第48話 幼少期編48 王族辺境訪問21

 精霊術はつつがなく発動できた。


 使った精霊術は<氷精の大檻Spiritus aquae,magnus glacies cavea>.。3年ほど前にシラユキが攫われたときに使った<氷精の檻Spiritus aquae,glacies cavea>、その拡大版の精霊術である。


 味方ごと凍らせるという方針を取った以上、あまり致死的な精霊術は使えない。

 その点で、この精霊術は比較的手加減がしやすく、殺さずに無力化するのに適していた。


 というわけで、結果は御覧の通り。

 前線から敵部隊の全ての戦場を凍らせることに成功した。魔術師に関しては少し厳重に凍らせて、魔術が満足に使えないようにしてある。炎の魔術で溶かされでもしたら、せっかくの精霊術が台無しだ。

 

 ちなみに、オスバルトは大声で叫んでいて、かなり目立っていたから、術がかからないように配慮した。指揮官である彼のその後の行動を見ると、凍らせなくて正解だったと思う。


 あとは残りの部隊でどうにかしてくれるだろう。人が頑張ってもびくともしない氷をどうにかするのは骨が折れるとは思うけど。

 ここから先は自分たちでどうにかしてほしい。

 

 「あとは、後方の援護とアリシア様の様子を見よう」


 僕は深呼吸をする。精霊術の多用は精神的にも肉体的にもかなり負担がある。だが、ここでへばるわけにもいくまい。


 僕は精霊術<水精の領域Spiritus aquae,recognitio>を再び発動するべく、アイの力を借りる。

 

 魔力を練りながら、僕は先ほどのオスバルトの言葉を思い出していた。


 『感謝する! 水の魔術師殿!』


 普通に考えれば、僕を水の魔術師と勘違いしてオスバルトはそう言ったのだろうけど、何かが変だった。

 オスバルトの語り口は、まるで知り合いにでも語り掛けるような気安さがあった。名前じゃなくて肩書を呼ぶのはちょっと変だけど。

 

 もしかして、彼には水の魔術師の知り合いでもいたのだろうか。もしそうであれば、その人物に関しても調べるべきかもしれない。

 僕の精霊術を見て、彼が水の魔術師の名を出した。つまり、そいつは精霊術に匹敵する力を使える可能性がある。そのような危険な存在を認識できていないというのは、かなり危険なことだ。


 僕の考えすぎなのかもしれない。だが、天候操作の精霊術を弾かれた事実がある以上、ないともいいきれない。


 多少、心に留めておこう。

 

 僕は思考をやめて、精霊術の発動に集中した。







 ――グレイズラッドが敵味方共々氷漬けにする少し前。


 アリシアを乗せた馬車は立往生をしていた。

 理由は単純。アリシアの馬車が動かなくなってしまったからだ。

 

 北と南からの挟撃。この状況で、アリシアを逃すべく聖金騎士団サンオーレ・シュバリエがとった方針は西側からの迂回だった。


 東辺境伯領東部において、南北を繋ぐ道はいわば主要な道である。東辺境伯が手を加えた道でもあり、比較的整備された道であるといえよう。一方で、彼らが選んだ西に進む迂回路。こちらは、人の手による介入がほとんどない。獣道のような通路であった。


 その選択が結果としてこのような事態を引き起こした。

 雨と悪路、そしてこれまでの強行軍によって馬車は限界を迎え、アリシア達は足止めを余儀なくされたのである。


 とはいえ、それ以外の選択肢がなかったのも事実だった。北と南は戦地であり、東側は大森林。西の経路にしか聖金騎士団サンオーレ・シュバリエの活路はなかったのだから。

 

 「この馬車はもう限界のようです」

 「……替えの馬車は?」

 「……ありません」


 護衛の騎士とカーリナの会話が窓越しに聞こえてくる。その会話の内容があまり良いことでないのはアリシアにもわかる。

 グレイズラッドのおかげ隠れていた不安が、今になって顔を出してくる。

 

 降りしきる雨の単調な音がどこか不気味だった。馬車が動く煩雑な音がないだけで、周囲が異様なほどに静かに感じる。

 それらが、アリシアの中の不安を徐々に大きくしていった。


 アリシアは身に纏うローブを掻き抱いた。そんなことでは、心に広がるこの染みをどうにもできないというのに。

 燻る焦燥感にアリシアの体が震える。暗雲はまだ、消えない。




 状況が変わるのは思いのほか早かった。

 

 「アリシア様、ここからは馬車から降りて逃げることといたしましょう」


 そう言って、目の前で頭を下げるのは聖金騎士団サンオーレ・シュバリエの副団長であるカーリナだった。

 その顔は悔し気に歪んでいて、彼女の思いのほどが伝わるようだった。

 とはいえ、先ほどの会話が聞こえていたアリシアとしては是非もない提案である。

 

 そもそも、10歳の彼女にこの状況を好転させるような策など思いつくはずもない。アリシアにできるのは信頼できる人の言葉に耳を傾けること。それくらいなのだから。

 

