第33話 『起動』

   ◆◆◆


 レンが地震により分断された後、視聴覚室の床から真下にぽっかりと空いた暗く、長い縦穴を見て、迷わずルインはそこに飛び込んだ。


「……くっ!」


 しかし一階まで落ちたところで、縦穴はまるで生き物が自らの傷を癒すように塞がってしまい、彼女は両手に握った呪符を使い、風を巻き起こしてそっと着地した。そこは先ほど休憩を挟んだ教室で会った。


 真上を見ると、二人もルインを追って二階の穴から飛び降り、一階に落ちてくるところだった。丑野は両膝を曲げて衝撃を吸収して着地した。だが、リコの方は着地の衝撃で左の義足が外れてしまった。


「いったぁ……あれ? 穴が塞がった?」


 真上を見上げて義足を嵌めながら、リコは首を傾げた。


 普通、建物が自分で自分を直すことは無い。しかしルインはその現象に心当たりがあった。


(ダンジョンの自己回復か……普通、ダンジョンの障害物は破壊できないのだがな。やはりこのダンジョン自体が吾輩の知らない状態にあるということか……まったく、異世界は未知数だらけだ)


 丑野はペグを軋む床板に突き刺した。ルインはそれが無駄なことだと思っていた。


 彼女の常識では、ダンジョンは破壊不可能。ダンジョンの最奥に潜む“ボス”を倒し、ダンジョンに魔力を供給し、魔物を生み出しながら結界を維持する“核”を取り除かない限りその構造は破壊できない。


 彼女の予想では鎧武者は“中ボス”であり、倒したことでどこかが……おそらく机と椅子のバリケードが通れるようになっている。そうして様々な手段を踏み、ボスを倒して……攻略手順はそのようになっているはずだ。


 だが、このダンジョンは彼女の常識の範囲内には無かった。


 ペグが床に刺さり、床板はじわじわとその傷を癒そうとしている。この廃校がダンジョンとなった瞬間の姿へと。


 つまり、破壊できる。


「はぁー」


 その可能性を見出した瞬間、彼女は溜息を漏らした。できれば使いたくは無かったが、と不平を呟きつつどうするのかはもう既に頭の中で決めていた。


「どうされますか」


「……ふぅむ。二人とも、少し離れてくれ」


 彼女は何かを企てている。二人はすぐにそれを理解したが、彼女が何をするまでは思いつきもしなかった。


 二人は教室の端まで離れた。しかしルインは、まだ近すぎる、と言った。


「あの、いったいどれくらい離れればいいんですか? それに何をするつもりなんですか?」


「いいから黙って吾輩の言う通りに動け。従わなければ」


 ルインは暗闇の中の猫のように真ん丸な瞳孔で彼女を見つめた。


「火傷じゃ済まないぞ」


「……はい」


 彼女の言葉の圧に負け、首の裏に冷たい汗を流し、リコは教室の外に出た。丑野もリコを追って教室の外に出たが、その興味はルインの方に向いていた。


(……その力、拝見させていただきます)


 彼女の任務は曼珠リコの手助けと、ルインら二人の観察。


 観察した結果、レンの能力はおそらく「自分と他人の肉体の能力を活性化させる力」と踏んだ(実際には違うが)丑野であったが、未だにルインの力の正体は掴めずにいた。


 彼女は老獪だ。


 こうして仲間がピンチにならない限り、力の一端すら見せなかったに違いない。だから、これはチャンスである――と、言うとまるで丑野がグルのように聞こえるが、彼女とこの地震には何の関係も無い。偶然の出来事だ。


 これでようやく任務が果たせる。丑野は内心、安堵していたのだった。


(彼女は、何をするのでしょうか)


 ルインは教室の中心に立ち、右手の握り拳を振り上げ、それを床に叩き付ける。床板はミシミシと危うい音を鳴らし、そして割れた。


 いったい何をするかと思えば、ただ拳を叩き付けただけ。


 このためだけにわざわざ自分たちを外に追い出したのか? だが、丑野には、そうは思えなかった。


 彼女の予想通り、地面に叩き付けてそれで終わり、ではない。


 両目を見開いたルインの右腕に灼熱した紋様が走る。それはまるで鋳型のようで、同時に周囲の気温が著しい上昇を見せていた。教室の外で見ている二人の額に、汗が滲み始める。


