これを優しさと呼ばないのなら過ちでもいい
長月瓦礫
これを優しさと呼ばないのなら過ちでもいい
パチパチと薪は音を立てて燃える。
適度につつきながら、火力を調整する。
静かな森にひとり、鬱陶しいものは何もない。
音を立てるのは赤く燃える炎だけだ。
駅から歩いて約10分のキャンプ場だ。
少しだけ日常から離れたいとき、お気に入りの道具を詰めてここに来る。
コーヒーミルのハンドルをごりごりと回す。
豆が砕かれ、香りが漂う。
俺はため息をついた。
時間にとらわれずにコーヒーを存分に楽しめる。
「あー……たまらんのう」
イスに体重をかけ、沈み込んだ。
お気に入りの道具を使い、自分だけの時間を過ごす。
これが大人の休日ってやつかあ。
わずかに揺れるたき火を眺め、コーヒーをすする。
少年時代、ガチキャンプをそれはそれで楽しんだものだ。
ぎっちぎちに詰め込まれたスケジュールもやたら厳しかった集団行動も今となってはいい思い出だ。あの経験がなかったら、外でコーヒーを飲もうなんて思わなかったかもしれない。
ザックから菓子を取り出そうとしたその手はすぐさま引っ込んだ。
ゆるい空気が一瞬にして吹き飛んだ。
軽装の女が目の前の木にロープを括ろうとしている。
俺は無言で背筋をただし、じっとその様子を観察する。
女は数ミリ上にある枝へ向かって、じたばたと手足を動かしている。
ジャンプしたり背伸びしたり、悪戦苦闘している。
踏み台でもあればよかったんだろうけど、そう世の中うまくはいかないよな。
俺はコーヒーをすすりながら、ロープと格闘する様子を眺めていた。
女は動くだけ動いて、その場でうずくまってしまった。
ロープは枝に垂れ下がり、ぐしゃぐしゃにからまっている。
あー……もうどうにもできないな。これからどうするんだろう。
俺はコーヒーを置き、少しだけ身を乗り出した。
女はむせび泣きながら、焚火の前に座った。
カップのコーヒーを一口飲んだ。
「誰も飲んでいいなんて言ってないんですけど」
「だって、枝に手が届かないんですもん! こんなことってありますか!
背が低いからってこんな目にあっていいんですかぁ!」
女は泣きじゃくる。都会よりも煩わしいものと出会ってしまった。
今すぐ逃げ出したいが、目を離したら何をするか分からない。
「こんなこと聞いていいのか分からないんですけど、何しに来たんですか。
ここの人じゃないですよね」
自殺をしに来たのはまちがいないだろうけど、なぜ目の前でやろうとしたんだろう。
火が見えていなかったのだろうか。
「だってぇ! かっちゃんと連絡がつかなくなっちゃったんです!
何回も電話してんのに! 出ないんですよ!
こんなん死んだほうがマシじゃないですかぁ!」
泣き声が響き渡る。愚痴が止まらない。
職場のしがらみやらなんやらをため込んでいたのが、失恋のショックで弾け飛んだ。
話を聞いいてる限り、そんな感じらしい。
本当に死ぬことしか考えてなかったんだな、この人。
女の勢いに圧倒されてしまい、俺は何もできなかった。
「これで楽になれると思ったのにぃ……!」
女はコーヒーをすする。なんとも図々しい人だ。
ある意味たくましさすら感じてしまう。
自殺は失敗してしまったから、同じことは繰り返さないだろう。
かといって、このまま放っておくわけにもいかない。
病院に連れて行くのが一番だろうけど、営業時間外だ。
「とりあえず、もう遅いですし。よかったら家まで送りますけど」
「そうですよねえ、家に帰るしかないんですよねえ……」
ため息をつきながらコーヒーをカップに注いだ。
「おかわりしないでください。
明日、病院に行ったほうがいいんじゃないですか」
「病院怖いです」
「見かけてしまった以上、僕もついていきますから」
「お願いします」
頭をこてんと下げた。
自殺未遂とはいえ、現場を見てしまった。
なんとなく、付き添わなければならない気がした。
「そういえば、名前を聞いてなかったです」
「よく聞こうと思いましたね」
「だって、コーヒーまでいただいちゃいましたし……」
「いや、アンタが勝手にこっち来て飲みだしたんでしょうが」
図々しいにもほどがある。
彼氏に見放されても仕方がないかもしれない。
「とにかく、いったん帰りましょう。明日のことは明日考えればいいんです」
「すごくいい言葉ですね、それ。私に今一番必要かもしれないです」
女はうなずきながら、涙をぬぐった。
愚痴も適当なところで切り上げた後は、道具を片付け、そのまま家に帰した。
ひとりになった途端、静寂と共に疲労感がどっと押し寄せた。
病院に付き添うとか言わなければよかったかな。後悔してももう遅いけど。
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