十を超えない若者と呼べる奴らだ。リーダーのオルディンさんが結成して、ここ数年以内に勢力を伸ばしてきた。だからオルディンさんよりも年上の人間はほとんどいないんだよ」
その情報はロアも初耳だった。確かにレイアといいロディンといい、ついでにエルドいい、オルディングループに所属する者は若者ばかりだと思っていた。たまたま年長の人物と出会わなかっただけかとも思ったが、実際に見たことでその認識は間違いであることを知った。
ロアがロディンと話しているそこへ、一人の少女が親しげな様子で近寄った。
「やぁー! ようこそ私たちのグループへ。歓迎するよロア!」
「あ、ああ。ええっと、確か……」
「サラだよー。先日はありがとね。私もロディンも、ついでにダーロのバカも助かったよ。あ、リックとマッシュもお礼言ってたよ。マッシュは半分だったけど。そうだ、私たちのお礼受け取ってくれた? あれには私のなけなしの貯金も入ってて」
「おいサラ。そんな急に色々言われたって、ロアも混乱するだろう。二言程度にしろ」
ロディンからの窘めに、不満そうに「えー」と声を出して唇を尖らせる少女。ロアにも見覚えのある彼女は、先日ロアが助けた探索者のうちの一人だった。
「お礼はちゃんと受け取ったよ。正直、予想以上に多くて驚いたくらいだ」
「ああ、あれねー。ロディンが張り切ってさー。自分の装備売ってまで工面しようとしたんだよ。結局私たちの貯金全部吐き出してさ。それでそれなりの金額揃ったから、そうせずに済んだんだよねー。おかげで今の私は素寒貧だよ」
「それは利子つけて返すと言ってるだろ……」
「それだと私が金を惜しむ恩知らずみたいじゃん。ダーロのバカと一緒にはなりたくないもんね。だからそのお金は受け取りませーん」
先日の救援の報酬。ロアにとって大金と言える額だったが、ロディンたちにとっても安い額ではなかった。当初自分一人で恩を返そうと思っていたロディンも、仲間の好意により一部を負担してもらえた。しかしそれに自身の手持ちを加えても足りないと考えたロディンは、自分の装備を売って不足分に当てようとした。同じグループのメンバーから金を借りることもできたが、それは誠意に欠ける行いと思い、また元々自分一人で負担するつもりだったのだからと、誰にも相談をせずに決めた。
彼の装備は魔導装備であり、魔術の発動を可能とするものだ。新品として買えば100万近い値が付くそれも、中古品として売りに出すなら半値が付けばいい方だ。自分をチームのリーダー足らしめている装備を売ることは、再び新人からやり直すことに等しかったが、ロディンに迷いはなかった。いや、本音の部分ではあった。新人時代から探索者として積み上げた成果、実績、金。その果てにようやく手に入れた自分だけの装備。愛着もあるそれを手放すことは、探索者としての自分を一度殺すことに等しかった。
それでも最後には金に変えることを決めた。だが実際にはそうはならなかった。葛藤するロディンを見つけた同じチームの仲間が、それぞれの手持ちを出し合うことにしたからだ。そのおかげでロディンは自分の装備を売らずとも、報酬としての体裁を整えることができた。ロディンはそのお金をいずれ返そうと思っていたが、サラだけは受け取ることを拒否していた。
「ハァ……まあいい。それより今はロアを案内するのが先だ。行くぞロア」
「ん? ああ」
「えー、もうちょっと話してこうよ。もっとロアとお話したいよー」
ごねるサラを無視してロディンは先に進んだ。ロアは苦笑して「また後でな」とサラに告げた。「絶対だよー」という返事を背中越しに聞いて、ロアもロディンの後に続いた。
「サラに気に入られたな。ああなるとあいつはしつこい。お前も大変だな」
ロディンからそう言われ、ロアはなんとも言えない表情で笑った。
「あそこだ」
最上階にある一番奥の部屋。そこを視線で指し示して、ロディンは足を止めた。
「俺はここまでだ。後はあそこにいる人たちに聞いてくれ」
「ああ、ここまで案内してくれてありがとう」
ロアの礼に、「それが仕事だ」と笑って、ロディンは階下へ戻っていった。
一人になったロアは無言で廊下を進んだ。すぐに扉の前に着くと、そこにいる男たちが徐に口を開いた。
「ボディチェックをする。武器を渡せ」
男たちからの言葉に、ロアは首をかしげた。
「なんでだ?」
「なんでも何もない。いいから武器を渡せ。室内には持ち込ませない」
「そうか。なら帰る」
それだけを告げて踵を返すロアに、部屋の前にいた男たちは呆気にとられる。それを気にすることなく来た道を戻るロアへ、男たちは慌てて声を発した。
「ま、待て! 帰るって、お前どういうつもりだ!?」
