第15話 幼少期編15 シラユキとの日々
「ごしゅじんさま、ちゅうしょくのじかんです」
「うん、ありがとうシラユキ」
シラユキがうちに来てから1ヶ月の月日が経った。
まだ舌ったらずではあったが、子供用のメイド服が段々と様になってきている。
シラユキは頭がいい。与えられた仕事やマナーは悉く吸収していく。子供の柔軟性ゆえのものなのか、彼女が天才的な素質を持っているからなのかは定かではないが、僕はなんとなく後者なのかなと思っていた。
最初に彼女が持っていた敵意のようなものは鳴りを潜めている。今は、表面上は僕に従ってくれているみたいだ。
僕は食事に手をつけながら、そんなことを考える。
シラユキは僕の一歩後ろの壁際に控えて、僕の様子を見守っていた。側仕えの侍女は主人の身の回りの全てを行う。水が無くなれば手ずから入れて、食事が終われば食器を下げる。その訓練の一環なのだろう。
(それにしても、一人の食事ってのは味気ないな……)
今日は
広い食事どころには僕とシラユキしかいない。時折、この家の侍女が出入りするが、僕に対しては目を向けようともしない。
成長し、体が大きくなってくるにつれて、この家のメイドはより一層僕に寄り付かなくなってきた。
物御心つかない幼子よりも、ある程度知能がついてきた子供の方がより不気味に見えるのだろうか?
最近では家族以外で僕に声をかけてくれるのは、メイシアや近衛軍の兵士たちくらいである。近衛軍の兵士たちも、入れ替わりや新人の入隊による人の出入りで、全員が全員、僕に対等に接してくれる訳ではなくなった。
1年前よりも、僕の家は僕にとって居心地が悪くなってきている。
獣人族であるシラユキも、この家のメイドから厄介者として扱われていた。母の側仕えであるメイシアが主に教育を行なっているため、表面上は受け入れられているが、その実情は異なる。
主人とその侍女共々、この家に嫌われていると思うと悲しくなってくるな。
「……ごちそうさまでした」
僕が手を合わせて挨拶をすると、シラユキが食器を片付け始める。ここで下手に手伝うと、シラユキが怒られてしまうので僕は手を出さない。
ただ一言「ありがとう」とだけ言って、僕は部屋に戻った。
午後は魔術の授業である。
これも少し憂鬱だった。ルディの話では、僕に魔術の才能はない。魔術に適さない魔力を有しているから、魔術の発動ができないのだ。それに、魔術の家庭教師も僕のことをあまりよく思っていないみたいだし。
魔術も発動できない上に、金色の眼を持った僕に対して、魔術をしっかり教えようという気概が感じられないのだ。
ただ、金をもらえているから、表面上は教えているといった感じである。
「うーん。正直時間の無駄と言えば無駄、なんだよなあ」
魔術をやるよりも、今は精霊術の勉強の方がよっぽど興味がある。だけど、勉強しておくに越したことはないし、仕方ないか……。
食後特有の眠気に、襲われて、僕はベッドに寝転んだ。時間になれば、シラユキが起こしにきてくれる。それまでは少し眠ることにしよう。僕は瞼を閉じて、微睡に身を任せた。
魔術の授業も終わり、日の位置がだいぶ低くなって来た頃。
この時間帯の僕は夕食の時間まで基本的に暇である。近衛軍の訓練も、勉強の予定もない。この時間は家族との団欒や、自分の時間として使ってきていた。
しかし、シラユキがうちに来てからは少しだけ変わった。
「……相変わらず身体能力は高いね」
「っはぁ、はぁ……きょうしゅくです」
薄汚れたメイド服に身を包んだシラユキが、肩で息をしながらそう言った。
彼女の手には、刃渡り20cmほどの木のナイフが添えられている。
僕とシラユキがやっていたのは例の近衛軍の訓練でもやっていた組み手、である。
この組み手は、僕とシラユキのコミュニケーションの一環として始めたものだった。
そのうち手放す存在ではあるシラユキではあるが、向こう何年かは一緒にいるのは確実である。最低限の信頼関係は築いておくに越したことはない。
そこで、メイシアに頼んで、僕はシラユキとの時間を確保してもらったのである。
シラユキが来てから彼女に課せられたノルマは非常に多い。
侍女としての教育だけでなく、社交のマナーといった教養。はては兵士としての訓練まで彼女は行っていた。
明らかに側仕えの教育としては過剰なものではあったが、シラユキは獣人族の身体能力故か、全てをこなして見せていた。
メイシア曰く、側仕えの侍女は生半可なものではいけないらしい。侍女としてのスキルは当たり前であり、その他にいかに教養を身につけ、そしていざというときに主人を守れる武力を有する存在でなければいけないとのことである。
……メイシアにとってメイドっていうのは超人か何かなのだろうか?
