第10話 ネイガルシティ支部
境域に点在する人類の生存拠点は、基本的に先史文明の遺跡が存在する付近に築かれることが多い。ロアが拠点にするネイガルシティもその例に漏れない。都市はあくまで、遺跡から遺物を持ち帰るための橋頭堡としての側面が強いためである。各都市において、遺跡の攻略と遺物の回収は何よりも優先される。したがって、都市が持つリソースの大半は壁内に暮らす住民はもちろんのこと、遺跡を攻略するためにも多くを割かれることになる。
見習いから卒業したロアは、最低限一端の探索者となったことで、ようやくその一端を知ることになった。
『おおー……ここが本物の探索者協会。俺が今までいた所と全然違う』
ロアの目の前に聳える巨大な建造物。それこそが都市内で最も利用者の多い、探索者協会ネイガルシティ支部だった。今までロアが利用していた買取所。そこと単純な大きさを比較するだけでも、軽く十倍以上は違っていた。
『遠くから見たことはあったけど……こうして目の前にあると、とんでもない大きさなのを実感するなぁ』
協会支部の前に立つロアは、口を半開きにしながらそれを見上げる。が、リアクションに対して声は実際には上げていない。胸中で呟く独り言のように、自分の中に存在する相棒へ語りかけていた。
『確かに私が実物を認識する上で当該建造物は相対的に無類の大きさを誇りますが、私の中にある知識ではこれ以上の物も当たり前に存在するのが前提だったので、些か残念さは拭えませんね』
ペロの現実的で辛辣な評価を聞いて、浮かれ気分でいたロアは意気を削がれたようにゲンナリとする。そして呆れた様子で言った。
『今ある建物は旧時代の技術を利用してるんだから、そこは仕方ないだろ……』
『それはそうなんですけどね。贅沢故の悩みというやつですよ』
『ますます分からん』と首を振るロアは、相棒の態度は今に始まったことじゃないからとスルーすることにして、協会内へ入ることにした。
他の探索者やそれに関連する人物に混じって、特に身分証や登録証などの提示も求められずに、中へと足を踏み入れた。
「……っ」
足を踏み入れた瞬間、ロアは思わず息を飲んだ。これまでに覚えのない独特の圧迫感を感じ取ったためだ。感じた空気の異質さに、身の引き締まる感覚を覚えた。それと同時に、これが買取所の男が言いたかったことだと直感した。
ロアの視界に映るのは、明らかに自身よりも優れた装備を身に纏う、歴戦の探索者たちの姿だった。遺跡に挑み、そこを徘徊する怪物を打ち倒し、価値ある遺物を持ち帰る。命懸けを生業とし、幾度も死地へとその身を投じながら、それでも生きて帰還する。彼らはそんな強者だけが持つ、特有の雰囲気を纏っていた。
その空気を浴びて、以前の弱い頃の自分では決して抱くことはなかった心境を、一瞬で肌身に感じることになった。体を緊張で固め、生唾を飲み下し、足が止まった。
及び腰になったロアへ、すぐそばから声が届く。
『ようやくここがスタート地点ですね、ロア』
緊張の糸を緩めるようにかけられた言葉を聞いて、強張った体からは力が抜ける。ロアはふっと頰を緩めた。
『ああ』
気負いは消して、覚悟が定まる。そしてようやく一歩を踏み出した。
新しく一人の少年が、探索者になった瞬間だった。
『来てみたはいいけど……これからどうしよう。あのおっさんに言われた、他の探索者を見とけって目的は果たしたわけだし、もうここですることないのかな?』
やたら広く天井が高い協会の内部で、ロアはそんなことをペロに問いかけた。
本物の探索者という存在をその身で体感したロアは、元々の目的を果たしたものとして既に帰ることを念頭に置いていた。本音の本音の部分では、協会の内部を自由に見て回りたい気分であったが、流石に自分のような駆け出しに毛の生えた程度の存在がうろちょろするには、非常に気後れする場所だと感じていた。
『せっかく足を運んだのですし、ここの施設について聞いてみてはどうですか』