声をかけられたので仕方なく振り返るロアは、露骨に面倒臭そうな表情を作って返答した。
「どういうつもりって、そのままの意味だろ。俺の武器を取り上げるなら帰るって言っただけだ」
「……!? 取り上げるんじゃなくて預かるだけだ! 勘違いするんじゃねえ!」
「じゃあ先に部屋の中を見せてもらえるか? 中にいる奴が武器を持ってなかったら俺も渡す。そうじゃないなら渡さない。それでいいだろ?」
物怖じしないロアの態度に、男たちは何も言えずパクパクと口を開閉させた。このとき男たちは勘違いしていた。今日来る人間は、ランク以上の実力はあるが所詮F探索者であり、自分たちのようなそれなりの規模を誇るグループには下手に出るだろうと考えていた。
男たちの発言自体に嘘はない。ここで武器を預かっても、それを奪う気は微塵もない。そんな指示も受けていない。出された指示はロアから武器を預かる。それだけだ。
しかしロアはそうは考えなかった。ここで武器を預ければそれはもう帰ってこない。そう断定していた。そしてそう考えたのには根拠があった。
ロアはここに来てから、ペロのサポートも受けてずっと存在感知を行なっていた。それで得た情報により、自分が敷地内に入ってからずっと監視されていることを知っていた。今も壁や天井に仕掛けられたカメラや盗聴器にセンサーなどが、リアルタイムで己の情報をどこかへ送信している。そのことに気づいていた。ロディンとの会話も聞かれていた可能性は高かった。
そして一番の根拠としたのは、室内から複数の人間が武器を持った気配があったことだった。この時点でロアは相手を信用するのは無理だと悟った。相手には武器を渡せと要求しつつ、自分たちは複数人で待ち構え武器まで用意している。悪意があって嵌めようとしているとしか思えなかった。
男たちがロアの態度に何も言えず言い淀んでいると、目の前にある部屋の扉が音を立てて開いた。
「おい、何をやっている?」
「よ、ヨルグさん……」
出てきた短髪の大柄な男は、扉の前にいた男たちに重々しい口調で問いかけた。
「質問に答えろ。お前たちは何をやっている?」
「あ、あのガキが武器を預けろって言ったのに、それに従わなくて。渡すくらいなら帰るとか言い出したんですよ」
「なるほどな……」
ヨルグと呼ばれた大柄な男は、男たち向けていた厳しい視線をロアへと向けた。
「お前、確かロアとか言ったな。どうしてこちらの指示に従わない?」
「その条件はもう出した。その部屋にいる連中が誰一人武器を持っていないなら俺も渡す。そうじゃないなら渡さない。俺は俺の安全を最低限確保できなきゃ、話し合いには応じない」
ロアの強気な姿勢に、ヨルグは威圧するような鋭い視線を送った。ロアはそれを正面から受け止める。
二人は短い時間視線を交差させた。が、すぐにヨルグの方から視線を外した。そして「待ってろ」とだけ言い残し扉を閉じた。
『面倒くさい奴らだな。今のうちに帰ってやろうかな』
『それもいいんじゃないですか。一昨日会おうぜってやつです」
『なんじゃそりゃ』
ロアとペロが軽口を交わしていると、また扉が開いて大柄な男が姿を見せた。
「武器を持ち込む許可が出た。入れ」
そう言ってロアを室内へ招くように、扉を大きく開いた。
『白々しいですね。最初からそうすればいいですのに。猪口才な策です』
存在感知でずっと室内の様子を把握していたペロが辛辣に言う。ペロは唇の動きや空気の振動から、中で行われていた会話を正確に読み取っていた。
オルディンたちは、ボディチェックと称してロアに武器を預けさせ、自分たちは隠し持った武器をチラつかせることで、交渉という名の恫喝を有利に進めようとしていた。彼らは部屋の前に立つ男たちとロアの会話も聞いていた。ロアが帰ろうとした際に部屋から現れた男も、行われていたやり取りを把握しだ上で牽制目的の問答を重ねていた。当初の目論見はロアの対応により御破算に終わったが、今度は堂々と武器を手に持ち威圧しようとしていた。ペロはそれを見破っていた。
それを知らないロアが小さく首を捻るが、まあいいかと躊躇なく室内に足を踏み入れた。
「ようこそ。よく来てくれた。俺がここのリーダーをやってるオルディンだ。歓迎するぜロア」
部屋に入って正面にある机の奥側に立つ男が、入室するロアに向かって歓迎の言葉を口にした。
ロアはざっと室内を見回す。存在感知で把握しているが、視覚や嗅覚など実際に五感で得る情報はまた違う。馴染み深い感覚器官を使って室内の情報取得を行った。
知ってはいたが、両側の壁際に立つ男たちの姿を見て、ロアは露骨に顔をしかめた。
「おいおい、そっちの武器の持ち込みを許可したんだ。こっちも持たなきゃフェアじゃないだろ?」
