29話 皇子の復讐


 ハンス皇子はイライラと爪を噛みながら、目の前の惨状を睨み付けていた。

 ドラゴンの糞があちこちに落ち、食べ残しと思しき鹿の片足が、よく手入れされた庭木の上に投げ出されている。

 これだけやりたい放題しているにも関わらず、ドラゴンたちは苛立っていた。

 当然だろう。いつもまめに鱗を掻き、寝床を清潔に保ってくれていた人間が、いないのだから。


「午後はここでアンナが茶会を開くんだぞ。あいつが初めてホストになる重要な茶会だ」

「そう仰いましても」


 衛兵はやけになったように言う。


東屋あずまやがあの通りですから、どこでお茶会を開くというのでしょうか」


 美しく手入れのされた庭を一望できる東屋は、ドラゴンたちが屋根にたかり、翼を乾かす絶好の日光浴ポイントと化していた。

 東屋は華奢な作りであるため、ドラゴンの重みで柱がたわんでしまっており、その下でお茶を楽しむのは危険すぎた。


「では東屋をもう一つ作れ」

「無理です。人手が足りません」

「私の命令だぞ!? 人をかき集めてでも茶会が開けるよう尽力しろ!」


 そう叫んだ瞬間、背後で甲冑かっちゅうが擦れあう音が響いた。


「見苦しいぞ、ハンス。無理難題を押し付けるな」


 嘲笑含ちょうしょうぶくみの声に、ハンスは一気に体温が上がるのを感じた。

 ばっと振り向けば、そこにはにやにやと笑いながら、庭の様子を見ている兄の姿があった。


 セミスフィア王国の第一皇子、マティアス・ヴィルヘルム・ヴォーハルト。

 

 甲冑姿なのは、国内の内乱を鎮圧した、その帰りだからだろう。

 だがハンスはそれが気に入らない。

 内乱を鎮圧するために、父王が連れ出したのが、兄であることも。

 これ見よがしに武勇を見せつける兄の、忌々しい笑い顔も。

 ついでに、兄の登場を機にこれ幸いとこの場を離れる衛兵たちも。


「ひどい有様だな。ミルカとかいうイカレたドラゴン娘は職務放棄か?」

「いや。婚約破棄をして、北方辺境に追放した」

「は? 追放? 馬鹿だなお前、搾り取れるだけ搾り取れば良かったのに」

「そのくらいやってる。もうあの家には金目のものはなかった。アンナとも出会ったし、潮時だろ」


 第一皇子は片眉を上げた。その嘲り笑うような表情が、ハンスは大嫌いだった。


「せめて飼育人たちは手元に留めておくべきだったな。庭がこんな風になることは予想できただろ」

「プラチナドラゴンの仔の育成に失敗した連中だぞ。無能を飼うのは私の主義に反する」

「そうそう、そのプラチナドラゴンの仔とやらは、いい加減育ったんだろうな?」


 ハンスはぎろりと兄を睨み付けた。


「無能な飼育人と無能なミルカがいなければ、今頃は成体になっていただろう」

「ということはまだ幼体ということか。……なあハンス、お前が王になりたいのはよく分かる。だがな、順番でいくとまず王になるのは俺なんだ」

「……」

「お前がその順序をひっくり返したくて、プラチナドラゴンの仔を育てようとする気概は評価するが……。お前には王の聖なる気なんて、ないんじゃないか」

「ッ、それ以上私を愚弄ぐろうするな!」


 激昂するハンスに対して、マティアスはあくまで冷静だった。


「事実を述べているだけだ。お前の我がままにあのドラゴンを付き合わせるのは、かわいそうだと思わないのか?」

「我がままなどではない。私にもチャンスがあるべきだと言いたいだけだ」

「だがあのドラゴンは、北方辺境へ行ったのだろう?」

「ど、どうしてそれを……!」


 ここで兄が意地悪く笑ったり、からかうようなそぶりを見せたら、ハンスも好きなだけそれを罵ることができた。

 けれどマティアスは、ただ冷静に告げるだけだった。


「プラチナドラゴンが北方辺境へ行ったのは、イカレれドラゴン娘を追いかけたのではなく……北方辺境の領主に惹かれたからではないのか?」


 ハンス皇子の怒りは頂点に達した。

 北方辺境の領主。それは皇子にとって、忌々しい過去の記憶であったからだ。

 彼がまだ八つかそこらの時の光景だが、今でも覚えている。

 ヴォルテールという男の、冬空の如く冷え切った目を。

 第一皇子との王位継承争いに敗北し、王宮を後にする男の、恨みに満ちたあの表情を。

 ――ようやく北方辺境に閉じ込めたあの得体の知れない男が、自分よりも優秀であるはずがない!


「黙れ黙れ黙れ! あんな敗残者が優秀であるものか! 王宮から尻尾を巻いて逃げ出した奴の統べる領地など、惨めに餓えてこごえる人間であふれ返っているだろうよ!」

「そうとも限らんぞ、ハンス。私もあれを敗残者と見ていたが、北方辺境から上がる税金は遅滞がない。ついでに言うなら、反乱の兆しもない。上手く北方領域を治めているのかもしれない」

「ただの負け犬だろう。王宮に頭を垂れることを選んだだけだ!」

「……そうだと良いんだがな」


 マティアスはめた目でハンスを見ている。

 その瞬間、ハンスは気づいてしまった。


――もはや兄は、自分をライバルだと思っていない。マティアスがその存在を気にしているのは、北方辺境のあの男……ヴォルテールだ。


 全身を強い衝撃が走った。


 ハンスは踵を返し、ドラゴン舎に向かって走り出す。

 聖なるドラゴンのために作られたその建物の中に駆け込むと、プラチナドラゴンの仔が、静かに佇んでいるのが見えた。

 銀色の視線がまっすぐにハンスを射抜く。

 否、その冷徹な眼差しは、ハンスの向こう――高い空を見つめているようだった。


 誰も彼も、自分など眼中にないのだ、と気づいたハンスは、がくりとその場に膝をついた。


「……ふは、はははははは。ははははははははは!」


 哄笑こうしょうが響き渡り、ドラゴンが警戒するように翼を少し広げた。

 ハンスは挑戦的な目でドラゴンの仔を見やる。


「良いだろう、そうやって構えているが良い。しょせんはケダモノ、お前たちは人間にかしずく運命なのだ!」


 ハンスには、あてがあった。

 この忌々しいプラチナドラゴンの仔に、言うことを聞かせる術を授けてくれる人間が、既に頭の中に思い浮かんでいた。

 いつだってドラゴンに言うことを聞かせられると思うと、心に余裕ができる。


「今に見ていろ、兄上……! お前が侮っていた俺が、お前の代わりに玉座に座る様を見せてやる……!」

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