 「わかった」

 「申し訳ありません、私が不甲斐ないばかりにアリシア様のお手を煩わせるようなことを……っ!」

 「別に、大丈夫」

 

 アリシアの言葉に、カーリナが感極まって更に深く頭を下げた。


 カーリナに促されるままに、アリシアは馬車から外に足を踏み出した。

 途端に自身のローブに大量の雨が叩きつけられる。アリシアが足を付けた獣道は、今はそのほとんどが浸水していた。身に着けた革靴の中にまで水が入ってきて、アリシアはその不快さに顔を顰めた。……客観的な表情の変化はほとんどなかったが。


 そんな折に。雨音に紛れて、水しぶきが飛ぶ音が聞こえてくる。

 それは後方――戦場の方角から聞こえてくる音だった。

 

 誰かが来る。

 アリシアは緊張に身を固めた。カーリナや周囲の騎士たちも、アリシアの盾になるように剣を引き抜いて構えた。


 しかし、現れたのは見慣れた鎧姿――聖金騎士団サンオーレ・シュバリエの騎士たちだった。

 味方の登場に、アリシアはほっと脱力をする。カーリナや他の騎士たちも同様だったようだ。幾分か空気が弛緩する。

 

 騎士たちには戦いの跡が散見された。鎧には攻撃の跡のようなものが残っている。

 そんな、泥だらけの騎士たちの間を縫うように、一人の男がアリシアの前と馳せてきた。


 黄金の鎧と赤いマント。聖金騎士団サンオーレ・シュバリエの象徴となる装備をした存在。そんな、存在は聖金騎士団サンオーレ・シュバリエには一人しかいない。


 ルーカス・レーン。神殿騎士団テンペル・シュバリエの元副団長であり、この騎士団屈指の実力者。


 そんなルーカスは自身の兜を脱ぎ去った。


 アリシアの存在を目にとめた彼は、一瞬目を見開いた後、その場に跪いた。

 

 「アリシア様、よくぞご無事で」

 「……ルーカスも、無事でよかった」


 アリシアの言葉に、ルーカスが敬礼をする。

 その後、すぐ隣にいるカーリナへと声をかけた。


 「カーリナ? どういう状況ですか?」

 「はっ! 順を追って話します。まずは東辺境伯の軍の怠慢により、アリシア様の馬車が破壊されました。その後、別の馬車に変えて戦場からの離脱を図ったところ、悪路によって馬車を放棄せざるを得なくなりました。これよりは馬車なしで、護衛を継続する予定でした」

 

 淀みなく答えるカーリナ。一方で、ルーカスは顔を顰めている。

 

 「……馬車を破壊された、と?」

 「はっ! これも、東辺境伯軍の怠慢で――」


 言い募ろうとした彼女の言葉は、ルーカスによって遮られた。

 

 「カーリナ。馬車の護衛は主としてお前に任せていた。そこに東辺境伯軍も何もなかろう」

 「……それは」

 「アリシア様を危険にさらした。その点で、我々も東辺境伯軍も等しく失態である。馬車が破壊されてなお無事だった幸運に感謝こそすれ、東辺境伯軍を責める口実にはなるまい」

 「……」

 

 カーリナが何も言えずに押し黙っていると、ルーカスが小さくため息をついた。


 「カーリナ、騎士団を率いて敵を討伐せよ」

 「……護衛のほうは」

 「アリシア様の護衛は私が受けおう。そう数はいらぬ。5人ほどいれば良い」

 「たったのそれだけですか!?」

 

 アリシアが驚愕に目を見開いた。

 ルーカスが小さく頷く。


 「後方より我らを追っているのは魔物と人間の連合だ。特に魔物の数は多い。東辺境伯の軍勢が何とか押しとどめているが、直にこちらに追いつく。こちらに遊ばせる兵力もないのでな。なるべく数を揃えて、一気に敵を殲滅した方がよいだろう」

 「……なるほど、わかりました」

 

 ルーカスがカーリナの肩を叩いた。

 

 「カーリナ、頼んだぞ」

 「はっ。……アリシア様、私は責務を全ういたします。どうかご無事で」


 カーリナはアリシアに一礼をすると、馬上へと戻った。

 そして、騎士団の面面をまとめ始める。


 「それでは、アリシア様。どうぞこちらへ」


 ルーカスがアリシアへと手を差し出す。

 壮年の男性特有の皺、頬のそれが優しい笑みを作る。

 

 だが、なぜだろうか。アリシアの不安は増していく。


 王国でも指折りの実力者であるルーカスがいる。それはとても安心できること。そのはずなのに。

 

 嫌な予感がする。


 しかし、戦いの素人であるアリシアは、この状況でルーカスに意見できない。それだけの知識も心構えも10歳の少女にはない。

 

 一瞬の逡巡ののち。


 アリシアはルーカスの手を取った。

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