「それを言うなら人数がフェアじゃないだろ。お前以外出てけよ」
ロアの無遠慮で挑発的な物言いに、壁際にいた一部の男たちが殺気立つ。ロアはそれに反応し、腰に下げた武器に手をかけた。一人でも自分へ武器を向けたなら、ここで殺し合いを始めるつもりであった。
「やめろお前ら。みっともない真似すんじゃねえ。俺の客人だぞ」
怒気を込めたオルディンの言葉に、男たちは殺気を引っ込め態度を常のものに戻した。
「悪いなうちの連中が。だが勘弁してくれよ。あいつらも悪気はないんだ。単純に俺の名誉を守ろうとしてくれただけだ。解るだろう?」
そう聞かれても解らないが、相手に交戦する意思が消えたため、ロアも臨戦態勢を解いた。
「まあ、とにかくこいつらを部屋から追い出すのは勘弁してくれ。俺はこれでもグループを率いるリーダーなんだ。万が一があっちゃいけない。そのための保険だよ、保険。お前に俺を害する意思が全くないって証明できるなら別だが、それは無理だろう?」
「……ああ」
流石にそんな真似は無理だしあってもする気はないので、ロアも不承不承と言った様子で頷いた。そんなロアを見てオルディンは苦笑し、前にあるソファーへ座るように促した。
ロアが大人しくそこに座ったことで、それを確認したオルディンが今回の対談の趣旨を口にした。
「改めてよく来てくれた。それと俺からも礼を言わせてくれ。うちのメンバーの命を救ってくれたってな。リーダーとして感謝する」
「……別にいい。言葉も物も本人たちから既に貰ってる。何度も言われるほどじゃない」
自分の行為に何度も感謝を伝えられるのは気恥ずかしいものがあるが、目の前にいる男への信用の低さから、ロアは視線を逸らして素っ気なく受け答えた。
相手の拒絶の意思がこもった態度も気にせず、オルディンは会話を続ける。
「いやあ、それにしてもお前って若いのに強いよな。ロディンたちはウチじゃ結構な有望株なんだが、あいつらが敵わないモンスターを一人で倒したんだってな。大したもんだよ」
「そうか」
「やっぱそれって持ってる装備とかに関係あるのか? ほら、その腰にある強そうな武器。それでモンスターを倒したんだろ」
「かもな」
「そんなのをいきなり預けろって言われても困るよな。装備は探索者にとっての命だ。こっちも用心の意味があったとはいえ、恩人にすることじゃなかった。ほんとに悪かったな」
「……ああ」
「それにお前って、そんだけ強い武器持ってんのに、高価な治療薬まで持ってるんだって? ほんとに大した奴だよ。俺もさ、一つのチームに最低一つは高い治療薬を持たせたいと常々思ってるんだけどさ、金の問題でそうもいかないんだよこれが。低ランクの探索者の稼ぎなんて、倒したモンスターをちゃんと持ち帰ってもトントンなことが多い。そんな状態で治療薬を使ったら完全に赤字だ。そんなのに金を使うなら、装備に使ってもっと安全に高い獲物を狙った方が、収支面での効率はずっといい。だから──」
聞いてもいないことをベラベラと喋り続けるオルディンに、最初はロアも辟易としていたが、自分の知らない探索者の事情話とあって、途中からは興味深く聞いていた。
ずっと一人で喋っていたオルディンだが、喋り疲れたのかある所で話を区切ると、ソファーに腰を深く落とした。そして仲間の一人に、何か飲み物を持って来させるよう指示を出した。
「悪いな。俺ばかり話をしちまって。つまんなかったか?」
「いや、結構面白かった。俺は他の探索者とかよく知らないから、興味深かった」
「そうか。なら良かったよ。こっちとしても一生懸命舌を回した甲斐があった」
この短い時間でロアの性格をある程度把握したオルディンは、その言葉が本心からのものであると思い満足そうに笑った。ロアにしても、部屋に入る前よりもオルディンの評価は上昇していた。
やがてオルディンの仲間の一人が部屋の奥から現れ、平たい容器に湯気の立つカップを二つ乗せて持ってきた。そしてそれを二人の前にそれぞれ差し出した。
ロアは机に置かれたカップの存在よりも、持ってきた人物に視線が行き、その目を見張った。そこにいたのはレイアだった。レイアは驚くロアに軽く目配せして微笑むと、また部屋の奥へと戻っていった。
ロアは目の前の男からニヤついた視線が向けられているこに気づくと、誤魔化すようにカップの方へ視線を切り替えた。
「……何だこれ?」
出されたカップを前にして、ロアは手をつけず疑問の声を上げた。
「なんだ知らんのか。それはコーヒーと言ってな。高い飲み物なんだぞ。これはそこそこいいやつだから、一杯で一万ローグはするぞ」
「は? マジ? こんな真っ黒いのが? 嘘だろ?」
その値段を聞いてロアは驚き入る。ただのカップ一杯に入った黒い液体が一万ローグ。自分の常識では絶対にあり得ないし、あってはならないことだった。