 彼女は再び右手を振り上げる。


 教室全体に灼熱した幾何学模様が刻まれる。非常に熱されているのだろう。上昇気流で彼女の纏っていたローブはふわりと靡く。


 その瞳は、紅く輝いていた。


 その身体から、獣の耳と尻尾が逆立っていた。


「――全て、灼き尽くせ」


 規格外魔法〈火竜の咆閃ドラゴニック・ブレイズ〉――総ページ数、581ページ。


 かつて大陸中の数々の国を融解させた伝説の火竜のブレスを再現したその規格外魔法はルインの右手に収束する――だが、抑えきれず、その余波は教室のガラスを溶かし、溢れ出た熱線が廊下を走り、廃校を焼き尽くそうとする。


「何ですか、これは……ルイン様は、何をっ!?」


「離れてください、お嬢様!」


 教室の外の声をルインは収束した光を、床に開けた穴に叩き込む。


 全ての熱が、地面を貫通する。



「……終わった?」


「ええ……そのようです」


 頭を上げると、教室の壁が丸ごと無くなっていることに気づいた。その中心に彼女は佇んでいた。獣の特徴は、全て露わになってしまっている。


「……行くぞ」


 地面には、地震で開いた穴より何倍も大きな、教室一つを丸ごと飲みこめるほどの大穴が開いていた。


 彼女はそこに、迷いなく飛び込んだ。


「……この高さから落ちたら、普通は死ぬんですが」


 廃校という生き物の身体に開けられた焼けた大穴は、どうやら治すのに相当時間がかかるらしい。傷口は蠢くも、すぐに再生しない。


 先の見えない大穴の奥から吹く冷たい風は、リコの前髪を微かに揺らした。


   ◆◆◆


……左腕が、無い?


「はぁー、それ程度か?」


 地面に転がった私の左腕は回転しながら舞い上がり、彼女の手のひらに収まった。一緒に切り取られた修道服の袖は傍に捨てられ、生身の腕は……


「あー……ん」


 枯れ枝を踏むような音と共に骨が噛み砕かれる。


 鮮血滴る私の腕は、姿形も残されなかった。


 自分の身体が食われる気分というのは、想像通り心地良い物ではない。喉の奥に苦い物が貼り付けられるような気分だ。


 だが、しかし、治せば……



・アサタニ レンLv.4 80%→80%



……ん?



・アサタニ レンLv.4 80%→80%



 どういうことだ? 何度癒そうとしても、傷が治らない。


 この手ごたえは過去にも感じたことがある。曼珠さんの左足に回復魔法を掛けた時と一緒だ。存在しないものを癒そうとする虚無感が伝わってくる。


 何故だ? 何が原因だ? 彼女に腕を切られたこと? それとも腕を食われたこと? あのローブの男が何かをやっている? ダメだ、何も分からない……


 それよりもまず、攻撃の正体を探る方が先だ。今、私の腕を刈り取った攻撃の正体……それは、おそらく「風」だ。


 攻撃の直前、彼女は右手を縦に振り払った。すると、床に薄く溜まった水がほんの少し波紋を広げたのだ。ちょうど、こちらに向かって。


 それに、私の腕が彼女の手のひらへと飛んだ時にもほんのり風を感じた。水溜まりも渦を作っていた。ただ、これらはあくまで予想であり、実際に試してみないと分からない。


 タイミングは一瞬だ。手を振り上げた瞬間……


「ほぅら……次だぜ!」


 来た、今だ。



・アサタニ レンLv.4 80%→75%



 反射的に妖刀を横に薙ぎ払うと、何かを断ち切った手ごたえを感じた。だが、勢いを完全に殺しきれなかった。見えない斬撃は二つに分かれ、右脇腹と肩が血に染まる。



・アサタニ レンLv.4 75%→80%



「ふーん、それがおまえの能力か」


 この傷は治るらしい。となると原因は彼女の攻撃ではない……視界の端のローブ姿の男が何かした、という訳でもなさそうだ。


 となると原因はおそらく一つ。彼女に食われることだ。


 食われてしまえば、その部位に回復魔法は効かなくなり、人間離れした自然回復能力も無意味となる。食われることだけは避けなければならない……まあ、普通に生きていく上で自分が食われることを良しとする機会なんて無いだろうが。


 三度目の風。


 風であるなら切っても意味が無い。ならどうすれば……そうだ。妖刀の側面に沿わせて受け流せばっ……いい!