『……それってどうすればいいんだ?』
『普通に受付の者に聞けばいいでしょう』
『なるほど』と頷きつつ、それくらいなら問題もないだろうと、ペロの提案により視線をある方向に向ける。そこには仕切られた長い台の前に、何人かが横並びに座っていた。数は違うが買取所で見覚えのある光景だった。
そこへと向かい、ロアは空いているうちの一人に向かって話しかけた。
『あの、ここで色々聞けると思って来たんだけど……』
ロアの呼びかけに、相手は特に反応を見せない。話しかけたのにもかかわらず、微笑んだまま首を傾げる受付の女性を見て、自分は何か対応を間違えてしまったのだろうかと、ロアは少しあたふたとする。そこに相棒からツッコミが入った。
『ロア、声が出てませんよ』
「あ……」
それに気づいたロアは間の抜けた声を発する。そして自分が犯したミスに気づき赤面する。『全くロアは間抜けですね』というペロの嫌味にも、恥ずかしさから反応できなかった。
「どうかされましたか?」
「い、いや! 問題ない! 大丈夫だから……!」
受付の女性に怪訝な顔をされたロアは、手を前に振りながら慌てて答える。その言い分に納得した様子を見せた女性は、「そうですか」とまた笑みを浮かべてみせた。自分が利用していた買取所にいた受付の男と違う、こちらを慮った相手の対応に、ロアは緊張と困惑を隠せなかった。
ペロに言われて一度深く呼吸をしたロアは、意を決して再び口を開いた。
「あの、ここに来たら色々説明してくれるって思って来たんだけど……」
「ここの御利用は初めてということですね。当施設の基本的な説明を一からお聞きしますか?」
「えっと、はい。お願いします」
「では説明致します」と、女性は懇切丁寧な口調で説明を始めた。
探索者協会とは文字通り、探索者を支援するための組織である。居を構える都市からの影響は受けるが、基本的に独立した組織として運営されている。
その目的は偏に、探索者の支援である。都市の外を闊歩するモンスターを討伐する。或いは先史文明の遺跡に挑み、価値のある遺物を持ち帰る。探索者が円滑で支障のない探索活動をサポートすることこそが、協会の存在意義である。
探索者に対する協会からの支援は多岐にわたる。遺跡の情報。モンスターの討伐強度判定。出現情報。出現予測。遺物やモンスター素材の買取。取引や売却の仲立ち。モンスター討伐や遺跡攻略、護衛などの依頼の仲介と発注。必要な人材の斡旋。探索に必要な道具や装備を揃えるための商店や企業の紹介。企業や壁内の有力者との顔繋ぎ。これらに加えて、探索者の成果に応じた実力や協会基準による信用度を含めたランク付けも行う。当然協会から与えられたランクが高いほど、受けられる支援も充実する。
細部は省略された大まかな説明を、解らない部分をペロに簡単に捕捉されつつ、ロアは根気強く聞いた。
「──以上で説明を終わります。何か質問はございますか?」
十分を超える説明がようやく終わる。必死に内容を記憶していたロアは、話が終わり思わず気を抜きそうになる。しかし、間を置かずそう聞かれたことで頭を捻った。聞きたいことは何かあるような気がするが、改めて聞かれると咄嗟に思いつかない。少しの間考えて、なんとなく湧いて出てきた疑問を口にした。
「それじゃあ、探索者って死んだらどうなるんだ? お金を預けられるらしいけど、それって死んだら知り合いとかに勝手に渡されたりするのか?」
その質問に、女性は意表を突かれたように目をパチクリとさせた。変なことを聞いてしまったかとロアは一瞬後悔するが、女性はすぐに表情を元の笑みに戻して口を開いた。
