第11話
私と母は父が目覚めるのを待った。
同乗した救急車で、病院の待合室で、待ち続けた。
本当は父から目を離したくなくて、病院の治療室に、同行しようとしたが、治療の邪魔になるからと断られてしまった。途中、父の容体を聞こうとしたけど、医療スタッフはみんな忙しくて、取り合ってくれなかった。
幽霊の母なら、人に見られないから、様子を見に行ける。そのことに気づいたのは、後日になってからで、その時は家族の一大事で、気づく心の余裕が私達にはなかった。 夕方になってようやく、父が無事目覚めたと知らせを受けると、私と母は安堵した。
そして案内された病室で、ベッドに横たわる父を見るや、私は駆け出して彼に抱きついた。
無事で良かったと私が言うと、彼は後ろめたそうに、心配かけてすまんと答えた。
その後、すぐ医者がやってきて、その人と父は話しをした。
そこで分かったことは、今回の事態は、過度のストレスで体調が悪化したことが原因、だということだ。
そのことに私と母と父、一家全員は、大きく動揺し。ショックを受けた。
ストレス、精神的なものが原因なら、母の死をまだ引きずっているのだろうか。漫画をかけるようになって、彼女の死から立ち直れたように見えたのに。
私は陰欝した気持ちになった。母も、同じ思いで「死んだ私のことが忘れられいんだね」と悲しげにつぶやいていた。
倒れた当人の父は、額に手を当てて、精神的にまいってるようだった。
医者が出ていくと、ベッドのそばに立つ私は不安げに、父を見る。
隣の母も、心配そうに彼を見ている。その瞳は儚げで、純粋に彼を思う気持ちがありありと、伝わってくる。
生涯を共にしてきた相手だ。当然だろう。しかし、現実は非常で、その気持ちを彼は知ることはできない。彼には母が見えないのだから。
だから、母の思いの分を私が背負う。
母の分まで、父を労り、彼を助ける。
拳を強く握る。
私は決意をこめて、母のことを聞く。
「やっぱり、お父さんはお母さんのこと……」
「ああ、どうしても、まだ折り合いがつかないらしい」
ベッドに起き上がった状態で、父は答える。どこか居心地悪そうに。
素直に認めた。やっぱり、当たっていたか。
聞いてた母は、表情を曇らせる。
「そのわだかまりが最近、ストレスになってるのはわかってたが、まさか、それで倒れるとは思ってなかった。」
父は唇をかむ。自分の情けなさをかみしめるように。
「……どうして今になってストレスを感じてるの?」
心境の変化が起こる出来事があったということか。
そこでふと、ある考えに思いいたる。
「もしかして、漫画がかけるようになったことと、何か関係ある?」
「……ああ」
父は歯切れが悪そうに答える。
「漫画がかけるようになってから、ずっと心の声が聞こえるんだ」
父は自分の胸をかき抱き、顔を歪める。
「夜鈴を死なせたお前が、幸せに漫画なんか描く権利があるのかって……」
重々しくその言葉が響く。
予想外の言葉に私と母は目を大きく見開き、困惑する。
「何それ、意味分かんないよ」
どうして……どうして……。
「「どうして、そんな風に考えるの……」」
母が思わず、もらした言葉に、私の言葉が重なる。
「お前も知っての通り、夜鈴は病気で死んだ。その病気は早く発覚してれば、治せたかしれないんだ。でも、漫画の仕事が忙しいせいで、夜鈴は病気で検査を受ける暇がなかった。だから、俺が死なせたって思っちまう」
父は身体を震わせ、布団を思わず握りしめる。その表情には後悔の念が伺える。
「俺と一緒に漫画を描かなければ、あいつは別の道を選んでたかもしれない。時間にゆとりのある生活が送れたかもしれない。そうすれば、病気も事前に直せたかもしれない。もっと長生きできた」
切実な思いが込められた告白に、胸が痛くなる。
母も悲しげに瞳を揺らす。
父の気持ちがわかってしまう。
母の死に対して、彼は罪の意識を感じていた。
きっと、失ったものが大きすぎたんだろう。
その悲しみは深く、もしこうだったらという思いに囚われしまう。
だから、理屈ではわりきれない。自分を責めてしまう。
今すぐに、父を励ましてあげたいところだが、彼が言いたいことを全て吐き出すのが先だ。彼の苦しみの全容が分からないと、どういう問題に直面してるか分からない。
そんな状況では私の言葉は相手に響かないだろう。
「夜鈴を失ってから、ずっとそう考えてた。でもストレスを感じる程思いつめてはいなかった。思いつめるようになったのは、自分が不幸じゃなくなったからだ。漫画を描けるようになって俺は嬉しかった。幸せだった。だけど、ふと我に返るんだよ。自分は幸せを感じていいんだろうかって。夜鈴の人生を奪っておいて、夜鈴を死なせておいて、楽しく漫画なんて描いていいんだろうかって……」
その葛藤が心の声となり、父を苦しめた。結果、ストレスで倒れた、ということになるのだろう。
「でもあなたは描き続けた、それはどうして?」
「娘にいつまでも心配をかけたくなかった。自分はもう大丈夫だって、言ってやりたかった。ストレスのことを隠したのは、お前に余計な不安を抱えてほしくなかったからだ。まぁ、結局倒れて、全部打ちあけることになったんだがな」
私のせいだと思ってしまう。
私が一緒に漫画を描こうって誘ったから、彼を傷つけることになった。
でも、私まで父と同じように罪の意識を抱えていたら、心が前を向いてくれない。
それではダメだ。
今は父を助けなきゃいけない。
「心配かけたくないなら、これ以上自分を責めないでよ。苦しまないでよ。私はそれを望んでいない」
隣の母を横目で見る。
思わず出た一言を除けば、彼女はずっと黙って、父の言葉を聞いていた。
その表情は今にも泣きそうで、何か言いたげだ。
しかし、唇がわずかに開くだけで、言葉にはしない、
理由はたぶん、虚しいからだろう。
何をしゃべっても、父に言葉は届かない。
その現実を強く認識させられてしまうからだろう。
「無理だ。俺は俺をどうしても許すことができない。」
父は頭をかきむしり、強くうなだれる。
彼が今囚われている思いは、強固だ。
心の闇は深い。
私の言葉はきっと、彼の心に届かずに、その闇に吸い込まれしまうだろう。
……。
父と母、二人共、お互いのことで、悲しんでる。
私は耐えられなかった。二人がこれ以上、悲しむ姿を見ていたくなかった。
父は今、うなだれて下を見ている。そのすきを狙って、小声で母に話しかける。
「お母さん、やっぱり本当の事言おうよ。あなたが幽霊としてここにいるって知らせようよ」
そうすれば、父は喜んでくれるだろう。漫画をかくと、感じてしまう母への罪悪感、ストレスから開放されるきっかけになるかもしれない。
母としても、自分の存在を姿が見えなくても、認識してもらいたいはずだ。
強く望んでるはずだ。
「今の不安定なお父さん、見てたら、そう思うでしょ? ねぇ? お母さんだってそうしたいはず……」
「ダメ……できないよ。状況がもっと悪くなるかもしれない。今の海はすごく不安定。彼がこれ以上傷つくかもしれないと考えたら、私……」
母が強く首を振って、拒絶する。
私はそれにもどがしい気持ちになる。
「……でもこのままだとお父さん、漫画描けなくなるよ」
「それでもだよ……できない」
前回同様、やはり、折れてくれない。
私は諦めて、残念そうに言う。
「……わかった。お母さんの意思を尊重する」
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