ともかく、そう言った故か非常に忙しいシラユキと僕が共有できる時間が今のこの夕刻の時間なのだ。
最初は会話をしようと躍起になっていたのだが、会話は続かないし、シラユキはあまり話したがらないしで、かなり気まずい時間が続いた。シラユキとの時間はそれなりに長く確保されていたため、最初は非常に困った。しかし、そのうちにそれぞれの戦闘訓練の成果を試す場所へとなっていた。
その結果がシラユキと僕の組み手である。
言葉を交わす必要は最小限になるが、一緒にいる時間を作っているという目的には沿っている……と思われる。
少なくとも、シラユキと共に過ごす時間は増えて、会話も最初よりは多くなってきている。
それはとっても良いことなのだけど……。
(ただでさえ忙しいシラユキにさらに負担をかけてるんだよなあ)
僕とシラユキのコミュニケーションの基本は組み手という体を張ったものである。毎日の業務に加えて、全力の運動をするのはかなりの負担だろう。
だけど、このコミュニケーションを一気に捨て去れるほど、僕とシラユキの関係は深くなかった。
「……えっと、シラユキ? 大丈夫?」
「だいじょうぶです。もういちどおねがいします」
どうにかしたいとは思う。
しかしながら、当の本人はやる気である。再び、木のナイフを構えていた。
「……無理はするなよ」
それだけ言うと、僕は自分の木の剣を構えたのだった。
魔術はてんでダメな僕ではあるが、こと剣に関してはそれなりの実力がある。
バルザークの言葉によれば僕は
それは剣士にとって非常に武器になるものなのだという。
迫ってくるシラユキは同年代の少女とは思えないほどに速い。
だけど。
僕には
彼女の腕の振り上げ、足の踏み込み、手の動き、視線の向き、体勢。それらに目を向ければ、自ずと彼女の動きは
人間の予備動作が事細かに見える僕にとって、シラユキの次の行動を予測するのは難しいことではない。
振りかぶられたナイフの軌道に対して、僕は正確に木剣の腹を当てた。自分が耐えられる衝撃で受け流せる角度。鈍い木の音と共に、ナイフが剣の腹を滑る。軌道が逸されたシラユキのナイフはそのまま空を切った。
だけど、本命は別。僕の目は彼女の予備動作をしっかりと
受け流された勢いのままに彼女が足を踏み込む。
僕に迫るのはシラユキの
僕は彼女の渾身の一撃を最小限の振り払いで受け流すと、膝を一気に曲げ伸ばした。怪我をさせないように、脛から外れた位置を掬い上げるように蹴り上げる。
体勢を崩したシラユキは、しかし持ち前の身体能力を活かして前方宙返りを決めるとそのまま着地した。
再び両者の間には距離ができる。
僕は注意深くシラユキを見ながら、再び木剣を構えた。それは攻撃の構えではなく受けの構え。その構えを見てシラユキも体を低くした。
僕は目がいいと言われる。バルザークもそう言うし、僕自身そう思う。だけど、僕が持っているのはそれだけだ。
僕ができることはせいぜい見切って、対処をする事だけ。攻撃的な剣術、あるいは体術には向いていない。
膂力でも、敏捷性でも僕はシラユキに劣る。体力だけは拮抗してるが、それは僕が近衛の兵士たちに混じって訓練をしてきた故の賜物である。素の身体能力で僕はシラユキには敵わない。
その点シラユキは獣人の身体能力もあり、動体視力も良い。その上、飲み込みが非常に早い。
こと、近接戦闘においては天才的な素質を秘めていると言えるだろう。
(追い抜かれるのも時間の問題かな……)
再び迫る、シラユキを見ながら僕は思う。
ちなみにこの組手は日が落ちるまで続き、夕食の時間に間に合わなかった僕とシラユキはメイシアにこってりと絞られた。
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