第4話 修道女と魔法

……何が書いてあるのかさっぱり分からない。魔導書の内容を読み取れば効果を発揮する、まあ多分魔法の知識を得ることが出来るのだろうが、本文は見たことも無いような言語で綴られている。


 読み取る? これを解読しろと?


 ふーむ、魔法の知識を得られるのはどうやら数十年後になりそうだな! とりあえず文法から解読しなければ。


 無理に決まってるだろそんなこと。


 自慢するようなことではないが、自分は考古学者でも人文学者でも何でもないただの一般社畜おじさんだぞ。いや、今は一般というところしか合ってないか……一般元社畜、元おじさんの現無職少女だ。自分で言ってて謎になってきた。


 これが会社で使っているプログラム言語であれば読み解けるが、どこからどう見ても未知の言語。傍目にはミミズがのたくったようにしか見えない。


 これをどう読み取れと……


 待てよ、読み取る?


「……ぐっ!?」


 一瞬、頭を殴られたかのような激しい頭痛。


 つい昨日ぶりの頭痛。この身体になってからは初めての頭痛だな。痛みを感じた時に嫌悪感よりも懐かしさの方が強く出てきて、少し複雑だった。


 それと、どうやら予想は当たっていた。


 読み取る――コボルトやスライム、部屋、魔導書の表紙をじっと見つめると、彼らの情報が表示され、読み取ることが出来た。


 ならば、同じことをすればいいのでは?


 そう思ってやってみると、ビンゴ。ページをじっと見つめることで頭痛と共に魔導書の情報を……1ページだけ読み取ることが出来た。


 ただ、何を読み取れたのかは自分でも朧げで分からない。まるでパズルの1ピースだけを渡されて「この絵は何ですか?」と聞かれている気分だ。分かるわけない。


 魔導書を読み解くことをパズルと表現したのはとてもいい例えだと思う。自画自賛に聞こえるが。


 自分がこれからどうなるかを想像し、興奮冷めやらぬままページを捲り、読み取り、捲り、また読み取る。


 長年のブラック労働のせいで頭痛には慣れっこだ。


 ページの半分以上を読み取ったところで既に頭の中にはぼんやりと像が思い浮かんでいた。最後のページに近づくにつれて、忘れていたものを思い出すような既視感を覚えた。


 数えてみれば19ページほどの薄い魔導書。これを読み終えた時、自然と魔法の名前が口から零れた。最初からこれを知っていた――そんな気もしながら。


「……これは〈回復魔法〉か」


 血がじんわりと染み出てくる背中に手を当てて魔法を詠唱する。


 傷口はじんわりと熱を帯び、あっという間に元通り。血が流れ出ている感触もしない。化膿もしていない。


「はは……まさに、魔法だな」


 この身に起こった超常現象に苦笑いをしながらベルトを外してスーツを脱ぐ。愛用していたスーツはおびただしい量の血液を吸収し、乾いた血液でガチガチに固まっている。クリーニングに出しても元のスーツが帰ってくることはもはや無い。悲しいが、ここでお別れだ。


 問題はもう一着、ずっと着ていたワイシャツの方だ。


「あー、こいつももう駄目か」


 縦に裂けた背中の傷は思ったよりも大きく、端っこだけがギリギリ繋がっている。血の跡はスーツと同じように、いや、白地のシャツは黒色のスーツ以上に事件めいた悲惨な様相を呈しており、真っ赤すぎて完全に使用不能。


 これも捨てた場合、私は下着一丁となる。


……ビジネスバッグの中から修道服を取り出す。他に着られる衣服はこれしかない。となると、これを着るか、下着一丁でダンジョンを登るか。


 ハッキリ言おう。選択肢は無い。


 いくら夏の自宅では下着のみで過ごすとはいえ、外で下着一丁は流石に変態だ。子どもならまだ微笑ましいものの、大人である自分がそんなことをしてしまえば社会的にマズい。公然猥褻罪の現行犯で一発逮捕。無職はまだいいが、前科持ち無償にはなりたくない。


 観念して、シスター服を着ようとしたところ……思わず、下着一枚の自分の身体が気になった。


 上は無難な白いシャツに下は黒のトランクス。アンバランスにもそこから伸びるのは白く、嫋やかな女の四肢。


 胸はほんのり膨らみかけ。シャツの上からでも分かる。


 下半身の肉付きは対照的で、太腿をそっと握ってみると……凄く、柔らかい。


 しかもただ柔らかいだけではない。我々の生きているこの大地が固いプレートの上に成り立っているように、太腿の柔らかさの下からは骨と筋肉によって織り成された確固たる芯を感じられる。