「マジだよ。これは生の材料を使ってるから高いのさ。ウチで出す一番高級なやつだよ。特上のお客様にしか出さないとっておき」
いい反応が見れたと、オルディンは上機嫌に笑った。そのままカップを手に取り、毒ではないことを見せるように中身を口にする。
オルディンは口に含んだコーヒーを味わうように喉を鳴らすと、カップの傾きを直しながら満足そうに息を吐いた。
「やはりいいな……生の香りは。それにレイアの奴も腕を上げた。最初の頃とは段違いだ」
感想をこぼすオルディンから視線を切り、ロアは手元のカップに視線を落とした。
『……これって毒とか入ってると思うか?』
『どうでしょうかね。私も見ただけでは判別つきません。毒なら飲んだ後に変調をきたしますから、それで判断するしかないでしょうね。それと彼女次第ですか』
『あいつは……正直わからん。てか毒を飲んだら普通に死ぬだろ』
『即死するような毒でも私が抑制できますから一応問題ありません。その場合は動ける間にここにいる者を皆殺しにして逃げるとしましょう』
『……普通に逃げればいいだろ。なんで皆殺しにすんだよ。怖いよお前。ってかそれ絶対無理だし』
レイアへの信用と、ペロが毒を抑えてくれるという発言を信じて、ロアはカップに手をつける。飲む直前、本当に毒が入っていた場合の対応をどうしようかと考えたが、ええいままよと勢いに任せて一息に呷った。
『…………苦い。なんだよこれ。……毒か?』
味の感想を率直に述べたロアは、その苦さから思いっきり顔を顰めた。美味しくない食べ物は食べ慣れているが、これは経験に無い苦さだった。毒かとも思ったが、ペロからの警告が無いのと、なんとなく違う感じがしたのでその疑いは捨てた。苦いと思いつつも、せっかく出された物である上に一万ローグの価値もある高価な飲み物という理由から、ロアは勿体無い精神を発動させて残さず飲んだ。
中身を飲み干してカップを机の上に置くロアに、オルディンが味の感想を聞く。
「どうだ、口にはあったか?」
「全く」
端的で繕わない味の感想を返され、オルディンは「だろうな」と苦笑する。表情からもそれは明らかだった。
『こんなのが一万ローグとか絶対おかしいだろ。世の中間違ってる』
『間違いのない世界なんてありません。適応しましょう』
ペロの言葉は聞き流して、こんなのが高級な味なら絶対に食には金を費やさないと、ロアは固く心に誓った。
「そろそろ本題に入ろうか」
一度足を組み替え姿勢を正したオルディンが、身に纏う空気を変えてそう口にした。相手の雰囲気の変化に気づいたロアは、口の中に残る苦味を意識から外しつつ、表情に警戒の色を湛えた。
「本題は済んだろ。礼は受け取った。それとも俺を呼んだ理由。アレは嘘か?」
「いいや、礼を言うために呼んだのは本当だ。そこに嘘はない。だが何事もそれだけっていうのはないもんだ。本命が実はおまけだったなんて話は当たり前にある。今回もそういう類だ」
態度から警戒心を消さず身構えるロアに、ふっとオルディンが相好を崩して告げる。
「単刀直入に言う。ロア、お前俺のグループに入れ」
予想とは違った言葉を聞き、ロアは眉間に皺を寄せる。
「……どういう意味だ? いや、意味は解るが」
「そのままの意味だ。お前は強い。格上に物怖じしない態度も気に入った。俺のグループにはお前みたいのが必要だ。待遇も地位も約束しよう。悪くない条件を出す。だから俺の仲間になれ」
その発言に今度こそロアは怪訝に顔を歪めた。
今日自分が呼ばれたのは、相手が自分の持つ力を狙っている。それが理由だと思っていた。実際カラナもそのようなことを言っていた。魔力が無く、大した実力もない自分が急速に力を付けた理由。それを探られると、あるいは奪われると思っていた。なのに実際にオルディンから出た言葉は、自分をグループに誘うものだった。
もしかしたら仲間にしてから何かをするのかもしれない。そこまでを考えたロアは、改めて警戒を態度に出した。
「お前のグループに入る気は無い。強い奴が欲しいなら他を当たってくれ。俺は断る」
にべもなく断るロアの姿勢に、オルディンは口元に笑みを浮かべたまま言う。
「まあ、そう結論を急ぐな。交渉ってのはまず互いの要求を突きつけてから始まるもんだ。条件のすり合わせはそれからだ。もしかしたらお前が興味を引く内容もあるかもしれんだろ? だから話くらいは最後まで聞いてくれ」
「……聞くだけだぞ」
どんな条件を提示されても仲間に加わる気は無いが、一万ローグの歓待分の義理だけでも返そうと思った。
「それでいい。取り敢えず俺のグループの魅力から紹介しようか。お前も見たかもしれんが、ウチの連中は若い奴らが多い。これには当然理由があってな。リーダーである俺が若造だからだ」