「探索者の遺産に関しては、基本的に血縁や配偶関係にあるご遺族に相続権が与えられます。ですが予め遺産の譲渡先を協会側に申請し定めていた場合、他人であっても、最大で六割の相続権がそちらに移ります。戸籍情報がない場合、又は遺族の方が既に亡くなり存在しない場合、若しくは相続権を記した遺言書などを用意していない場合などは、特別縁故者……被相続人と関係が深いと判断された者に一部が渡り、残りの権利は協会側に帰属する事になります。それと、特別縁故者の選定はこちらで適当に行われます。遺産を相続させたい相手がいるならば、そういった申請は事前に行うよう留意してください。簡単ならものならば無料で行えますので」
最後にそんな情報まで付け加えわれて、受付からの説明は終わった。
何気なく聞いただけの質問にも、詳細にスラスラと答える対応に感心しながら、ロアは相槌を打って聞いていた。そのロアへと、今度は逆にペロが問いを投げかけた。
『どうしてそんな事を聞いたんです?』
『うーん……ちょっとな。単純にどうなるか気になって』
『ロアが知りたいなら構いませんが、これから遺跡という死地に赴くのに死んだ後のことを聞きに来るなんて、おかしな人だと思われますよ』
『あー……』
ロアとペロが脳内会話を繰り広げていると、それを知り得ない女性が他に質問はないか聞く。ロアはまた少し考える振りをして、ペロとの会話を一旦打ち切ると、もう一つ質問を加えた。
「えっと……これから遺跡に行くんだけど、物を揃える店でオススメの場所はどこかあるか?」
ロアは今日に至るまで、探索者として必要な装備品や物資は、全てガルディの店で用意していた。今までのロアの実力ではそれで充分であったし、金銭的にも他の店で買う余裕はなかったからだ。しかし、これから一端の探索者として活動していくなら話は変わってくる。ガルディの店の品は確かに安いが、品質で言えば決して良くはない。探索者を顧客としている正規店に比べると、非常に悪いと言えるくらいだ。ガルディ本人からも、その事実を直接指摘された。自らの命を繋げる道具も装備も、これからは実力に見合った物を用意しろと。ロアとしては、客を手放す発言を店主自ら言うのはどうなのかと少し呆れたが、指摘事態は真っ当だと思ったので、言われた通りにしようと決めた。その時はまだ手持ちに余裕が無かったため、即座にそうするとはいかなかったが、これからのことを考えてこの場で店選びを行おうと思った。
問われた内容に、女性は先程とは違う戸惑いを見せるも、すぐにそれを取り繕った。
「……それでしたら、グラック&カバックでしょうか。GランクからDランク帯向けまでの品を扱っている、探索者向けの専門店です。初心者の方には無難にここがおすすめです」
その店の名前を記憶したロアは、他にもいくつかおすすめの店の場所を聞き出して、色々と教えてくれた受付の女性に向かって礼を述べた。そして流石にもうすることはないだろうと、遺跡に行く時間も惜しいので、この場を後にすることを決めた。
「あ、もし遺跡に挑まれるのでしたら、定期便もありますので、そちらをご利用ください」
最後にそんな助言まで受けて、ロアは頭を下げてからこの場を辞去した。
遠ざかる小さな背中を見送って、受付を務める女性マリオンは、周囲に気づかれぬほど小さく息を吐いた。
(あれだけ説明はしたけど、それも無駄になったかもしれないわね……)
内心で独りごちる。マリオンはそれなりに長い期間、受付として多くの探索者と言葉を交わし、またその姿を間近で見てきた。そんな彼女の意見からすると、ロアの姿はとても長生きできるタイプのようには見えなかった。
(さっきの新人……グラック&カバックの名前も知らない様子だった。身なりも貧相だったし、実際に登録証がなきゃ探索者かどうかも疑わしかった。一体どこのアホがランクを上げたのかしら)
ロアは知らなかったが、グラック&カバックはネイガルシティの探索者にはかなり有名な店である。指導役がいるならば、新人に教える候補の三番以内には入る程だ。知っているかもしれないと思いつつ、その店を薦めたマリオンであったが、その予想は外れていた。
(第一、遺跡というのはそんなピクニック気分で行く場所じゃないのに。ここで必要物資を用意する店を聞くって、本当に何を考えてるのかしら)
