第23話 異世界視察
どうやらルインさんはずっと今日という今日を待ち望んでいたらしい。
前に日本語の勉強に使っていたノートがあったと思うが、先日ついに4冊目に突入した。しかし私に見せてくれたそれには、びっしりと「異世界視察予定場所」について記されていた。
聞くと、デスクトップPCが使用可能になってから地図アプリを使ってこの町の地理的情報についてずっと調べていたようだ。
地理を制する者は戦を制する。
いつの日か戦う時に備えて調べていたが、いつの間にか異世界の娯楽にばかり目が向いてノートにメモしてしまっていたのだとか。そういうところがかわいらしい。
外に行くにあたり、一つだけ懸念すべきことがあった。
「……私もルインさんも、顔見られたらマズいですよね? ルインさんに至っては耳と尻尾も」
「案ずるな。サラシナの奴にはもう見せたが、吾輩には〈肉体変化魔法〉がある」
詠唱すると彼女の特徴的な耳と尻尾がポンと消え、それと、赤銅色の髪も濡れ鴉のようなしっとりとした黒色に変わった。
どうして髪色まで? と思ったがこれも向こうの世界で教会から逃げるために得た知恵の一つで、髪と瞳の色が変わるだけで同じ人間だと気づくのにラグが発生して町中ですれ違った程度では認識できなくなる。〈認識阻害魔法〉を併用すれば視ただけではまず我々に気づけなくなるらしい。
「〈肉体変化魔法〉、私も使ってみたいですね。」
「先に言っておくがこの魔導書は114ページ、つまり『規格外』だ。いくら魔法の才能があったとしても中級のようにはいかないぞ?」
規格外の魔法だと? 初めて見た。中級ですら脳みそが削られるような苦痛を味わったのだから、それ以上の痛みなんて発狂死するのでは?
まあ、仮に覚えたとしても何に変化するのかという話だが。
聞く限り、どうやら〈肉体変化魔法〉で自分の質量・体積以上の物に変化するのは難しいようだ。顔や身体付きを変化させることに至っては不可能だと断言された。
まあ、そんなこんなで我々二人は二日酔いの様子なぞ欠片も見せぬまま、めいめい普段着以外のお気に入りの服を着て初めての異世界視察、もとい町内観光を始めたのだった。
私はこの前買った白のワンピースを着た。
ルインさんは私が買った黒のワンピースを着ていた。
よく考えたら、余所行きの服なんてこれしか持っていなかった。
◆◆◆
「まずは朝食だ!」
「……朝食? ここで、ですか?」
「ああ!」
イタリアのチンクエテッレという建物を日本にそのまま引っ張ってきたように良く目立つ緑色の建物の窓からは女性がたくさんスイーツを食べているのが見える。
目を擦ったけれども、そこは紛れも無くスイーツビュッフェ、つまりお菓子の食べ放題だった。この辺りは何度か通ったことがあるのだが、この店に目を向けたことは一度も無い。ここにスイーツビュッフェがあったのか、初めて知った。
ジャムの乗ったパンケーキ程度なら朝食に良いかもしれないが食べ放題となると流石に重すぎる。主に、カロリーとコストパフォーマンスの両方の面で。
「ええと、どうしてここを?」
「吾輩の世界には塩気の効いた美味い肉はあるが美味い菓子は甘味料の量産方法が確立されていないがためにてんで数が少なく、そのどれもが高級品だった。しかし異世界では、なんと砂糖が庶民の間にも普及しているとのこと! これには吾輩も驚いた。吾輩は、甘い食べ物など専らフルーツしか口にした事が無い。だから知っておく必要がある! 菓子を腹一杯食べたらどうなるのかを!」
太りますよ、という言葉は胸の奥にそっとしまった。
90分、一人で税込み3,000円、二人で5,500円……朝食にこの値段はやはりキツい。一応、現在の貯蓄と比較するとまだまだ余裕の部類に入るが。
そういえば貯蓄で思い出した。
約10年間、必死に働いてきたはずの私の退職金って……
いや、忘れよう。確か7桁は越しているはずだが、もう手に入らないであろうそれの額について考えてしまうと朝食が不味くなる。
スイーツビュッフェできっかり90分間、満腹になるまで古今東西様々な菓子で腹を満たした我々は、次の場所へと向かった。
◆◆◆
「ふぅー……5,000円以上は食べましたね」
「ああ、幸せだ……もう帰ろうか……」
いや待て。まだ朝の11時だ。このままではスイーツビュッフェで店側が原価割れするくらいに食べた思い出だけで終わってしまう。せっかく初めて外出したのだ。もう少し楽しまなければ損である。
手に持った黒いビジネスバッグを開け……うわっ、微妙に血生臭い。ダンジョン登った時に何度も血を浴びてきたからか匂いがこびり付いてる。全然気づかなかった。洗って落ちるだろうか。不安だ。
血生臭いバッグの中からルインさんのノートを取り出し、中を確認する。
ふむ……ならば、次はここに行くとしよう。
「ゲームを買いに行きましょうか」
「おぉー、行くか!」
◆◆◆
配信中に「他のゲームはやらないの?」という質問が来たことがある。それに対しルインさんは「その内やりたいとは思っている」と答えていた。
そのためだろう。ノートに自宅周辺のゲームショップをメモしているのは。
ここから一番近いゲームショップに到着すると、ルインさんの目は鷹のように鋭くなった。獲物を見定めている。獲物とはつまり、どのゲームを買うべきか……
