34話 仕事中毒
一日の仕事が終わる頃にはもう、すっかり日が暮れている。
軽い夕食をとった私は、イスクラと共に城の裏庭に出て、ベンチに腰掛けていた。
夜空を眺めながら、淹れてもらった暖かいココアに、ふう、ふうと息を吹きかける。
それをイスクラが隣で不思議そうに見ながら、自分もふうっと息を吐く真似をしていたのがかわいかった。
イスクラの吐息は白く空中に立ち上り、
「北方辺境は急に冷え込むのね……。毎朝寒さで目が覚めるわ」
「『一緒に』『ねる』?」
「うーん、すっごく魅力的な申し出なんだけれど」
ドラゴンと眠るのは、人間にとって快適とは言えない。彼らのかぎ爪は、薄い寝間着をやすやすと切り裂いて、人間を怪我させてしまうだろう。
それはドラゴンに悪意があるからではない。ただ、ドラゴンとは眠っている間もひっきりなしに動く生き物なのだ。
とは言え、こうしてココアを飲む間、ドラゴンにもたれかかるのは悪くはない。
火吹き種であるイスクラの体温によって、背中は常にぽかぽかしていたからだ。
「あなたはふかふかベッドが苦手でしょう。それにカイルとヴォルテール様だって一緒に寝てないし」
イスクラは不服そうに首を傾げたが、ややあって顔を私の肩の上にどっかりと乗せ、甘える声を出した。
「『なでて』『許す』」
「ふふ。はいはい、ここかしら」
ドラゴンと意思疎通が出来るというのは面白い。
他のドラゴンとはもちろん会話などできないのだけれど、イスクラを通じて、今まで分からなかったことが判明する瞬間が痛快だった。
例えば、ある種族のドラゴンは、石を飲み込んで、胃の中にたくわえたその石で食べ物を細かく砕いているとか。
体調不良だと思っていた鱗の色のくすみは、繁殖期の合図であることもある、とか。
「あなたといるとドラゴンについて色々なことが分かって、わくわくするわ」
「『イスクラの』『おかげ』?」
「ええ、あなたのおかげよ。ありがとうね」
するとイスクラはむふーっと鼻息をこぼし、胸を張る仕草をした。かわいい。
「そう言えば、タリさんが遠い街でのお仕事に出かけてもう四週間になるけれど……。まだ戻ってこないのかしらね」
なし崩し的にメイドとして頼ってしまっていたタリさんだが、いつの間にか姿を消していた。
もちろん私一人でも身の回りのことはできるけれど、あの他愛ないおしゃべりがなくなるのは、少し物足りないものがある。
(仕事だと聞いていたけれど、こんなに長期でいなくなる仕事って、一体何なのかしら?)
「ヴォルテール様に、いつタリさんが戻って来るか聞いてみましょうか。あなたの様子も報告したいしね」
イスクラを連れて執務室に向かいかけて、ふと何か差し入れを持って行こうかと考える。
(ヴォルテール様のことだから、夕食も抜きで仕事をしていらっしゃいそうだしね)
台所に顔を出すと、若いメイドさんが熱い紅茶とクッキーを用意してくれた。
それを持って、明かりを少し落としてある廊下に立つと、ヴォルテール様の室内から光が漏れているのがよく分かった。
「まだ働いていらっしゃるのね」
私は苦笑し、イスクラの尻尾で執務室の扉をノックしてもらった。
「ヴォルテール様。お茶をお持ちしました。少し休憩になさいませんか」
「ミルカ嬢か。入ってくれ」
扉を押し開けると、どこか切羽詰まった顔で書類を読み込んでいるヴォルテール様の姿があった。
机の上には書類の山が二つほどそびえたっている。新記録かも知れない。
私は苦労してお盆を置く場所を見つけると、荒れ果てた執務室を見回した。
書き損じの書類、参照したと思しき前年度の書類、花の鉢植え、ドラゴンの薬の空き袋。
「……これは、すごいですね。お花の鉢植えがせめてもの彩りというか」
「それは商品のサンプルだ。冬はこちらの地方にしか咲かない花を出荷して現金を稼いでいる」
羽ペンが羊皮紙の上を引っかくガリガリという音がこだましている。
それが心なしか
「あの、お手伝い致しましょうか。王宮へ提出する税金の報告書でしたら、やったことがありますので」
「……正直かなりありがたい、だが、」
「そちらの出荷申請書も、何度か書いたのでできると思います」
「……」
ヴォルテール様はしばらく難しい顔をしていたが、ややあって書類の山の五分の一ほどをつかみ取ると、私に差し出した。
「すまないミルカ嬢。頼めるだろうか」
「もちろんです! あちらの机をお借りしますね。あ、その前にヴォルテール様は休憩をなさって下さい」
机の上に無理やりスペースを作って、濃い紅茶を注いだカップを差し出すと、ヴォルテール様は素直にそれを口に含んだ。
長い長い溜息が聞こえてくる。そのまま寝てしまったら起こさないでおこう。
イスクラは暖炉の前の暖かいスペースにどっかりと腰かけると、目をつぶった。こういう時に大人しくしてくれるのは、彼女の良い所だと思う。
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