普通の新人ならば、先輩となる者から探索者としてのイロハは教えられるものである。同じチームやグループに属する探索者は、基本的に後輩への指導は惜しまないものだ。だからいくら新人とはいえ、物を知らないにも限度がある。ロアはそんな中でも一際例外と言えた。
(どうせ止めたところで止まらないだろうし、止める権利もこっちにはない。割り切るしかないのよね)
探索者になるのも活動するのも、全ては自己責任である。親類縁者や知己ならともかく、一介の協会職員にそれを止める権利は与えられていない。仮にマリオンが気遣いの気持ちからロアの活動を妨げても、彼女は上から叱責され厳重注意を受けることになる。探索者協会とは探索者の支援のためにこそ存在している。都市の法や探索者倫理に抵触しなければ、その活動を妨害することは許されない。
(それにあの子、周囲に仲間らしき人の姿がなかった。年齢も考えたら……そういうことなのでしょうね)
ロアの知識や装いから、マリオンはおそらく彼が、あぶれ者であることを察した。集団に属せず、必要とされなかった者たち。そういった者たちが行き着く先は大抵決まっている。ロアのような境遇の人間を見るのは、マリオンも初めてではなかった。
(それでも……もし仮に生き残れたのなら、大物になるかもしれない)
まだ十代半ばの年齢の子供が探索者になるのは、先史文明の遺跡が存在する境域では決して珍しい事ではない。寧ろありふれていると言っていい。都市の壁外民として生まれた彼らには、成り上がる手段が非常に限られている。壁内で生まれたからと言って順調に出世が可能というわけではないが、それでも壁の中と外では生活レベルの違いに天と地ほどの差がある。衣食住の揃った安定した生活というのは、壁内全ての市民が享受可能な当たり前の権利となっている。壁外で生まれた者達は、壁内で暮らす者達からのおこぼれで生きているのが実情だ。
そんな中で、唯一成り上がりの手段として老若男女問わず万人に与えられているのが、探索者として成功することだ。境域の支配勢力である境域指定都市連合は、境域に存在する全ての人間に探索者になることを推奨している。
しかし、基本的に余裕のある人間というのは命の危険がある職に従事することはない。生活に余裕がなくともそれはさして変わらない。だから都市と協会は、探索者に対して大きな飴を用意する。命を賭けるのに十分な見返りが用意されれば、そうする人間は幾らでも現れるからである。
探索者が持ち帰った遺物を高値で買い取り、探索者としての実力や実績を社会的な地位と直結させる。上位の探索者になれば、それだけで影響力も発言力も跳ね上がり、壁内外を自由に出入りすることも可能となる。一都市と同等の力を持つ個人という例も存在する。そうした都市や協会が発する施策やプロパガンダにより、特に探索者を目指す壁外民は多い。
探索者として成功すれば、望む全てが手に入る。境域にて成り上がる方法としては、最も単純で有効な手段として人々に広く認識されている。
ロアのように、外見や雰囲気が見窄らしい子供にも協会職員が丁寧な対応をするのは、彼らがいずれ一流の探索者になるかもしれない、その可能性が僅かでも存在するからだ。現在の一流やそれ以上とされる探索者の中には、孤児や貧民であった者たちも少なくない。可能性としては万分の一としても、事実としてそういった実例は存在するのだ。故に、協会職員は壁内で高い教育を受けた者がほとんどであるが、全員がまず始めに壁外民への偏見を態度に表さないよう教え込まれている。
自分が今しがた対応した少年も、そんな一人になるかもしれない。そんなほとんどありえない予想を最後に思い浮かべて、マリオンは一人の新人探索者の存在を、頭の片隅へと追いやるのだった。
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