sidestory:更級侍義那は煙を吐く
第37話 警察内にて
前書き
この小説はフィクションです。実在の人物及び団体とは一切関係がありません。
―――
警部補である
暴力団の幹部は全て逮捕したが、組長だけは騒動の中で逃走。そのことがジギナの中でしこりを残していたものの、久しぶりに家に帰ってきたジギナはすぐに眠ることにした。
警部である彼女の父、昏睡状態から復活した
摘発の時も銃撃戦が起きたが、病院生活での衰えを感じさせない百発百中の腕前を見せ、彼は幹部を三人逮捕した。また、団の違法事業を突き止めたのも彼だ。多大なる成果を挙げた彼および何名かの警官は選抜による昇任が噂されていた。
しかし、実際に選抜されて昇任したのはジギナ含む数名のみで、更級英夫は昇任しなかったことに、ジギナは上官に直接訴え出たのであった。
◆◆◆
「――本部長」
「……どうしたんだい、更級警部補、いや、警部だったね。昇任おめでとう」
しわがれた声。初老を過ぎ、髪のほとんどが白に生え変わってしまった県警の本部長はデスクで書類を眺めていたが、来客の音を聞いてそちらの方を見た。
手のひらでデスクを叩くような勢いだった。彼女に欠片程の冷静さが無ければ、すぐにでもそうしたに違いない。
深呼吸し、自分が伝えたいことを頭の中で反復してから口を開いた。
「率直に伝えさせていただきます。どうして更級警部……父に昇任の辞令が下っていないのでしょうか」
「身内贔屓の主観的な行動は控えてくれるかな」
「客観的に見ても! ……赤花組の組織壊滅は父の尽力があってこその結果です。今一度、再考の余地が無いかご検討のほど、よろしくお願いいたします」
「ふむ」
本部長は立ち上がり、窓の外を見た。
「それでも昇任は無しだ。英夫くんは少々頑固すぎる。上に就くべきなのは、柔軟な人間なんだよ」
本部長はジギナの肩に手を置いた。汚れ一つ無いが、代わりに硬いペンだこが幾つもできている、デスクワークだけをしてきた人間の手だった。
「君も、もっと昇任したいならもう少し柔軟な思考を身に付けたまえよ」
「っ……! どこに、行くのでしょうか」
「トイレだ」
そう言い、本部長は部屋を出た。
その後、ジギナは他の上官にも同じようなことを直談判した。だが、皆、同じようなことを言って彼女を軽くあしらった。
彼女は聡明だ。故に、理解していた。
上に行くために必要な物は実績や成果などではなく、上に取り入る力とコネなのだと――矛盾している。警察は弱者を守るためにあるのではないか? だったら、そのような力を付けたところで、意味は無いはずだ。
更級侍義那、階級:警部、28歳。
彼女はまだ、大人の社会で生きるのには、青かった。
◆◆◆
喫煙室の中には先客がいた。更級英夫、ジギナの父だ。
彼もまた愛煙家である。喫煙者の子供も喫煙する確率が高いと言われているが、ジギナのヘビースモーカーも父親の影響を受けてのことだ。もっとも、家で更級英夫が娘の前で喫煙することはほとんど無かったが……
娘はいったいどこで喫煙し始めたのか。英夫にはそれが謎だった。
それはそうと、彼は今しがた娘の昇任について聞き付けたところで、タバコを口から放し、ようやく精力を取り戻し始めた痩せこけた頬に父親としての笑顔を浮かべた。
「父さん……タバコは医者に止められてるだろ」
「いいじゃねぇか一本ぐらい。それよりジギナ、聞いたぞ。警部に昇任したんだってな。いやー、ついにジギナも俺と同じ階級か。天国の母ちゃんもきっと喜んでるはずだ」
「父さん……父さん、私は思うんだ。警察の仕組みっておかしくないか?」
思い切って、ジギナは自らの想いを吐露した。自分の父がこれまで積み重ねてきた努力が一切報われず、無かったことにされているのが悔しい事。彼女にも見えてきた警察の矛盾、そして腐敗。
「父さんはどう思うんだ? あれだけ頑張ったのに、結局上に気に入られていないから全部無かったことのように扱われて……私が昇任するくらいだったら、父さんが」
「ジギナ」
名前を呼ばれ、涙を堪えながら父の方を向いた。すると、額を指で弾かれ、ぺちっ、と軽い音が鳴った。
「いたっ」
「全部無かったことのように、だとぉ? バカ言うんじゃねぇ。俺がやってきたことは確かにこの町に残ってんだよ。俺が頑張って悪い奴らを一人でも多く捕まえれば、その分一人でも多くの人が何事も無く一日を過ごせるってことさ」
タバコを吸い、煙を吐く。
彼はポケットから「K・S」とイニシャルが入った痛んだ絹のハンカチを――妻の遺品を取り出し、娘の涙を拭う。
