彼岸の徒花は咲き誇る(下)
第43話 修道服と妖刀
「はぁー……」
私は溜息を吐いた。重苦しい空気から解放された後の安堵の溜息だ。
裏切られ、斜陽の憂き目に陥った陰陽師の大家、曼珠家。彼女らとの付き合いも、もうひと月経つのかと思うと時間の流れはたいそう早い。このままではあっという間に老いを迎えそうで、恐怖を感じる。もう既に、あっという間に三十余りの年を過ごしてきたのだから。
何の因果か一カ月前、曼珠家の現当主、曼珠リコを瀕死の状況から救い出した我々二人は、色々あって曼珠家の実質的な権力者である“ご隠居様”と取引することになった。
その内の一つは「実力の乏しい現当主、曼珠リコの怪異退治を手伝うこと」……話すと長いのだが、本来彼女は、当主になる予定じゃなかったのだ。だが、前当主の死に便乗して反乱が起き、一族郎党皆殺し。当主が居ない状況では組織の統制も取れず……そこで、彼女に白羽の矢が立った。陰陽師としての才も、当主としての才も無いというのに。
つい先ほど、我々は曼珠さんの部下である丑野さんと共に、陰気な場所に生まれた怪異を祓ってきたところだ。
ここ最近は曼珠さんの動きにも玄人染みた瞬間が垣間見えるようになった。足りない陰陽師としての才能を技術と運動神経でカバーし始めているようだ。
それで、我々がご隠居様と結んだもう一つの取引は「妖力と魔力に関する共同研究」を行なうことだ。向こうもこちらの力の正体を知るため、これを承諾してくれた。
曼珠家の本邸、彼岸邸の中にはいくつか部門が設置されている。鍛造部門、経理部門、外交部門、戦闘部門、などなど。
これは少々話が逸れるのだが、私はずっと疑問だった。陰陽師、どこからお金が出てるの? と。
見れば分かるように彼岸邸は非常に大きく、私の家の敷地面積の十数倍はあるように思える。それを管理する庭師もいる……お賃金も出ているのだ。
丑野さんに聞いてみた。なぜなら彼女は、現在“当主補佐”という役職に就いており、曼珠さん以上にこの家について詳しいためだ。
「お金ですか?」
「はい。どこから“職業”として成り立つぐらいのお金が出ているのかなー、って思いまして」
「経理部門が色々とやりくりしています。例えば、お祓いの依頼を受けたり……用心棒をしたり……不動産で稼いだり、などです」
「不動産?」
「はい。事故物件に怪異が生まれることは、そう珍しくはありません……これ以上は企業秘密ですので、申し訳ありませんが拙の口からは」
詳細な情報は教えてもらえなかったが、概要は理解できた。それにしても用心棒とか不動産業で稼いでいるのか……何だか、暴力団のシノギみたいだな、と私は思った。
「そういえば、今日は修道服をお召しになられていないようですが」
「色々あったんですよ」
ここ最近、私はダンジョンからの掘り出し物である修道服を着ていない。もはや私のアイデンティティと言っても過言ではないその服を着ていないのには理由がある。それを思い出すと、溜息が出る。これは安堵ではなく純然たる憂鬱の溜息だ。
結局、陰陽師たちには誰にも気づいてもらえなかった。私の妖刀が、少し短くなっていることに。
梅雨は明けた。向かう時には随分激しく降っていた雨だったが、帰りには雲の隙間から光が差し、傘を片手に引っ提げ、水溜まりで靴を濡らさぬよう気を付けて歩く夕暮れであった。
家に帰ってきた私たち二人は、覚悟を決めて二階に上がった。
二階は薄暗く、廊下の端には埃が積もっている。ここに住み始めてから長いが、二階の使用頻度は0に等しい。年末には大掃除で踏み入るが、それ以外は全く入らないため、いつの間にか埃が溜まっている。我が家の七不思議の一つである。
「……待て、七不思議? レン、お前の家、あと六つも不思議があるのか?」
「冗談ですよ、冗談……ああでも、増えることにはなりましたね」
「そうだな……」
ルインさんも気が重そうだ。しょうがない。アレを見てしまった者は、誰だってそうなる。私も気が重い。一体どうしてあんなことになってしまったのか。
私たちは、二階の奥の一室に辿り着いた。扉には厳重に封がされている。ルインさんが徹夜して作り上げた〈封印魔法〉の呪符……およそ20枚。部屋の中にもあと30枚ほど貼ってある。万が一でも出てこれないように。
扉周辺の床と壁には血飛沫がべっとりとこびりついているが、全部私の血である。
「……はぁー」
「……はぁー」
ルインさんと溜息が重なった。
けれども、コレには決着を付けなければならない。意を決して封を破り、扉を開けて……あっ、ビリっと来た。〈危険感知〉が、目の前から攻撃が来てると教えてくれて――
「くっ!」
扉の隙間から紅刃が飛来する。ギリギリ左手で掴み取り……あっ、まずい。この刃、私は絶対に触れちゃいけないんだった。
触れるとどうなるか……刃が蠢き、私の手のひらをズタズタに引き裂く。それ自体が意志を持っているかのように――いや、違う。“ように”、ではなく、持っているのだ。意志を。
扉を蹴り、ルインさんが真っ暗闇の中へと突撃する。部屋の中央にいた“それ”は赤い触手を伸ばし、彼女の身体を絡め取ろうとする。だが、全て、紙一重の隙間を縫って避けられる。
そして部屋の中央に佇むそれへと手を突っ込むと、一度藻掻いた後に動きを止めた。
「……ふぅ。一時的に眠らせることに成功した」
「お疲れ様です……大丈夫ですか?」
「ああ。吾輩の結界は並大抵の攻撃じゃ貫けないからな。それより、」
部屋の中は、名状しがたき様相に支配されていた。壁を這う紅い触手。それは呼吸するかのように脈動し、周囲の空気をぬるく染める。
全ての触手を辿った先にあるのは、ボロボロの修道服――私の服だ。ルインさんは指で作った円を通して修道服を観察する。
「……やっぱり、視えますかね? 妖力」
「ああ。やはり、修道服に内在する魔力と妖刀の妖力が混じり合っている。これは、まさしく“異文化交流”だな……研究のしがいがあるな!」
色々あって“妖力”が視えるようになったルインさんは、容赦の欠片も無く触手を一本引きちぎった。
「はぁー……」
私は溜息を吐いた。つまるところ、何があったのかというと……
融合したのだ。
修道服と、妖刀が。
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