第13話 ナチュラルダンジョン
――今回のダンジョンは、異世界から送られてきたモノではない。魔力の澱みから自然に発生したモノだ。
ルインさんはそう言っていた。
ダンジョンとは〈迷宮封印結界〉によって封印された物が設置された場所のことのではないのか、と聞いたがその認識自体は合っている。
元々魔力の澱みから発生するダンジョンは自然現象の一つであったが、その時には名前が付いていなかった。〈迷宮封印結界〉によるダンジョンが発明されてから、似た現象であるこちらもダンジョンと呼ばれるようになったのだとか。
現在では、このようなダンジョンは「ナチュラルダンジョン」と呼ばれている。
……車の中、もう少しタバコ臭いかと思ったが意外と臭くないな。ヘビースモーカーだが車で吸わない人間なんだな、更級さんは。
病院から二十分ほど揺られ、事前に教えられていた場所の近くで車を停めてもらい、降りてからビルとビルの間の暗い路地を何度か曲がり、埃だらけになりながらも我々はついにダンジョン化した建物を見つけた。
うーむ、どこからどう見ても……
「廃墟にしか見えないな」
「廃墟ですね」
・棄てられし廃墟/小規模ダンジョン 進捗度:0%
遠目からでも目立つように設置された屋上の看板は長い間雨風に晒され、とっくの昔に腐食しきっていた。何が書いてあったのか判別できなくなっている。
入口の前の看板も同様、「0」が何個か書いてあるのは読み取れるがその他は何も分からない。
白亜の小城のような外観だが既に白は色褪せ、ツタが這っている。壊れてしまって開きっぱなしの自動ドアの向こうから冷たい空気が吹き抜け、思わずぶるりと身を震わせた。
目視によると2階建ての廃墟は、あと3カ月もすれば夏休みに入った馬鹿な学生が肝試しにでも使いそうな感じがする。
ルインさんが町の地図と脳内の情報を照らし合わせた結果、この座標がダンジョンだと自信満々に言い切っていたため心配はしていなかったが……実際にこの目で見てもダンジョンにしか見えない。
辺りは見回してみても人っ子一人いない。人の気配がしないという感覚は誰しも経験したことがあるだろう。しかしここはその想像の数倍閑散としており、気配なんて0だ。誰もいない。
まるでこの黒い空すらも密室の壁で、我々二人だけが誰もいない世界に閉じ込められているかのような静けさと重苦しい空気に包まれている。
「吸ってもいいかな?」
「お構いなく」
ずっと我慢していたのだろう。運転中もしきりに人差し指でハンドルを叩いていた。苛立ちを抑える時、あるいは考え事をしているときの癖なのかもしれない。
胸ポケットの小箱からタバコを一本取り出し、口に咥えたそれに火を点け、息を深く吸い、肺の奥まで煙でゆったりと満たす。そして沸騰したやかんのように口から吐く。
暗闇に立ち昇る白煙、そして気怠そうに車のボンネットに腰掛ける彼女。その構図はある種、一つの絵画として完成されていた。
タバコを咥えながら軽自動車のトランクから懐中電灯を取り出し、電池が入っていることが確認できた我々は一言も語らず、ナチュラルダンジョンの中へと足を踏み入れた。
◆◆◆
中に入って、まず感じたのは異臭だった。
「臭いな……生魚が腐ったみたいな臭いだ」
内装もまた外装と同じように色褪せ、埃も積もり、クモの巣が幾つも張られていたが、辛うじてピンク色の主張が激しかったことだけは理解できた。
小部屋のようなエントランスにはカウンターらしき仕切りがあり、中には固定電話と寂れた精算機が置かれていた。かつてはここで誰かが受付をしていたのだろう。
何かないか周辺を見回すと数歩先の壁に金属製の何かが吊るされているのが見えた。
「あー、鍵ですね」
鍵に繋がれたプレートには108と、207……どうしてひと階に一つの鍵しか無いんだろうか?
この建物は2階建てなので鍵がこの二つしか用意されていない。そもそも鍵があるということは何か開ける物があるということか? 宝箱ぐらいしか思い当たらない。
更級さんの方は壁に埋め込まれている黒い画面の方を見ていた。
「このパネルは……液晶か? もう電気が通っていないみたいだな」
「みたいですね。もしかするとここ、かつては宿泊施設とかアパートとかだったんですかね?」
「可能性は高そうだ」
……待てよ?