「……それは魅力なのか?」
「当たり前だろ。若いってのは勢いがあるってことだぞ。これは年寄りの多い組織には無い大きな利点だ」
年若く人生経験の浅いロアには、その言葉の意味するところは理解できない。オルディンは相手の無理解を悟るが構わず続けた。
「お前は知らないかもしれんが、ウチは割と新進気鋭と言える部類でな。ここ五、六年で一気に勢力を拡大したんだよ。他が時間をかけてこのくらいの地位にあるのにだ。結構凄い事なんだぞこれは」
通常一からグループを築いた場合、今のオルンディングループ程度の規模になるのには、時間にして十年以上を要するのが普通である。既存グループとの人員の奪い合いや、縄張り争いの関係で不利となり、組織として力をつけるのが大きく遅れるのが要因だ。一部には有した武力で急速に駆け上がる例外も存在するが、オルディンのグループは違う。本人の言に過たず、優れた事例と言えた。
「で、その組織の原動力となったのが若い連中の力だ。あいつらに知識を授けて、役割を決めて、力を与えた。分業分担は大切だ。これを明確にしなきゃ組織は円滑に回らない。だから個人を性格や能力ごとに選り分けて、戦闘要員と雑務要員に振り分ける。もちろん本人の希望は聞く。やりたくないことをやらせても効率が落ちるだけだからな。あとは成果による報酬も忘れない。結果を出した奴には──」
「その話まだ続くのか?」
長々と本題からズレた事を話し出したオルディンに、ロアが見かねて口を挟んだ。ロアは組織のノウハウなどに興味はない。活かす機会も予定も存在しない。だから一万ローグの義理が切れる前にさっさと話を進めて欲しかった。
「……そうだな。悪かった。話が逸れた。それでなんだったかな。ああ、魅力だったな。つまり俺が言いたいのは、このグループには先があるってことだ。今のままでは終わらない、更に上に行く可能性がな。他のとこは停滞してる。先細りも見えている。だがウチは違う。いずれはこのネイガルシティ最大勢力になるだけのポテンシャルがある。それこそがウチの魅力だ」
「そうか」
グループとしての魅力を聞かされても、ロアは興味を見せず素っ気ない態度で応じる。
ロアは今の話に全く魅力を感じていなかった。相手が都市一だろうと何だろうと、どうでもよかった。そもそもからして、そんな将来有望で実力ある組織が自分を欲しているなど、その事実が受け入れられなかった。裏があると思った。無い筈がなかった。この対談でオルディンに対する評価は上昇したが、それはそれだけだった。気は許していなかった。自分の力を狙っているのには変わりがないと思っていた。だからオルディンの評価がどれだけ上がろうと、信用できない時点で仲間になる気など一切なかった。
相手の反応から、この線からの勧誘は脈が薄いと判断したオルディンは、もともと考えていたとっておきとも言える条件を伝えた。
「ならお前にとって明確なメリットを提示しようか。──レイアをやる」
「……」
出された名前を耳にして、これまでとは異なりロアはピクリと反応する。ここが相手のアキレス腱と見て取ったオルディンは、間を置かずに言葉を追加した。
「さっきの話に戻るが、ウチのとこは成果に応じて追加の報酬を出してる。戦闘をしない雑務要員に対するアレコレだ。これに若い奴らが発奮してな。それが勢いある理由の一つと言える」
アレコレという言葉にロアが目を細める。その反応は言葉の意味が理解できなかっただけなのだが、それを別の意味で捉えたオルディンは、気が引けたと内心でほくそ笑んだ。
「これは成果を出した誰にでも与えられる。新人古株関係なしにだ。安売りは意味が無いから頻繁にとはいかんが、発散する意味でも定期的にな。もちろんこれだけだとヤられる側にメリットは薄いから、組織からそれなりの報酬を与えるのも忘れない。実質娼館代を負担するようなもんだ。当然娼館とは違うから断ることもできる。強制は良くないからな」
どこのグループにしても、所属させている非戦闘員に似たようなことはさせている。あまり過度にやり過ぎると性風俗や別のグループに逃げられる事や、裏町を仕切る組織を明確に敵に回すことになるため、あくまで自由恋愛という体はどこも保っているが、ある程度での範囲でこれは常識とされている。グループ内において戦闘員は金を稼ぎ、非戦闘員は体を差し出す。この共存と言える関係があるからこそ、組織として成り立っている部分が大きい。
とはいえ、そういった行為は大抵高い地位や古参の人間が優先される。若い者や新参には回ってこない。だからこそオルディングループの若者たちは、同グループにいる目当ての人間を手に入れるために奮起する。他所では叶わないことも此処では叶う。オルディンはその欲求を見事に利用していた。
