第32話 幼少期編32 王族辺境訪問5

 「アーノルド様より、仰せつかっております。今宵はどうぞこちらの村でごゆっくりしてください」

 「恩に着る、村長殿」


 スイが運ぶ風が僕の元へと音を届けてくれる。うっすらと中の会話が聞こえてきた。


 音というのは空気の振動だ。振動は空間に広がって、物にぶつかり、干渉しあってその振幅を減衰させていく。

 そうなると音というのは消えていく。

 ならば、話した時の空気の振動を保持したまま、僕の元へと届ければいい。


 <風精の言葉運びVentus Spiritus, Verbum Portitorem>はそういう精霊術だ。


 不自然にならない程度の微かな風を駆使して行うこの精霊術は結構、神経を使う。

 術が切れないように制御しながら、僕は自分の耳に集中した。


 「宴の用意もありますゆえ」

 「それはありがたい。そこまで長くない行軍ではあるが、兵の英気を養ういい機会だろう。今後しばらく神経を尖らせる日々が続くのでな」

 「そうでしょうな。民にも伝わっております。なんでも、かつての聖女の生まれ変わりと名高いアリシア様がこの地に訪れるとか」

 「その通りだ村長。さすがのアーノルド様も王族の受け入れともなると神経を尖らせていてな。かなりの人数になっている」

 「それは……、どの程度なのでしょうか?」

 「あまり正確には言えないが……2000は超える、とだけ言っておこう」

 「なんと、そこまでの……」


 どうやら、村長と軍隊長の二人が話をしているらしい。精霊術の感覚ではもう一人気配を感じるが、そちらは副隊長だろうか。あまり言葉を発してはいないようだ。


 「そこまでの人数となりますと、流石に全員を村の中に、というのは……」

 「無論、それは承知。一部の将官のみで構わない。他は村の外で野営の許可を貰えたらそれよい。……それと食料はある程度こちらで持参している。宴も可能な範囲で良い」

 「そう言っていただけるとありがたい。この村の女衆も、兵士の皆さんが来ると張り切っておりましたが、流石にあまりにも大人数ですと厳しいものがありましたから」


 その後も話は続いたが、あまり盗み聞きがいのある話が聞こえてこない。世間話のようなものばかりだ。

 もはやいる意味もないか、そう考えて扉から離れようとして、僕は聞こえてきた言葉に体の動きをとめた。


 「そういえば、代表の貴族の方はどなたなのでしょう? アーノルド様が直接来られないということは事前に伺っていたのですが……」


 村長が言う貴族、これは僕の話題だ。一気に興味を惹かれる。

 村長の問いには、軍隊長も副隊長も答えあぐねているようだ。しばしの沈黙のあと、隊長が言葉を紡いだ。


 「代表者はグレイズラッド・ノルザンディ……様だ」

 「グレイズラッド様、ですか。存じ上げないお名前です。どういった方なのしょうか?」


 村長の言葉に僕は少し驚く。僕の名前は貴族や王族には知られているようだが、一般市民にとってはそうではないようだ。


 「グレイズラッド様はアーノルド様のご子息だ。コルネリア様の子ではあるがな」

 「コルネリア様の、ですか? フェリシア様やディートハルト様の他に子がいらっしゃったのですか」

 「……知らぬのも無理はない。グレイズラッド様はずっとご病気でな。体が弱いため、公には出てこれなかったのだ。今回の王族辺境訪問もアーノルド様を含め、他のご子息が参加できなかったため仕方なく指名されたという話だ」


 なんだか、物凄い設定が聞こえてきた気がする。こちとら毎日剣を振って元気いっぱいなんだけど。


 「そう、だったのですか。それですと、宴の場に呼ぶのも……」

 「勘弁してもらいたい、ということになるな。そういうこともあって今回は私、オズバルト・デリンガーがグレイズラッド様に代わってご挨拶などさせていただくことになっている」

