94.動き出した船の


「何か気になっている顔だね?」


 問われたことなら、すでに父親と侍従とのやり取りに上書きされていたジェラルドであったが、それについては聞くなとひしひしと感じる圧に従って、元から気になっていたことを聞くことにした。


「王女が香油を幼少期から使っていたというのが、とても信じられず。本当にそうなのでしょうか?」


 彼らは王女を大切にしていたのではなかったか?


 ジェラルドは答えの出ない問いに囚われた。


 誰が何のために。

 こんな危険な香油をあえて渡したというのか。


 幼い王女に自ら香油を願うことなど出来なかったはずだ。

 周囲から与えられて、心が軽くなり、それで好んで使うようになったと考える方が自然である。


 ユーリル侯爵家が何か謀って、それで香油を嗅がせるように動いた結果だ。王家はそう言いたいのだろうか?

 しかしそうだとしても、何年も王族たちが気付けなかったことに疑問は残った。


 両親と兄たちから溺愛されていたはずの王女。

 妙なものを与えられたと聞いて、何も調べず放置するとは考えにくい。


 その後に王女が望んだからと言っても、やはりそこは王族だ。

 それが怪しいものではないか、徹底的に調べたはず。

 いくら今の王族があの通りだとしても、大事な者を守るためには動くだろう。


 あるいは香油の特性も知ったうえで、あえて王女に与えてきた?

 癇癪が酷かったと聞くから、それを抑えるため?


 だがそれならばもっと手っ取り早く……。


 ジェラルドはまっすぐに父親の目を見据え答えを待った。


「おかしな話だよね。君も考えている通り、大々的に発表でもして、相手を探すよう努めていれば、それであの娘は最上の幸福を得られていた。なのに彼らは香油を与える方を選んでいる」


「会わせたくなかったのでしょうか?他国に嫁がせる予定でも?」


「そのつもりなら、もっと良く教育していただろうね。まだ先だと真剣に考えてはいなかったようだけれど、いずれは国内の貴族への降嫁だろうと想定していたようだ」


「どこかの家と確約を?」


「いや、それもない」


「それでも結婚させるつもりでこの香油を?分かりませんね。王家は一体何を考えて……」


「まずねぇ、彼らはこうなるまで王女がそれだとは分からなかったと言っているのだよ。それも皆が皆、一様にね。だから香油の効果だって理解していなかったと言うのだ」


 分からないものだろうか?


 しかし考えてみれば、気付けなかったのは自分も同じだとジェラルドは思い出す。

 だから次のように推測した。


「番を知らない者には気付けないものなのでしょうか?」


 覚えのない自分が気付けないのであれば、知ることのない人間にはそれは分からないのでは?

 これがジェラルドの考えである。


「うーん、彼らが王族でないのなら、それで納得してもいいのだけれどねぇ。王族だから知らぬというのは通らないのだよ」


 王族に番を知る者が現われた場合に。

 たとえば、出会う前の不安定な精神状態で何か問題を起こしても困るだろう。

 たとえば、他国の王侯貴族との結婚を決めてから番と出会えば大変なことになる。


 あらゆる懸念を避けるためにも、王族は番を知る者がどのような性質を持って生まれるか、よく学ばされてきた。

 そうして番を知る子どもが誕生すれば、早期に気付いて、対応出来るように準備するのだ。


 なのに、誰も知らなかったと王族たちは口を揃えて言った。それも恥じ入ることもなくである。


「今の王家は我々のような者たちに関わりたくないと強く願っているようでね。だから学んではいても重要視しておらず、記憶に残っていないというのは考えられる。しばらく王家に番を知る者が出なかった影響もありそうだがね」


「何を勝手な。関わりたくないのはこちらの方ですよ」


 この国の公爵として、本来ならば口に出していい言葉ではなかったが。

 息子の本音に、レイモンドは明るく笑った。


「どうせ近いうちに関わらない相手になるさ。それも長いことね。そうだな、そろそろセイディちゃんにお引越しの話をしてもいい頃だね」


「それは私から説明しますので、父上は控えてくださいね?セイディは私の番ですよ?お分かりですね?」


 早口に言い立てた息子に、レイモンドはなお明るく笑った。


 息子に元気があって何よりと思えるくらいには、レイモンドにも息子への愛情はあるのだ。

 ただいつでも番である妻が優先されるだけで。


 だから今は、あえて明るく振る舞う。

 番を知ろうとも、そこは父親だから。




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