ただこれには注意が必要である。子供を使い売春じみた行為を斡旋すると、都市の治安組織に目をつけられ、早晩潰されることもあり得る。それは同じグループに所属している者同士でも変わらない。グループとは探索者を育成する為のコミュニティの一つとして、存在を許されている側面が大きいからだ。
だからオルディンは気を使う。強制はせず、報酬は支払う。同年代だけを集め仲間意識や結束感を募らせる。十代の欲望をうまく刺激し、互いに親近感を感じさせるよう誘導する。大人は減らし管理するだけの立場に制限する。これこそが、オルディングループが短期間で成り上がれた秘訣だった。
「当然ウチにいるレイアもその対象だ。上玉だから人気も高い。あいつの気を引こうって野郎どもはこのグループには多いぞ」
「……」
「だがあいつはそれを全て断ってる。要求の方もな。まあまだあいつも若い。強制もできない。だからこれは仕方ない。本人の意思を尊重すべきだからな。だがそれもいつまでもとはいかない」
ロアはその話を黙って聞き続ける。
「他のメンバーが体を張ってるのに、一人だけ我儘を通させるわけにはいかんだろ? レイアはいい女になるだろうが特別扱いは良くない。それはグループの和を乱す。結束を壊す。流石にそれはリーダーとして看過できない。だからあいつにはいずれ選ばせる。誰かの女になるか、此処を出て行くかをだ」
「……」
「そうなればアイツは路頭に迷うだろう。いや、実際にはレイアの器量があればどこでもそれなりにやっていけるか。だがそれはアイツにとって望まない生き方だ。此処を出て行く意味を無にするほどのな」
「……それを俺に話してどうする?」
「初めに言ったろう。レイアをお前にやると。お前がグループに入り、功績を挙げ、地位を確立させる。そうすれば誰もお前に文句を言えなくなる。お前がレイアを独占してもだ。そうなればお前にとってもレイアにとっても万々歳だ。もちろん俺にとってもな。レイアを狙ってる野郎どもは不満を抱くだろうが、そこは仕方ない。あくまでウチは個人の自由な恋愛を推奨している。誰と誰がくっつこうと何の問題もない」
オルディンから告げられた内容を聞いて、ロアは僅かに険のある表情を見せて押し黙った。オルディンはそれを笑みを浮かべて見ていたが、なかなか答えを出さないロアに、背中を押す意味でも条件の吊り上げを行った。
「なんだ、もしかしてそれだけじゃ不服か? 強欲だな。ならカラナの奴もどうだ。あいつは男勝りでガサツだが、他人の嗜好にとやかく言う気は俺にもない。一応戦闘員ではあるがちょっと特殊だ。あいつにはレイアの護衛を任せてるから、そういう意味でもちょうど──」
「断る」
「いい……なに?」
「断ると言ったんだ。どんな条件を出されても、俺はお前の仲間にはならない」
笑みを崩したオルディンへ、ロアは言葉を改めてその要求を撥ね退けた。
意志の込められた目を見据えたオルディンは、表情から笑みを消した。
「……レイアがウチに来た時、もう一人入れて欲しいってお願いされたことがある。そいつは魔力が極端に少なくて、おそらく戦力にはならないだろうがグループに加えて欲しいってな。なんでもするとも言われた。ウチは基本来る者は拒まずだ。例え魔力が無かろうと、役に立つなら入れるつもりだった。だからあいつのお願いは聞いたが、結局そいつはウチに入らなかった」
「今の俺くらいの条件を出されてたら、そいつも入ってたかもな」
「意趣返しのつもりか?」
視線を細めるオルディンに対して、ロアは軽く肩を竦める仕種をする。
「そんなつもりはないよ」
「あいつはずっとお前と同じグループに所属することを望んでいた。お前はあいつの気持ちに応えてやらないのか?」
「あいつはあいつで俺は俺だ。生き方が違う。同じ道を無理に合わせて歩く気は無い」
その問いかけにロアは堂々として答える。
レイアに後ろめたさはある。自分のために色々してもらったのに、望むことは何一つしてやれなかった。逃げた負い目もある。されたことへの恩だけでも十分に返したかった。
しかし、それとこれとは話が別だ。あの日、仲間を置いて逃げた時から、自分と彼女たちの道は別たれた。もう同じ道を行くことはない。もしかしたらその未来もあったかもしれないが、唯一の相棒を得てからはそれも完全に無くなった。もはやロアには、自分の足だけで歩いていける自信があった。
翻す気が全く見られないロアの態度に、交渉は決裂したかとオルディンは悄然として言う。
「……そうか。交渉は不成立か。それなら仕方がない。……潔く諦めるとしよう」
