第11話 聖女誕生(中)

「おっ、もう来たのか。早いな」


 玄関のポストにはA3サイズの封筒が差し込まれていた。


 二日前、私はネット上のとある探偵事務所に「サラシナ ジギナ」という人間の身辺調査をしてほしいと依頼をした。どうやらその結果が郵送されてきたみたいだ。二日で調査完了とは随分と優秀な探偵である。


 本当に最近は色々と便利で怖い世の中になったものだ。多少金を積んで調べてもらえばすぐに個人情報が探れるのだから。


 私も誰かから探られるかもしれない。用心した方が良いかもしれない。


「ただいま帰りましたー……」


「おう、帰ってきたか、レン」


 先日プレゼントした黒のワンピースを着たルインさんは相変わらずダイニングで国語辞典を読みふけっていた。しかし今日の異世界勉強は一風変わっており、辞典の隣にひらがな表とA4のノートが付属している。


 この三日間、ルインさんはこちらの世界の言語を学んでいる。理由は異世界の文化を学びたいから……


 そう言っていたが、なんだか別の理由もあるような気がする。「字の勉強がしたい」と言われて理由を尋ねたら目が明後日の方向を向いていたからな。アレは何か秘密があるときの顔だ。


 今は辞典を読みながら字の書き取りの練習をしている。あ、い、う、え、お、と鉛筆でノートに書き取る姿はどこからどう見ても小学生だ。字が綺麗に書けたのか「よしっ……」と喜び、耳と尻尾が大はしゃぎしている。かわいい。


……そういえば、〈魔力観察〉は対象の持つ魔力の内に秘めた情報を読み取る技だよな。「対象」という言葉に人間も含まれることは更級さんで実証済みだ。


 ほんの少しの好奇心からだった。


 ルインさんを観察したら一体何が読み取れるのだろうかと思いじっと見つめると、予想通り〈魔力観察〉が発動し、更科さんと同じように彼女の身体から青白く光る文字が浮かび上がる。



・〈獣の魔導師〉ルインLv.■■ HP:■■■■%



「レン、言い忘れていたが〈魔力観察〉に気づく者は気づく。そういう者は得てして〈観察妨害〉を仕掛けている。吾輩のようにな」


 読み取れた情報の不明瞭さに驚く間もなく釘を刺され、こちらの方を向いたルインさんに「ごめんなさい」と謝ろうとしたが、その前に気づいたことがある。


「あれ? じゃあルインさんは私に〈魔力観察〉してたんですか? こっちは全然気づきませんでしたが」


「……何のことかな?」


 目が泳いでいる。どこからどう見てもやってたって顔である。


「私は〈観察妨害〉なんて出来ません。なのに、一方的に覗き見られるのは……ちょっと、フェアじゃありませんよね?」


「あーちょっと吾輩、コルム茶、じゃなくてウーロン茶が飲みたくなってきたなー! 注いで来るかー!」


 あっ、逃げた。


 まあいい。それより今はこの封筒の中身に目を通すべきだ。もしかしたらここに、何か更科さんの弱みになるような情報があるかもしれない。そうなれば交渉事はこちらが優位となる。


 お勉強中のルインさんを邪魔するのも忍びないため自室に向かう。果たして、この封筒の中には更級さんのどんな弱みがあるかな?


「ふふふふふっ……!」


「……こわっ」


 後ろから何か呟き声が聞こえたが、聞かなかったことにした。


   ◆◆◆


 A3封筒の中には書類が二枚、写真が九点収められていた。それらを全てベッドの上に広げ、胡坐をかいてしげしげと眺める。


 まず一枚目の書類に記されていた彼女の名前を見て思わず「凄い名前だな」と呟かずにはいられなかった。


 サラシナ ジギナ――


 苗字の方は表札で見た通り更級サラシナと書く。問題は名前であるジギナの方で、なんと「侍義那ジギナ」と書くらしい。


 侍に義に那。ううむ、どれを取っても字面がもの凄くいかつい。彼女の侍義那という名前と比べたら私の「レン」という名前なんて深窓に佇むか弱いお嬢様のお名前のようにしか見えない。