 「なるほど、ノルザンディ家の方がいらっしゃらないので不思議に思っていましたが、そう言った事情があったのですね」


 村長の言葉に、「代わりもなにもこっちは聞かされてないけどね」と内心毒づく。だが、忌み子である僕に対する対応としてはこれが正解なんだろう。とにかく、表には出したくない。その意思が如実に感じられる。


 「グレイズラッド様の寝所に関してはどういたしましょうか。医者や薬師がおりますなら、離れの家ではありますが用意できます」

 「……、そうだな。そうしてくれるか」

 「はい。畏まりました」

 「それと、グレイズラッド様は肌にもご病気が進行している。普段から全身ローブ姿で、特に顔を見られることを嫌がられておる。覗かないようにしていただきたい」

 「はい」

 「……最近は声の調子も悪いようでな。あまり話しかけないでいただけると助かる」

 「本当に、大変なのですね。承知いたしました」


 なんだか、僕の体の状況がどんどん大変なことになっている。

 そして隊長の言いたいこともわかった。とにかく、この滞在中に僕は姿を見せず、声も出さず、離れに引きこもっていろ、ということなのだ。第三王女を直接迎えるまでは本当に何もさせる気がないらしい。


 「それでは、グレイズラッド様をあまりお待たせするわけにもいきませんね」

 「……」

 「オスバルト様?」

 「その通りだな」


 扉の奥の人影が動き出す気配がする。ここらが潮時だろう。結局大した話は聞くことができなかった。


 僕は<風精の言葉運びVentus Spiritus, Verbum Portitorem>を解除すると、逃げるようにその場を後にしたのだった。




 *




 結局その後は軍隊長であるオスバルトが僕のことを迎えに来て、村長と共に離れの一軒家へと案内された。


 もちろん、その道中はフードを被り、言葉も交わしていない。従者であるシラユキも同様で、耳と尻尾は服の中に隠していた。

 

 オスバルトの言葉通りにするというのも面白くはないんだけど、正体を明かしても面倒だから僕は大人しくしていた。

 今回の行軍の目的は第三王女の歓待それのみ。それ以外は些細なことだ。僕自身、こうした扱いに慣れてきたのもあるし。


 それにしても、村長の家に潜入したのはとんだ無駄足だった。僕は先ほどの会話を思い出しながら、溜息をついた。

 

 そもそもの話、僕は今回の仕事がかなりと思っていた。

 

 僕がこの行事に抜擢されたのは王族の推薦によるものという話だ。それが本当なら、王族の目的はなんだろうか。


 僕がこの話を聞いて最初に思ったことは、王族が忌み子である僕を始末するために動き出したのではないか、ということだ。第三王女英雄の目の保持者という存在がいる今、他の貴族に英雄もどきがいるのは、彼らにとってあまり喜ばしくないことだと思う。だからその元凶である僕の命を絶つ。非常にシンプルでわかりやすい思考だと思う。


 この行事に僕を誘い出すことで、教会の教えをうまく掻い潜る策が相手にはあるのかもしれない。他にも何かしら考えがあるのかもしれないが、いずれにしても僕に対する負の感情に起因するものであることは間違いないだろう。


 一方で、この王族の指名というのが噓の可能性も無くはない。このことを僕に話したのはアーノルドだ。僕をわかりやすく嫌う彼が、僕に対して本当のことを言う保証はない。今回の行軍は僕を策に嵌めるためのダミーであり、本命が歓待をしている可能性もある。

 とはいえ、10歳になった瞬間に僕が消息不明となれば、何かしらアーノルドにとって不都合がありそうだし可能性としては低いか。

 

 他に考えるとすれば、王族とアーノルドが共謀していることだろうか。僕の考える前提が正しければ、どちらの陣営も僕を始末したいという点では利害が一致している。とはいえ、王族も一枚岩ではないだろうし、他の貴族が絡んでいる可能性もあるから、推測の域をでないけど。