その一言でロアの背後で扉が開いた。それを振り返って確認して、この話し合いが完全に終了したことを理解した。
ロアは席から立ち上がり、目の前で背もたれに寄りかかるオルディンに別れの言葉を放った。
「じゃあな。飲み物は不味かったけど、話は面白かった。案外悪くない時間だった」
「子供のお前には分からんか。ウチに入りたくなったらいつでもここに来い。歓迎するからよ」
オルディンの返しに「その気はないよ」と、軽く手を振ってロアは部屋から出た。そのまま扉の前にいた男の一人に案内されて、来た道を戻って行った。
ロアが部屋から退出し、その階からも完全にいなくなったのを確認して、オルディンはソファーに寄りかかっていた体を起こした。
「手強いな。もう少し前向きな反応が返ってくると思ったが、当てが外れたか? いや、そんな筈はないか」
オルディンは先ほどのロアとの交渉を振り返る。自分にとって切り札とも呼ぶべき存在。それを切ったにもかかわらず、肩透かしの結果に終わり、正直意外な気持ちでいた。
オルディンはレイアやカラナのことを口に出して、どれだけ相手の心が揺れ動くかを試していた。最初それを口にしたとき、確かに自分の予想の正しさを確信した。この二人を餌として垂らせば釣れる可能性は高いと。
しかしながら、その分析は誤りだと示すように、結果は全くの失敗に終わった。
「まあそれはいい。こうなることも予想していた。それよりも、だ。重要なのは奴の身に付けていた装備だ」
ロアやカラナが推測していた通り、オルディンがわざわざロアを呼び出した本来の目的は別にある。ロア自身とその装備品がどれほどのものであるか、それを見極めることだ。ロディンたちを救出した際にロアが振るった力。機械型のモンスターを苦もなく断ち切る刃、破壊する魔力砲、それらを使いこなす尋常離れした身体能力。主にこの三つがオルディンの興味を引いた。今日の会談はそれの真実を知る事こそが主目的であった。
オルディンはロアの装備を思い返して黙考する。
(俺が見た限り、奴が持っていたのはただの量産された既製品だった。あのブレードの仕様上、そこまでの威力は絶対に出ない。どういうことだ?)
ロアの腰にあったブレードの威力。それがオルディンの知っている知識の物と結びつかなかった。そのことに違和感を覚えていた。
(鞘が偽装されていた? 刀身だけは別物だった? そもそもここには持ってきていない? ……いや、そういえばエルドの奴が、ロアは拡錬石を換金せずに溜め込んでるって言っていた。それが理由か?)
拡錬石には装備品の性能を高める効果がある。武器の素材によって強化できる上限は大きく異なるが、最大限強化すると本来の性能の数倍に達することもある。それだけの拡錬石を一つの武器に費やすならば、それを金に換えてより強力な装備を買い揃えるのが良いとされるが、中には自身の愛用とした武器に異常な強化を施す者たちもいる。一部事情は異なるとしても、ロアもそれと同じことをしていると思われた。
(量産品の安物に拡錬石をつぎ込む奴なんざいないと思っていたが、あいつはそうなのか? ──だがだとしても、威力が高すぎる気もするが……判断が付かんな)
それなりに高価な装備品や、使い手本人の為だけに造られた特注品ならともかく、低ランク向けに売られる量産品に拡錬石をつぎ込む者はほとんどいない。装備の開発企業か、一部の成功した探索者たちが面白半分で実行するくらいだ。中には情報端末で接続できる情報通信システムのネットワーク上にて、それらの効果を有料公開している者もいるが、オルディンは知らなかった。
(最初は強化服かと思ったが、拡錬石で性能を向上させてるなら話は別だ。戦闘服に関しても、拡錬石を使えばある程度の機動性は確保できる)
強化服には着用した人物の身体能力を上昇させる効果がある。魔力による肉体強化に近いこれは、使い手の技量に関係なく一定の効果を発揮するのが特徴だ。誰でも手軽に使える強化服は、自力で魔力強化を扱える者には恩恵は薄いが、扱えない者や魔力を節約したい者には有用である。併用して使う者たちも、中級以上の探索者の中には存在している。
オルディンは当初、ロアがその強化服を着用していると考えたが、拡錬石の存在を思い出してその可能性を消していた。
(魔力についてはどう説明する? あいつが魔力をほとんど持たなかったのは間違いない。あいつ自身それを否定しなかった。ならどうやって魔力を得た。……魔力を増やす遺物を見つけたのか? その可能性はあり得る。実際遺物の中には、魔力を意図的に増やすものもあると聞く。それで都市の上層部なんかは人為的に強力な兵士を生み出していると。それと同様のものを奴は手に入れたってことか?)