 探偵を侮るなかれ、一枚目の書類には名前の他にも住所、年齢、身長、体重、誕生日、携帯の電話番号から小学生の頃の将来の夢、初恋の人まで赤裸々に記されている。


 職業、警察官。


 現在の階級は警部補。


 誕生日は4月22日。


 今年28歳……こちらより数歳年下だが、就活に失敗してブラック企業に就職するしか無かった私よりも随分と順調に出世街道を歩んでいるらしい。


 ダンジョンが落ちてくる前、ブラック企業に勤めていた時にこの情報を知ったら殺意しか湧かなかっただろう。しかし無職になった今なら余裕で受け入れられる。


 これが背中に荷物を背負っていない者の余裕だ。


 世間ではそれを空元気と言う……こほん。


 というか、いったい二日でどうやってここまで情報を集めたのか。どうやら私はヤバい探偵事務所に依頼してしまった可能性がある。調査結果を含めた様々な要素から非合法な何かを感じられずにはいられない。


「ふむふむ……えっ何でスリーサイズ……なっ!?」


 どうしてこの探偵は彼女のスリーサイズまで調査できたのだろうか。もはや疑う余地も無く非合法だ。明らかに非合法だ。


 しかし非合法だとか非合法じゃないとか、そんなことは縦三列に並んだアルファベットの横の数値の前には些事に過ぎない


 スリーサイズ。そこには男の夢が詰まっている――更級侍義那。彼女のスリーサイズを見て、私は目を疑った。


「3桁……だとっ……!?」


 いったいどこが3桁なのかは伏せるが、とにかくとある一か所だけスリーサイズが3桁に到達している。実に恐ろしいプロポーションである……ふーむ、3桁。アレが3桁サイズなのかぁ……人生で初めて見たなぁ。


 3桁のことは一旦頭から離すとして、次は家族構成を見てみようと思い二枚目の書類に移る。


「中々に壮絶な人生を歩んでるんだな、更級さん」


 父は警察。母は看護師、兄弟姉妹はいない……しかし、母親は心臓病により既に他界している。それは彼女が産まれてから僅か半年後の出来事だった。


 補足すると父親の階級は警部だ。高卒で公務員試験に合格。いわゆるノンキャリアの警察官となり、巡査から地道に昇進を続けて今の階級に至ったらしい。


 母親の顔を直接見ることも無く男手一つで育てられた彼女だが、警察として犯人を追う父の背中を見て育ったからか、物心が付いた時には警察官への憧れを抱いていた。


 小学生1年生の頃の将来の夢は何ですか? という質問に対し「警察官」と大人顔負けの達筆な漢字で答えている辺りからもう素養が見える。


 高校、大学と共に県内の難関校に進学し、国家公務員一般職試験に合格し、憧れの警察官となった彼女はいわゆる準キャリアであり、警察学校を通過した後は父親と違って巡査部長からスタートした。。


 6年間で度重なる成果を上げ、“警部補”にまで昇任した彼女だが、警部への昇任も秒読みである。現在は父親と同じ課に所属し、父のノウハウを盗んで学んでいるようだ。


 なるほど、だからああいう行動をしてたというわけか。色々と疑問が募っていたがこれを読んでようやく納得できた。


 この情報は使えるな。彼女をこちら側に引き入れる材料として。


 二枚目の資料には経歴の他にも彼女の個人情報が色々と記されていた。ここまで調査されたらプライバシーもへったくれも無いな。可哀そうに。


「……ほう」


 二枚目の資料とそれに付随するとある写真を見て、ニヤニヤと笑わずにはいられなかった。


 これを使えば、彼女はこちらに従ってくれるだろうか?


 いいや、情報だけでは足りない。相手に情報をより効果的に伝える手段が必要であり、そしてそれには彼女の手助けしてもらうのが一番手っ取り早いことに気が付いた。


 自室のドアを開け、ダイニングで勉強をしているであろう彼女の名前を呼んだ。

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