 情報網もなく、外部の情報を得る手段に乏しい僕は常に後手だ。立場も低いから、どうしたって相手の土俵に立たざるを得ない。これがどれだけ危険か、一応僕は理解しているつもりだ。


 相手の思惑が分からず、それが自分の命を脅かす可能性がある。情報は戦いにおける生命線だ。知らない、というのは幸せなことかもしれないが、同時に愚かなことでもある。


 無知が原因で命を落とす、なんて間抜けな結末には僕はなりたくなかった。

 

 だから、シラユキ以外の誰も信用できない今回の行軍で、僕はそれなりに暗躍するつもりでいた。

 

 その一環があの潜入だ。村がグルで僕を殺す計画を立てている可能性もある。精霊術が使えるとはいえ、僕はまだ10歳。流石に不意打ちとか毒殺とかそういったものには対抗できない。だから、そういう可能性も考えて盗聴を敢行したのだが。

 

 まさか、村長が僕のことを認識すらしていないとは思わなかった。一芝居の可能性もあるけど、そこまで疑いだしたらきりがない。今回の件で、村は白だと考えていいと思う。

 

 それだけでも知れて良かった、と思おう。


 他に良かったことといえば、オスバルトが僕を迎えに来た時に、僕に忠告しようとしたことを先んじることができたことくらいだろうか。


 「姿を見せず、声も発さず、ですね?」と言った時の彼の顔はかなり引き攣っていた。ちょっとは意趣返しができた、と思えば悪くない労働対価だったと思う。


 僕は思考の海から浮上して、目を開いた。


 既に日は沈み、夜が訪れている。

 案内された家は比較的上等で、綺麗に整頓されていた。寝るのに困ることはない。


 村の方へと目を向けると、明かりがたくさん灯っている。それは村の外にまで続いていて、時折歓声のような声が聞こえてきた。

 

 東辺境伯の軍は規律があることで有名だ。村の食料を強奪することもない。どちらかと言えば、金品を村に落としてくれるありがたい存在だ。故にこの地の村は軍を歓迎する。

 

 宴の楽しげな喧騒を遠く眺める。その傍らの家々の隙間に人影が見えるのに僕は気づいた。

 影は2人組。軍人らしき男と村の女らしき人物だ。


 暗い夜でも僕の目は鮮明にものを捉える。彼らがいそいそとしだしたに、僕はうんざりとして目を背けた。


 村に貴族が訪れる際の表に出ない習慣というものがある。

 それが、村の女と貴族、あるいは軍人の密会だ。

 女は体を提供し、男たちは金を落とす。

 このように市民に渡っていくお金というのもあるのだ。


 また、この慣習には他の側面がある。


 貴族の血を引くものは魔術の素因を持つことが多い。魔術師になれば、国のお抱えになり、基本的に食いっぱぐれることがなくなるため、市民にとって魔術師というのは非常に魅力的な職業だ。自分の子供にそのような者がいれば、自身の老後も安泰と言えるため、民の中には貴族との密会を狙う者もいる。子供のみならず、貴族の愛人になることができればより一層安泰だ。


 軍人についても同様だ。たとえ、魔術の素因がなくとも、軍人はエリートと言える存在だ。そういった人間と関係を結ぶメリットは大きい。


 前世の感性を受け継ぐ僕からすると、何とも肯定的には捉えがたい習慣だ。

 だが、郷に入っては郷に従えという言葉もある。僕の前世は、この世界では異物だ。常識だの道徳だの、そういった言葉は周囲の環境や立場で容易に変わるのだ。


 僕はカーテンを閉める。

 星々の光が消えて、部屋が真っ暗になった。

 

 と、僕のお腹が小さく音を立てる。

 宴の気配を感じて少しお腹が空いたらしい。

 どうせなら、シラユキと一緒にご飯を食べようか。ここでは誰も見ていなし。

 

 うん、そうしよう。


 僕はどうやってシラユキを説得しようか考えながら、彼女の部屋へと向かうのだった。

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