考えられる可能性を予想するが、その推測には首を振る。
(いや、それはいい。後天的に魔力を増やした可能性もある。余計な推測は問題解決から遠ざけるだけだ。確定している事実だけを考えよう。……最後は奴の持っていた魔導装備だな。魔力の塊を射出してモンスターを倒すという。これに関しては間違いなく遺物だ。断言していい。問題はどうやって手に入れたかだが、時系列が分からん。魔力を得たのと同時の可能性もあるが、その後や前の可能性もある。断定はできない。──それよりも重要なのは、この遺物の価値だな)
オルディンは壁際にいた一人の男へと、頭だけで振り返る。
「ヤルダン、あいつが身につけていた魔導装備。概算でどれだけの価値があると見積もる?」
「詳しいことは分からんが、強度8のモンスターを一撃で倒し、13も問題なく討伐可能な遺物となると……売却価格で、最低100万はくだらんだろうな。倍でも売れるかもしれん。仮に魔力だけで扱える物なら、さらにその倍だな。そのくらいの価値はあるだろう」
述べられた予想に、室内にいる者たちから生唾を飲み下す音が発せられる。
価値が100万を超える遺物というのは、ネイガルシティ近くの遺跡ではもはや相当奥に行かなければ手に入るものではない。オルディングループの中でも、それだけの価値がある遺物を発見できた例は一度しかない。総額としてならともかく、単品で高額な遺物はそれほど希少なのだ。最大で400万ともなれば尚更だ。
対照的にオルディンは、眉ひとつ動かさず顎に手をやり考え込む。構成員が百を超える規模のグループを率いる彼にとって、400万は端金ではないだけで、殊更執着するほどの額ではない。貴重な遺物であろうと、金に変えればその程度の価値に過ぎない。リスクなく奪い取れるならそれでいいが、交戦して死者が出るなら避けたい程度の話である。そして、討伐強度15のモンスターを倒せる探索者相手にそれは難しい。ましてやこの会談中に、異常な胆力を見せた相手だ。たかが400万程度のために争うには、割の合わない相手だと考えられた。
(だが、もしあいつが手に入れたのがそれ以上のものだったなら……)
オルディンは一度瞑目し、考えを纏めると、出した結論を仲間へ伝えた。
「奴の動向を調べろ。見張りをつけて不自然な部分がないか確認しろ。それと奴の買った物を調べろ。同じ物を買って、それに今あるありったけの拡錬石をつぎ込んで強化するんだ」
「ありったけと言うが、具体的には?」
「一つの武具に100万相当の拡錬石を使え。ブレードと戦闘服の上下を合わせて300万分だ」
「……いくらなんでもそれは勿体なくないか? 無駄になるだけだぞ」
「それならそれで構わない。それはつまり、奴の強さのカラクリが装備にないって意味になる。あるいは奴が意図的に隠している何かがある。そういうことだ」
「……」
リーダーの決断に、それを聞いた者たちが困惑の色を浮かべる。彼らはオルディンの言う話の流れについていけてなかった。
その中でヤルダンと呼ばれた男だけは正確に意味を理解していた。
「普通に強化が上手くいった場合は? 例えるなら、その装備を付ければギリギリ同じことが出来るかもしれない。そんな微妙な塩梅だ。その線引きはどうする?」
「その時は……放っておく。成果としては乏しいが、最終的にトントンくらいにはなるだろ。実質損になるが、それもまた経験だ。次に活かせばいい」
(そんなことはほぼないだろうがな……)
オルディンは確信していた。ロアが急激に力をつけた理由には何かカラクリがあると。それが何かまでは判らなかったが、動くにはそれだけで十分だった。
オルディンの態度から、大まかに決定したグループとしての方針に、今後起こりうる展開を予想したヤルダンが懸念を述べる。
「レイアやロディンたちはどうする。知れば反対するか、最悪こちらに敵対するぞ?」
「あいつらには事後に話が伝わるようにする。そうなれば反発しても何もできん」
「実際に裏切った場合はどうする?」
「仲間が裏切る前提で話を進めたら組織は立ち行かんだろ。信じようぜそこは。仲間なんだからよ」
二人の会話に周囲が困惑する中、オルディンの発言に「怖い奴だよ。お前は」とヤルダンは苦笑した。それを見てオルディンも口の端を吊り上げた。
(まっ……仮に事前に知ったとしても、どうすることも出来やしないさ)
仲間を誰より知っている男は、生じる懸念をあっさりと切り捨てるのだった。
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