第46話 幼少期編46 王族辺境訪問19

 天候という大自然に投じた一石は無駄に終わった。

 晴れるはずだった空は再び暗雲に閉ざされて、黎明の光は厚い雲に瞬く間に阻まれていった。

 

 天に掲げた僕の手が虚しく垂れ下がる。


 客観的に見たら、僕の姿はかなり滑稽だろう。

 意気揚々と空に手を向けて、そのまま棒立ちになっていただけなのだから。


 「……? ご主人様……?」


 恐る恐るといった風に声をかけてくるシラユキもどこか困惑気味だ。

 

 何とも言えない空気。居心地の悪さから逃れるように、僕は空を見上げていた。


 結論から言えば。


 僕は天気の操作に失敗した。


 それも一番簡単な天候操作の術を。


 天候操作と一口に言っても様々な種類がある。

 雨を降らす精霊術。雪を降らせる精霊術。嵐を引き起こす精霊術。天気の数だけ、この精霊術は存在する。

 その中で最も簡単な精霊術が「天気を晴れさせる精霊術」だった。

 理由は簡単だ。雨や雪の原因である雲、それを吹き飛ばせば良いだけなのだから。


 天気の操作はまだ満足にできない僕ではあるが、天気を晴れさせるくらいはなんとかなる。実際、何度か成功させたこともあった。


 しかし、結果はごらんの有様である。

 

 途中までは良かったのだ。幾分か雨は弱まったし、青い空もその姿を徐々に見せていた。その時の僕は、精霊術の成功を半ば確信していた。

 

 だが、その確信は精霊術の崩壊と共に潰えた。晴れかけた空を嘲笑うように、スイの魔力をが、僕の術を圧し潰した。


 一応、これでわかったこともある。それはこの天気が他者の力により引き起こされたものであることだ。

 僕の精霊術が無効化されたことでそれは疑いようもないものとなった。とはいえ、元々教会を疑ってたし、大した情報ではないけれども。


 それよりも問題なのは、僕の精霊術が無効化されたことだ。


 魔術は精霊術に敵わないのではなかったのか。その道理はいったいどこへいったのか。


 僕は戦慄していた。

 教会の魔術の力がこれほどとは思っていなかったから。


 <英雄教>は僕を忌み子としている存在だ。その相手が自分より強い力を持っている可能性がある。そのことに焦る自分がいた。


 僕は自身が不遇な状況にいることを知っている。それでも、比較的楽観的に暮らせていたのは力と言う側面での支えがあったからだ。

 

 つまり。「僕には精霊術がある」という自負が、僕の精神的な支柱となっていたのである。

 

 僕にとって、魔術を凌駕する精霊術の存在は大きかった。

 これさえあれば、たとえ周りが敵だらけでもなんとかなるだろうという安心感。それは無意識のうちに僕が持っていた感情であり、そしてそれは特大の驕りでもあった。


 「まじかー」

 「?」


 思わず口をついた言葉は日本語だった。シラユキが不思議そうに首を傾げる。


 前世の記憶などほとんど覚えていないが、言語は魂にでも刻まれているのか、時折出てきてしまうことがあった。こんな風に、殊更に焦っている時には。


 ……落ち着け。今考えることはそんなことではない。


 ここは戦場。悠長にしている場合ではないのだから。


 失敗の後に大事なのはその後の行動だ。

 僕は気を取り直して、次の一手の準備を始めた。







 戦場において最も重要なことは何か。

 それは情報だ。


 例えば情報があれば、敵の戦力を把握できる。兵のいる場所がわかる。武装がわかる。

 それを知るだけでも、こちらがどの程度、どんな兵を敵方にぶつければいいかがわかる。


 だが、そういった情報は、本来であれば戦いが始まる前に知っておくべきことだ。


 もしも、今回の襲撃の存在を知っていれば、それに対して僕らは事前に対応ができただろう。


 しかし、僕らはその情報を得ることができなかった。一方で、襲撃者は僕らの情報を知っている。


 これこそ、まさしく情報戦の敗北である。そして奇襲を受けた僕らは、戦術面でも敗北したといって間違いない。


 だが。


 彼らは1つ見逃してしまった。

 

 それは、おそらく襲撃者の前提になく、そして彼らにとって致命的な見逃しとなりうるもの。


 ――精霊術の存在である。


 「スイ、お疲れ。少し休んでいてね。……それじゃあ、アイ、力を貸してくれる?」


 僕の言葉に水の少女アイが当然とばかりに頷いた。そして、嬉しそうに僕の左手にくっついた。触れた手先から青い魔力が流れて、僕の元へと流れ込んでくる。


 僕の透明な魔力と混ざり合ったそれが、水のように周囲を舞った。


 いつもより流れ込む魔力の量が多い。

 それは、この大雨が作り出した副次的な効果だ。精霊は魔力を生み、魔力は精霊を招く。溢れ集まった魔力は行き場を失い、やがて更なる水をこの世に顕現させる。そして、水の魔力が集まる場所では、水の精霊はさらにその力を増していく。


 この一帯で1な水精霊であるアイも、それは同様である。


 アイの魔力が周囲の雨粒に伝播していく。その精霊術に導かれるように、僕の意識がこの世界に浸透していった。


 まるで地上を俯瞰しているかのような不思議な感覚。もしも、第6の感覚器官を持ったとしたら、このような感じなのだろうなと僕は思った。

 