 風の刃は私の背後へと飛翔し、爆発音を立てて壁に衝突する。


 振り返ると、岩石の表面は抉られていた。その有様はまるでバターにナイフを突き立てたかのよう。なるほど、これなら強化魔法による防御を突き破れるのも頷ける。


……これで、攻撃方法は理解できたわけだが、他に私に何が出来る? どうすれば彼女に勝てる?


 私の手札を順に頭に並べろ。


〈回復魔法〉

〈強化魔法〉

〈認識阻害魔法〉


 膂力、自己再生能力。


 妖刀。


 たった、これだけ……いいや、まだ残っている。


〈魔法活用・集中〉


 頭の中で組み立てろ。この手札から全てを覆すための「革命」を見つけ、



――私の左足が落ちた。



 ここで勝って、彼らが何者なのかを突き止め、



――私の右足が落ちた。



 そして上に、戻らな――あれ?



――私の右腕は、中指と薬指の間から裂かれ、白い骨が露わとなった。



 どうして、私は立てないんだ? 私の足は? 指は? どこ行ったんだ?


 あれ?


「……きょーざめだ。思ったよりも弱すぎだぞ、おまえ」


「予想通り、期待外れの戦いだったな。いや……これじゃ戦いですらないか」


 向けられるのは失望の目線。彼と彼女は二人とも、高い位置から私を見下ろしている。まるで私を、路傍の石のように思っている。


「まだ、終わって……」


 ない。


 そう言い切る前に、私の意識はプツリと途切れた。


   ◆◆◆


「――谷くん」


 聞き慣れた声だ。


 十数年、一日たりとも休みなく聞き続けた声であるが、私はその声を聞いて、まず嫌悪感を催した。例えるならばゴキブリの歩行音。彼の喉の奥には、きっとゴキブリが巣を作っているに違いない。


 私はぼんやりと、声に引かれて浅い微睡まどろみの中から浮上する。


 そこには、上司がいた。


 相も変わらず気味の悪い薄ら笑いを浮かべていた。いつも笑っているのは、自分よりも下の立場の人間を前にしているためだ。この男の人生にはそれくらいしか誇れることが無いのだ。


「昼寝かい、浅谷あさたにくん。良いご身分だね」


「え……あっ! すみません、■■課長!」


 机の上のデジタル時計を見ると、今は■■時だった……


 あれ? ■■時だよな? ■■時って、何時だっけ……?


「時計を見てどうしたんだい? はやく仕事に戻りなよ。納期はまだ先だけど、クライアントが何を言うか分からないからね」


「はい、分かりました!」


 ああそうだ。今、私は仕事の真っ最中だ。先日依頼された「工程管理システム」のプログラムのコードを打っていたはずだが、疲れが溜まっていたのか昼寝していたらしい。


 約十年、この会社に勤めてきたが昼寝したのは初めてだ。心の奥から込み上げてきた恥ずかしさによって私の肌が焼けそうなくらいに赤くなる。


 ああ、でも、仕事をしなければ……


 私には、それしか出来ることが無い。


 それが私の価値なのだから。


「浅谷くん」


 誰かが、私を呼んだ。


 知らない声だった。このような優しい声色を持つ人間は、この会社にはただ一人として存在しない。


 誰かが私の肩に手を置いた。


 白く嫋やかな指をしていた。この会社に所属する女性は、せいぜい清掃員だけだ。


「あなたは……」


「私? 私は――」


 彼女は自らの名前を名乗った。けれどもそれは、私には聞き取れない、どこか遠くの国の言葉のようだった。


 私は振り向き、彼女の顔を見た。


 そこには私によく似た人物が立っていた。浅谷蓮ではない。レン――彼女わたしが成長すれば、きっとこの人のように大人っぽい姿になるに違いない。


「それより、浅谷くん。早く戻ったらどうだい?」


「戻るって……ああ、仕事、しないとですよね」


「うん。『起動』するんだ」


 目の前のパソコンは電源が落ちており、真っ暗なディスプレイには私一人だけが映し出されている。それに気づいて振り向いた時には、彼女の姿はそこに無かった。


 彼女は幻だったのだろうか。いいや、なんだっていい――


   ◆◆◆


「……『起動』、しないと」


 うわごとのように、私は呟いた。


 夢と現実が混ざり合う。三本しか指が残されていない右手で地面を力強く引っ掻くと、爪が捲れ、赤いラインが引かれる。痛みで今にも事切れそうな意識を繋ぎ止め、奥歯を噛み締める。


 人差し指に力を入れ、机の上のパソコンの電源ボタンを強く押し込む。



起動アクティベート



 私の瞳は、あおく輝いた。

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