 この太腿で行う膝枕は、きっと、極上の膝枕に違いない。


 頭を優しく包み込み、受け止め、次第に夢の中に落とす天使の膝枕。


 ここまで気色の悪い感想を言えるのは、中年になっても女っ気一つない哀れな人生を過ごしてきたからに他ならない。


 大人になったら一度は行ってみたいと思っていた風俗には行く時間も無く、仕事が忙しすぎて性欲も湧かない。


 女性と接する機会など、せいぜいコンビニやスーパーの店員さんと話すくらい。


 この代で家系図も末代になるかと思いヒヤヒヤしていたが、幸い、弟が結婚して甥っ子が出来たので一族の血筋は絶えずに済んだ。


 もう一度、自分の身体を見た。そして朝、鏡に映った自分の顔を思い出した。


 この下着の下には、かの可憐な少女の秘密が隠されている。しかし自分の身体であるにも関わらず、その秘密を見たことはない。


 秘密というのは暴きたくなるもので、ついシャツとトランクスに手を掛ける。



……さすがにここまでにしておこう。


 中年男性である自分がこの身体を色々と弄るのは、無垢な子どもを騙して手を出す罪悪感さえ感じる。


「はぁ、さっさと先に進もう」


 急に冷静になってきた。こんなことしている場合じゃないな。


 修道服は貫頭衣となっており、身体を通すだけですっぽりと着ることが出来た。先ほども見積もった通りサイズはピッタリだ。


 しかしシャツと比べると動きにくい。特に足元。裾が長い上に服としてのゆとりも小さいため走るとコケる。これではいけない。


 どうしようかと考えたがどうにもこうにもいい案が浮かばず、一番手っ取り早い方法を実行することにした。



・修道女の服Lv.1 耐久度:100%→90%



 修道服の裾を無理やり手で破き、スリットを入れると動きやすさは段違いに上がった。スリット無しと比べて蹴りもしやすい。


 下着はギリギリ見えないだろう。そう思い、部屋の奥の階段を通り、塔のさらに上を目指した。


   ◆◆◆


・獣の塔/小規模ダンジョン:第2層



 第2層の構造は第1層と大して変わらない。景色は代わり映えの無いレンガ一色だけれど、違う点がいくつかあった。



・スライムLv.1 HP:100%

・スライムLv.1 HP:100%



 敵が必ず複数体で出現すること。


 第1層の最後の部屋の特権だった複数出現は第2層からデフォルトとなる。一度は苦戦したものの油断さえしなければ余裕を持って対処可能。


 もう一つの違う点。


 宝箱に罠が設置されている。


 それを知らぬまま右手で蓋を叩き割った瞬間、箱の中から矢が飛び出した。


「……なるほどな」


 危険な気配を感じたので腕を急所を守ったが、本当に危なかった。首や心臓に命中していたら死んでいたかもしれない。


 腕と腹に刺さった矢を抜き、回復魔法を唱えて傷を癒して一息つく。


 箱の中には何も入っていなかった。一体どこから矢と、矢を飛ばす力が来たのか謎だが回復魔法があれば多少は無理できそうだ。


 ところが、勘違いしていた。


 何も罠は矢を放つものだけじゃない。


 二回連続で矢の罠を引いたからそろそろ罠の無い当たりの箱が来ないかと祈っていたところ、箱から噴き出した紫色の苦い煙を肺いっぱいに吸い込んでしまった。


 煙が晴れると、変化はすぐに訪れた。



「……ッ‼︎ げほっ、げほっ‼︎ うぇっほ!」


 急に咳き込んで、二の腕で口元を押さえて……


「え?」


 血。


 口元を拭った手の甲には血がべっとりと付着している。咳を隠した二の腕にも。思い当たる節は一つだけ。


「毒っ……ガス、か……ゲホゲホッ!」


 咳き込むたびに血が溢れてくる。すぐ背後から死神の足音が聞こえる、気がした。おそらくそれは、死を間近にした心臓の悲鳴だった。


「ゲホ……死んで、たまるか……」


 必死に回復魔法を詠唱すると肺の奥の痛みは和らいだ。


 しかし、その効果は一時的なものに過ぎず、この時に回復魔法は万能じゃないことを知った。毒や病気に全く意味を成さないのだ。


 このまま死んでしまうのか? ……会社も潰れ、ようやく自由を手に入れた。こんなところで死んでたまるか。


 回復魔法は毒は癒せないが、毒によって負った傷は癒せる。つまり、延命処置にはなる。


 死の瀬戸際に立ちながら必死に回復魔法を詠唱し続けた。何度も何度も……命懸けで抵抗した。


 結局、何回詠唱したのかは分からない。


 何も考えず、ただ詠唱をするだけの機械のように――



「はぁ、はぁっ……生き残れたのか?」


 血を吐かなくなった時には、部屋の中と修道服の袖は血でベトベトになってしまったことに気づいた。けれども替えは無い。これで進むしかない。


 この一件で痛い目を見たため、これからは下手に宝箱を開けないようにしよう、とまだ血の味がする喉奥を苦く噛み締め、心からそう誓った。



・スキル〈毒耐性〉取得

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る