 空間を把握するオーソドックスな精霊術は、風の精霊術である。しかし、こと雨の世界においてはそれを凌駕する精霊術が存在する。

 

 それが水の精霊術――<水精の領域Spiritus aquae,recognitio


 それは水を通じて世界を認識する精霊術である。


 この精霊術は周囲の水量が多ければ多いほど、精細にこの世界を描出することができる。すなわち、今の状況を把握するのにこれ以上にない精霊術だった。

 

 一挙手一投足、武装、移動手段、敵の情報が精霊術を通して直接脳に叩き込まれていく。

 

 「っ」

 

 あまりの情報量に、脳細胞が悲鳴をあげた。苦しみは痛みとなって現出して、僕は思わず頭を押さえた。


 ……だが、現状はだいたい把握できた。

 

 僕は脳に焼き付いた情報を吟味する。

 

 後方の部隊が相対している敵は、驚くことに魔物もどきと人間らしい。

 この2者が同時に襲ってくるというのはかなり不可解だが、事実は事実である。となると、前回の襲撃もこの人間によるものだろうか。……その可能性は高そうだ。


 とはいえ、幸か不幸か、敵は統率があまりとれていないらしい。襲撃者は好き勝手に動き回っている。それもあってか、後方部隊はそれなりに対応できているようだった。


 問題は前方の部隊だ。

 後方の敵襲に比べて、相手の動きが妙に整然としている。それに武装も後方を襲撃している敵よりも上等だ。

 

 オスバルト率いる第一中隊はかなり苦戦しているようだ。前回の襲撃に兵を割いた影響が如実に出ているのだろう。すでに半数以上が倒れていた。突破されるのも時間の問題だ。


 「シラユキ、前方の部隊の援護に行く」

 「はい!」


 僕はシラユキの手を掴むと、闇の精霊術で身を隠した。






 

 スイの力を借りて、僕らは文字通り風の如く駆けた。

 

 風を切って進む僕らに気づく者はいない。この天気の中で、<闇精の姿隠しspiritus tenebrarum,abscondere te>に気づける人間なんてそういない。雨は音と匂いを隠す。姿を隠すにはうってつけの天気だ。


 僕とシラユキは誰にも気づかれることなく、目的地へと到着した。交戦位置から少し離れた場所。僕は前線へと目を凝らした。

 

 土砂降りの雨の中、東辺境伯軍は戦っていた。

 既に馬を失っている兵も多い。泥濘ぬかるみの中で、彼らは懸命に槍や剣を振るっていた。


 泥だらけになった彼らの鎧に輝きはない。屈指の強兵と呼ばれる東辺境伯の騎兵隊も、地上に引きずり降ろされ、嵐の中での戦闘となれば苦戦は免れない。


 倒れた兵も多く、戦場には屍が散在していた。数を減らした東辺境伯軍は前線の維持も難しくなってきている。戦いは混戦模様だった。

 

 後方に待機しているはずの歩兵部隊は無論この場にはいない。

 先ほどの<水精の領域Spiritus aquae,recognitio>の情報で、その部隊が橋の向こうで立ち往生していることを僕は把握していた。

 エルドーラ川は氾濫しており、その対岸を繋ぐ橋はとても渡れる状態ではない。あの川を渡るのはそれこそ自殺行為だろう。故に、彼らの援護はまず期待できない。


 僕は自軍の戦いを見ながら、どうしようか悩んでいた。


 敵と味方が入り混じりすぎていて、援護が非常に難しい。

 このまま精霊術を発動すると、味方もろとも葬ってしまう。


 ちなみに<水精の領域Spiritus aquae,recognitio>は現時点では発動を解除していた。


 僕は現状、3つの精霊術を同時に発動できない。最高でも2つが限界だ。それが今の僕の実力である。

 

 姿を隠す闇の精霊術は、万が一自分の正体がバレる可能性を考えれば外せない選択肢だ。となると残る枠は1つのみ。

 その枠はこれから発動する攻撃的な精霊術によって埋まる。<水精の領域>を発動するだけの余力が僕にはない。


 <水精の領域Spiritus aquae,recognitio>を発動できれば、敵味方の区別は完璧に付けられるが、今の僕には難しい。


 それに、精霊術はかなり大雑把な術が多い。この混戦状態で味方を攻撃せずに、敵だけを討つのはそもそも神の如き腕を持っていなければ難しいだろう。


 僕が悩んでいたその時。


 遠目に敵の後方部隊から魔術の兆候が見えた。


 その魔術は先ほども見た<大炎槍>。あんなんものを再び撃ち込まれたら、東辺境伯軍はひとたまりもないだろう。


 僕が悩む間にも、戦況は刻々と変化する。決断は迅速に。戦地において、それは重要なことだ。

 

 刹那の思考の末、僕は――。


 「もう、いいや。やっちゃおう」


 ――思考を放棄した。


 「死なない程度に動けなくすればいいや」


 考えてみれば、今回の任務に来た軍人たちにも良い感情はないし。

 とびきり痛いかもしれないけど。死ななければ、問題ない。


 僕は詠唱を開始した。

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