第5話 黒猫

 自宅で厚は美波のことを考えていた。


 友人達はすっかり厚が彼女を口説くどいていると思って、見掛けによらず手が早いだのなんだのとからかう。カップル第一号になるかならないか、賭けをするとかしないとか。今までさんざん経験してきた好奇や忌避きひの視線に比べれば、そのくらいどうということはない。


 彼女が迷惑そうな素振りを見せたら一緒に歩くのはやめようと考えているのだが、今のところその様子はなく、美波は彼を見掛けると声を掛けてくれる。

 ──できるだけ今の状態が長く続きますように。


 それとは別に、厚には気になることがあった。あの黒猫である。


 話を聞いた限りでは、あの黒猫は彼女の飼い猫、つまり本物の猫であるらしい。

 しかし、あの神社で、彼の足元で喋っていたのは確かにあの黒猫だ。会って確かめたいことが山のようにあるのだが。


 知り合ったばかりで、君の下宿に行きたい、なんて言い出せるわけがない。あの黒猫に会いたい、と言うのも…遠回しに同じことを言ってるだけだよな。


 数日悩んだ末、彼女が店の二階に下宿していると言っていたことを思い出した。祖父のやっている古道具屋の二階だ。

 ──古道具屋なら、俺が行っても不自然じゃないかも。


 それでも、勝手に下宿先を探し当てるのはストーカー行為だよな…と思って迷ったのだが、店先にあの黒猫がいれば会えると思うと、好奇心が勝った。



 翌日の放課後。

 神社の周辺を自転車で走ると、店はあっさり見つかった。本当にすぐ近くだった。神社正面の短い参道が、古い街道にぶつかる交差点の傍だ。


 古道具屋というより、ずっとしゃた感じの店だった。窓ガラス越しに店内を覗くと、アンティーク風の家具がいくつか並び、そこに雑貨や食器などが生活風景に即して展示されている。


 その店先に猫用のバスケットが置かれていて、敷き込まれている空色の布の上に、あの小柄な黒猫が丸くなっていた。


 厚は店の前の駐車スペースに自転車を停め、通行人に聞かれる心配がないことを確かめてから、小声で黒猫に話し掛けた。

 「おい。俺を覚えてるか?」


 黒猫はちろりと彼を見上げた。

 「祓い屋」

 しっかり覚えているようだ。


 しげしげ眺めるが、やっぱりどう見ても猫。手を伸ばして黒猫の体をで、感触を確かめた。やわらかでなめらかな、よく知っている猫の毛並みだ。クロは迷惑そうな顔をしたが、大人しく撫でられている。

 猫が喋る…というか、鳴き声の意味がわかるなんて、こんなことは初めてだった。


 「どうしてお前は喋れるんだ?」

 「猫はみんな喋る」

 ──いや、喋らないぞ、決して。


 目を閉じて考える。

 それとも、この黒猫にとっては、ということか? 恐らく猫同士でお喋りすることもあるのだろうから、そう答えるのも無理はないかもしれない。


 質問を変える。「お前は、俺以外の人間と会話をしたことがあるか?」

 「ない」

 「…彼女とも?」

 クロは答えない。


 困ったな、もう…。相手は猫なのだ。人間と同じ感覚で会話ができると思う方が間違っていることは、わかっているのだが。それでもいらっとしてしまう。

 さらに質問しようとした時、背後から声を掛けられた。


 「いらっしゃいませ」


 美波だった。

 跳び上がりそうになるほど驚いた。黒猫に夢中になり、いつの間にか店の中から出て来た彼女に気づかなかった。


 「いやその…、自転車で通り掛かって、偶然こいつを見つけて…」

 しどろもどろに言い訳を始めて、結局謝る。

 「その…下宿を探し当てるような真似をしてごめん」


 それを聞くと美波は笑い出した。

 「謝らなくていいよ。そんなこと気にしてないから。わかりやすいでしょう、うちの店」

 「うん。すぐわかった」ほっとして笑顔を見せる。「素敵な店だね。アンティーク?」

 「ううん、ほとんどはそれ風に作られたものよ。本当に古い物は数が少ないわ」


 彼女と話ができるのは嬉しいのだが、黒猫とは話ができなくなってしまった。この日は少しだけ雑談をして帰った。

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