「……
そんなことを言われては、もう何も言い返すことはできず、ジギナは「うん」とただ一言返事を返した。
更級英夫は付け加えて「それに、警部から警視になって座りっぱなしになっちまったら、腰ぃ、悪くしちまいそうだからな! ははっ!」と、茶化すようにそう言った。
確かに、本部長も猫背気味になっていた。対して父さんは背筋がピンと伸びている。産まれた頃からずっと、その背筋が曲がったところは見たことが無い。
自分が目指している父の背中。その大きさを再び目の当たりにして、ジギナは誇らしくなった。
二人はタバコを灰皿にこすりつけ、自らの職務に戻ることにした。
もう既に舗装された道は過ぎた。警部となったジギナがこれから見るのは父の背中ではなく、父とは違う道である。
喫煙所の出口を出た二人は、それぞれ別の方向へと歩いた。
◆◆◆
「――いやー、しかし、更級さんは大学で同期だったころからどこか違う女の子だなと思ってたけど、まさか28歳で警部になるなんてねぇ」
「そういう君も警部補だ。すぐに私に追いつくさ」
人事異動したことによる煩雑な業務を終えたジギナは休憩室で級友である優男と談笑をしていた。
女のように細く、端麗な容姿の彼の名前は「
彼はジギナとは別の課に配属されており、そのため今回の暴力団関係の案件には関わっていない。代わりに彼は殺人や強盗、傷害事件等を担当している。
ジギナが彼と出会ったのは実に三か月ぶりのことだ。久しぶりに職務中に休憩時間が取れたジギナが休憩室に赴いたら偶然彼と出会ったのだ。
「あいつは元気か?」
「うん。元気だよ」
“あいつ”とは二人の共通の同期――武藤は左手の薬指に嵌めた結婚指輪をジギナに見せた。
「それは良かった。もしお前があいつを泣かせようものなら……例えば、浮気でもしようものなら、今すぐにでもお前を殺すからな」
「はは、警察がそんなこと言わないの。まあ肝に銘じとくね」
ジギナと武藤が国家公務員一般職試験を受けると聞き、彼女も受けようとしたが結果は不合格。結局、地方公務員として市役所に勤務することになったため、その後ジギナが彼女と会う機会は一度たりとも無かった。
二人が卒業と同時に結婚したと聞き、一番驚いたのはジギナだった。親友だった二人が結婚したことで、自分より少し遠くに行ってしまったような気がして彼女はどこか寂しさを感じている。
「そういえば、兼良。覚えているか? この前の……“犬男騒動”」
「ああ、スティラーテト社の。あったねそんな騒動」
犬男騒動。
現実には在り得ない
覚えているのは、被害を受けた当事者だけだ。
某“30代社畜男性(現:10代性転換無職コスプレシスターバーサーカーゾンビ)”により被害は奇跡的に最小限に抑えられたことをジギナは知っている。
だが警察はその情報を掴んでおらず、騒動による行方不明者の足取りや構造物の正体、電波障害が起きた理由などについては数週間経った今でも何一つ分かっていない。
それでも、あそこに在ったことは事実である。警察内でも実際に多くの人間がその目で見ているのだから。
「何? もしかして更級さん、あの騒動が気になるの?」
あの騒動の顛末をほんの少しばかり知っているジギナは曖昧に答えた。
「まあ、そうだな。色々と気になっている。あの日以降、何かおかしなことは起きてないか?」
「おかしなこと? ああ、確かに起きてるよ」
彼は言い澱むことなくそう答えた。一瞬たりとも記憶の中から思い出すような間が無く、遠くに並べた情報を眺めるように目線を細め、眉をひそめた。
ということは……
「なるほど。随分と頭を悩ませている案件なんだな」
「相変わらず、人の心を読むのが上手いね……その通り。あの日以降、ここいらで奇怪な殺人事件が続いているんだよ」
「聞かせてくれ」
「えーと、まず……」
一件目――路地裏に放置された焼死体。
二件目――肺が水で満たされた水死体。
三件目――首が切断された死体。
どの殺人事件も、被害者が犯人に対して抵抗したような痕が残っていない。また、死亡推定時刻はどれも平日の午後1時~2時頃。現場の周辺に監視カメラは一台も設置されておらず、故に手掛かり一つ、見つかっていない。
「三件目に至っては刃物の特定も不可……まるで『魔法』みたいな手口だよ」
その言葉に、ジギナはドキリとした。
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