58話 イスクラの気持ち



 ヴォルテール様はそれからカイルを呼びに行くといって、部屋を出て行った。

 残された私が、マントを羽織り直していると、イスクラが私の膝に顎を乗せて来た。


「『ミルカ』『危ない目に』『あった』」

「……そうね。恐らくダミアンさんに敵意はなかったのだと思うけれど」


 でも、いきなりドレスを脱がされて、平常心でいられる女性は少ないと思う。

 ダミアンさんが私の体に呪いの気配を見つけたのであれば、もっと紳士的に、会話から始めて欲しかった。


(好意的に解釈すれば、それだけお父様の仇に繋がるものを見つけることに必死だった――ということなのでしょうね)


「『イスクラは』『ミルカの言うこと』『ちゃんと』『聞いた』」

「ええ。ダミアンさんを攻撃しないでくれてありがとう」

「『でも』『それは』『つらかった』」


 イスクラは目を細め、私の手にこてんと頭を預けた。柔らかな鱗の感触と、火吹き種の高い体温が伝わってくる。


「『イスクラ』『ミルカ』『大好き』。『守りたい』。『宝物』」

「イスクラ……」

「『ミルカは』『イスクラ』『ドラゴン』『人間を』『傷つけないように』『させたい』『それは』『分かる』」


 でも、とイスクラは唸った。


「『イスクラも』『ミルカ』『傷つけたくない』。『だから』『これから』『あんなお願い』『しないで』」


 苦々しい気持ちが伝わってくる。

 主人が無理やり連れて行かれるのを、ただ待って見ているというのが、イスクラにとってこれほど辛いものだとは思わなかった。


「……ごめんね、イスクラ。辛いことを言って、辛い思いをさせて。それでも私の言うことを叶えてくれて、ありがとうね」

「『あれは』『もう嫌だ』『ミルカを』『守りたい』『そばに』『いたい』」


 矢継ぎ早に繰り出される言葉に、私は思わずイスクラの体を抱きしめた。満足げに鱗を逆立てる彼女の、硫黄くさい吐息を耳元に感じる。


「二度とあんなこと言わないって、あなたに約束できたら、どんなに良いかと思う」

「『ミルカ』」

「あなたが辛い思いをしたことは分かる。申し訳ないと思う。……でも、ドラゴンが人間を傷つける前例は、作ってはだめなのよ」

「『でも』『あのドラゴンは』『ミルカを』『傷つけた』」


 背中の傷のことを言っているのだ。

 イスクラの金色の目がぎらりと光る。


「『許さない』『ミルカは』『イスクラのもの』『傷つけたドラゴン』『焼いて』『落とす』『絶対』。『でも』『ミルカは』『そう思わない』?」

「私は……私はドラゴンのことが好きだから。傷つけられたって、嫌いにはなれないし、殺すこともできない」


 あのお茶会の日、私の背中を抉ったドラゴンが現れなかったら、自分の人生は変わっていただろうと考えることはある。

 けれど、あのドラゴンに対する憎しみや怒りというものは、自分でも不思議なくらいなかった。


「だって、私はドラゴンが好きだから。鱗を持った隣人のようなあなたたちを、面白いと思うから。空を舞い、地面を駆けるあなたたちと、許される限り一緒にいたいと思うから」


 そして、人間が本気を出せば、弱いドラゴンたちを根絶やしにしてしまえることも、知っているから。

 ドラゴンを守るというのはおこがましいだろう。イスクラのように魔法を使える種であれば、むしろ私の方が守られる側だ。

 それでもヴィトゥス種やマゼーパ種のように、人間に慣れている優しい種は、人間がその気になれば殺処分してしまえる。


「私は王宮にいたから、あそこにいる人たちが、時に理解できない理由でドラゴンを殺すことを知っているの。王妃の前でお辞儀をしなかった、それだけの理由で翼を落とされたドラゴン。皇子を背中から落としてしまった罪で、角を切り取られたドラゴン。皆衰弱して死んでしまったわ」

「『翼のないドラゴンは』『死んでいる』『同じ』」

「そうよね。必死に止めたんだけど、王族の力には逆らえなくて。……って私、こんなのばっかりね」


 私が引き起こす結果は、いつも情けなくて不甲斐ないものばかりだ。

 ドラゴンを守ると言っておきながら、満足に守りきれた試しがない。アールトネン家だって、結局そうやって途絶えさせてしまった。


「私が何を考えていたとしても、それがどれほど正しい過程だったとしても、結果がなければ何の意味もないのにね」

「『それは違う』」


 イスクラがはっきりと首を振った。


「『守りたい気持ちは』『ドラゴンに』『伝わる』。『ドラゴンは』『気高い』。『同じくらい』『気高い者を』『知る』」

「気高い者って……もしかして、私のこと?」

「『他に誰が』?」

「ドラゴンに比べれば、私なんて」

「『ミルカの』『少ない』『悪いところ』。『私なんて』『と言う』」


 あむ、と手首を甘噛みされた。牙の感触がこそばゆい。


「『気高さとは』『心』『意志』『愛情』。『それをずっと』『抱き続けること』。『愛なき者に』『気高さは』『ない』」

「『その通り』」


 今まで聞いたことのない低い声が頭に飛び込んできて、私ははっと振り返った。

 ヴォルテール様と、その横には小さな黒いドラゴンが佇んでいた。

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