最初に手に取ったのはいつもプレイしているゲームと同じようなFPSのゲーム。しかし、一瞬考えた後「代り映えし無さそうだ」と言って棚に戻した。
次に手に取ったのは勇者が仲間達と一緒に魔王を倒す王道RPGだ。しかしこれは考えるまでも無かったようで「魔王……名前すら聞きたくないな」と呟き棚に戻した。どうやら嫌な思い出があるらしい。
そして、その次に手に取ったのは無理やりローンを組まされた主人公が無人島を開拓するほのぼの系ゲームだ。
先の二つと違い、これを見つめるルインさんの瞳には輝きが湛えられていた。どうやらこれがお気に入りのようだ。
「買いましょうか」
「えぇっ……いいのか? 吾輩も既にこの世界の貨幣価値を理解している。6,000円は高い方だぞ? それに……本体も買わなければならない。たかだか吾輩一人のためだけにそんなに金を使わせては……」
「いえいえ、このゲーム、二人で遊べるんですよ。ほら、ここに書いてありますよね? だからルインさんと一緒に遊びたいなー……って。このゲームならFPSと違って私でもプレイできると思いますから」
二人で遊べるというのを聞いたルインさんは打って変わって手のひらを返し、多少の遠慮はあったがこのゲームを買いたいと言ってくれた。
本体とゲームソフトを買い、そして我々は図書館に行ったり、屋台の食べものを買い食いしたり、自分の好みの服を買ったりして町内観光を楽しんだ……
カラスの鳴き声が、もう夕暮れだということを教えてくれた。
「……そろそろ帰りましょうか」
「そうだな。あっ! こっちからの方が近道だぞ!」
「へぇー、そうなんですね」
この町に何年も住んでいたはずの私よりも、もはやルインさんは町の地理的情報を熟知している。自宅への近道らしい入り組んだ路地へと我々は入り込んだ。
少々、ホコリ臭い。ジギナさんと一緒に向かった廃墟への道のりもこんな感じだった。ゴミとホコリと吐瀉物、あと時折血が飛び散っているのを見ると、あれだけ輝いていた町の暗い部分はこんなにも汚れていたんだなとつい感慨深くなってしまう。
〈肉体変化魔法〉の効果時間はおおよそ8時間ぐらいで、すっかり元の姿に戻ってしまったルインさんは服屋で買ったチャック付きの黒いパーカーで頭を隠していたのだが、フードの下の耳がピクピクと動いた。
「……ん?」
「どうしたんですか?」
「いやなに、今、こっちの方から呻き声が……なっ!?」
「一体何が……えっ?」
路地を右に進んだ先、そこにはおそらく女子高生なのだろうか? 制服を着た、まだ垢抜けていない童顔の女の子が横たわり、微かに胸を上下させて呼吸をしていた。髪に入った赤いメッシュが妙に目を引く。
彼女を見て、我々は驚愕した。
彼女には、四肢が無かった。
本来四肢が繋がっているべき場所には荒波の形をした傷跡が付いていた。まるで獣に食い千切られたみたいだな、なんて思った。
ここで何が起きたんだ?
いったいどうして彼女の四肢が無いんだ?
そういった疑問は後で考えるとして、今は彼女を助ける方が先決だ。彼女の四肢の付け根の傷跡に手を当てて〈回復魔法〉を使用する。
傷跡がブクブクと泡立ち、無くなったはずの肉体が徐々に元の姿を取り戻していく光景は気色悪い。おおよそ20秒ほど、肉体が再生していく気色の悪い光景を眺めた。
魔法を掛け終えた頃には、彼女の四肢はすっかりと元通りに……なっていない。左足だけは膝のところで再生が止まっている。何度掛け直しても、左足は治らない。
「ふむ。この少女はだいぶ前から、あるいは産まれた時から左足が無いようだな。そこに義足が落ちていたぞ」
「なるほど、そうなんですね」
回復魔法ではこういう、産まれつきの部位欠損とかは治せないようだ。また新たな弱点が見つかったな。
だが、その後ルインさんが私に向けた視線は、ゲームショップ内でゲームに対して向けていたそれと大差なかった。非常に訝しんでいる。
「……レン、改めて聞くが、お前のそれは本当に『下級』の〈回復魔法〉か?」
「ええ、そのはずですが?」
「いいや違う。下級では部位欠損を治すことは出来ない。『中級』でも千切れた部位を繋げることが限界だ。無から肉体を再生させる、そんな芸当が出来るのは、『上級』か『規格外』の〈回復魔法〉だけだ」
……えぇー? どういうことだ?
私が使っていた下級魔法が、実は下級魔法じゃなかった、ということか?
「でも、確かに私は下級の魔導書を読んで回復魔法を習得しましたよ? それなのに上級以上の効果が出るなんて、私には皆目見当……」
「んっ……ここは……」
傷が治ったからか、制服の女の子が眼を覚ました。
「とりあえずその話は後にしようか……おい、自分の名前は分かるか? ここで何が起きた? 吾輩達に教えてくれ」
「わたくしは……」
我々は、彼女の言葉を聞き、またもや驚愕した。しかしそれは先ほどの恐ろしさから身震いするような驚愕とはまた違っていた。
この驚愕は――
「わたくしは、陰陽師、
――未知を前にして背筋が凍りつく。そういう驚愕だった。
体力の限界か、それだけを言い残して彼女、曼珠リコはコテンと眠りこけてしまい、そのまま寝息を立て始めた。
陰陽師……これまた、面倒なことに巻き込まれたような、そんな気がした。
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