お城みたいな外装。
入口の看板。
ピンク掛かった内装。
宿泊施設。
ここ、もしかして……
「足音だ、隠れよう」
更級さんに手を引かれてカウンターの影に隠れた瞬間、頭の中を巡っていた余計な考えはどこかに消えていった。
携帯灰皿にタバコを押し付け、煙が消える。
カツン……カツン……とハイヒールで石畳を叩くような、そんな音が奥から聞こえてきた。息をひそめ、廊下の向こう側を覗き込むと闇から何か白っぽいものが見えた。
その正体は、すぐに分かった。
・マネキンLv.0 HP:100%
「ひっ……」
果たして、この引き攣った声は誰の声なのだろうか。私か更級さんか、それとも両方か。目の前の光景があまりにも恐ろしく、そんな考えは意識の端へと追いやられていた。
無表情で髪の無い、裸のマネキンが廊下の奥から死人のような足取りでこちらに向かってきている。覗き込むことを止め、我々は本能的に蜘蛛の巣が張った埃塗れのカウンターの影から裏に隠れた。
カツン……カツン……とわざとらしい足音は、カウンターの向こう側から聞こえ……そして、次第に遠ざかっていった。
「ふぅー……」
押し殺していた息を深く吐き、胸を撫で下ろしたのは私も更級さんも同じだった。
「……おい、何だアレは」
「ダンジョンの中で生まれる敵です。見つかればおそらく攻撃してくるので気を付けてください」
「いや気を付けろと言われても……どこからどう見てもホラー映画に出てくる見つかったらアウト系の敵にしか見えないが?」
カウンターの影から左右を確認してもマネキンはいない。見えるのは更級さんの名前とレベルとHPだけ。多分大丈夫だろうと思い、立ち上がる。
壁に掛けられていた二つの鍵を取り、常に警戒しながらホテルの廊下を進んだ。
私が前に進み、更級さんは後ろを警戒するという布陣だ。
「さてと、これで信じてくれましたか?」
「……正直に言うと、別の意味で信用できなくなってきた。本当に異世界だとかが関係しているのか? マネキンが襲いかかってくるのは別物だと思うのだが」
「本当ですよー」
抗議しようと思い、振り返る。
「っ! ああああああああ!」
「ちょっ、ちょっと!? 更級さんっ!?」
突然悲鳴を上げ、更級さんが私に向けて銃を乱射してきた、一体なぜ!? 反射的に顔を防いだが……あれ? 何の衝撃も来ない。
・マネキンLv.0 HP:100%→93%
「うわぁっ!」
私の後ろにマネキンが居た。彼女の放った弾丸は全て頭に命中したが、奇妙なことに表面が多少傷ついたのみで他には一切の損傷が無い。銃弾が効かないのか?
とりあえず、ビックリしたから思わず殴ってしまった。
・マネキンLv.0 HP:93%→0%
あっ。
マネキンが全身粉々になった。
「とまあ、こういう敵は殴るに限るということで」
「……なんか、一気に怖く無くなったな」
「あはは……」
苦笑いをして、青い粒子となって溶けてゆくマネキンの欠片を大股で越し、私が前、彼女が後ろを警戒する布陣で前に進んだ。
◆◆◆
更級さんは射撃だけではなく格闘術の才能もあったようだ。本人曰く「柔道と空手を学んでいた」そうで。
・マネキンLv.0 HP:100%→80%→60%→40%→20%→0%
ただ、手刀でマネキンの四肢と首を落としたのを見て本当にその二つだけを学んできたのかと疑いたくなった。明らかに殺人拳だろう、これは。
また、道中には見慣れたアイツも出てきた。
・スライムLv.1 HP:100%→0%
「ん? 今、何かを踏んだような……」
懐中電灯で照らしても見えないときはある。スライムはいつの間にか更級さんの足の餌食となっていた。気づいた時には、もう遅かった。
かわいそう。
「しかし、一体どこまで続くんだ? 明らかに外と中の空間が一致していないじゃないか」
新しくタバコを一本口に咥える。これでもう5本目だ。「そろそろ無くなりそうだな」とうんざりするように呟いたのが聞こえた。
「それがダンジョンですね。幸い、一本道なので気にせず進みましょう」
部屋は幾つもある。だが、廊下の左側に並ぶ部屋のどれにもナンバープレートには108と書かれていない。それどころか数字がランダムだ。
おそらく数字に法則性は無い。運良く108の部屋が出るように祈るしかないだろう。
「……117、174、139、おっ!? ……なんだ、180か」
「あっ、またマネキンですよ」
マネキンは体感50メートル間隔で現れる。最初は出る度に更級さんが悲鳴を上げていたのだが、今は出た瞬間に素手で粉砕されている。
慣れって怖いな、なんて思ったりもした。
「……もう10時だ。一回、戻らないか?」
「そうですね、そうしましょうか……えっまた?」
一歩引き返した瞬間、またもやマネキンが現れた。相も変わらず数秒で粉砕されるわけだが、何かがおかしい気がした。
銃弾が7発、床の上に落ちている。しかもご丁寧に銃弾は何かに命中したかのような潰れ方をした、ホローポイント弾だ。
もしかして。
「すみません。ちょっと確認したいことがあるのでここで待っていてくれませんか?」
「……分かった」
振り向いて真っ直ぐ前に向かって走る。
大体50メートルほど走ったのだろうか。
「くっ……放せっ!」
そこでは、更級さんとマネキンが取っ組み合いをしていた。足元にはホローポイント弾が7発。
冷静に考えろ。つまり……この廃墟はループ構造になっているのか?
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