22話 異変
ドラゴンの背中からの眺めは、それはもう素晴らしかった!
その美しい色彩が、フィヨルドと呼ばれる入江に反射しているのは、今の季節にしか見られない絶景なのだそうだ。
フィヨルドを通り過ぎて、山間の上に差し掛かると、眼下を激しく流れる川を、勢いよく
二十頭で群れをなして飛ぶ私たちを見て、さっと姿を消すドラゴンや、山の動物たちの様子だって分かる。
パールに乗ったまま、草木の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、今まで感じた嫌なことが全て後ろに飛んで行ってしまうような気がした。
「わあああっ……!」
子供のような歓声が漏れてしまい、思わず口を押える。
けれど横を飛んでいたヴォルテール様にはばっちり聞かれてしまったようで、
「この眺めはドラゴン乗りの特権だぞ! 楽しめ、ミルカ嬢!」
と笑いながら言われた。
執務室では生真面目な顔をしているヴォルテール様も、風を切って空を飛ぶ快感には抗えないのだろう。ゴーグルを装着し、カイルと共にハイスピードで山間を舞っている。
「あんなに大きな体なのに、凄く器用に飛ぶんですね……!」
「カイルにはヴィトゥス種の血も混じってますからねー。しかも乗り手がヴォルテール様だし。あの方は、ドラゴンの才能を引き出すのがとてもお上手なんです」
横を飛ぶケネスさんが、声に興奮をにじませながら言う。
私はあまりドラゴンに乗ったことはない。王宮のドラゴンは王族が乗るか、
慣らすために乗ったことはあっても、こんな風に目的を持って、自然の中を飛んだことはないので、きっと下手くそだろう。
「乗り手によって飛行のレベルが変わるなら、パールには悪いことをしてますね。私みたいな素人を乗せるはめになっちゃって」
「そうですか? 不満そうには見えないですけどね。むしろのびのびしてる。こいつ、なかなか気難しい奴で、気に入らない人間は絶対乗せないんですけど」
そう言ってケネスさんはにやりと笑う。
「やっぱりプラチナドラゴンの仔に好かれる方は、他のドラゴンにも好かれるんでしょうか? ミルカ嬢からは何かフェロモンみたいなものが出ているのかも?」
「まさか! たまたまですよ」
ケネスさんはしばらくにやにやしていたが、ややあって弾かれたように顔を上げた。
その目線につられるように仰向くと、数十頭の小さなドラゴンの群れが、凄まじい勢いで頭上を通り過ぎて行った。
日差しが遮られ、昼間なのに一瞬手元が暗くなるほどだ。
「見つけた! 最初の群れだ!」
ヴォルテール様が叫ぶと、カイルが大きく口を開け、凄まじい声で吼えた。
「グルォオオオオオオオ……!」
峡谷にアルファドラゴンの咆哮が響き渡り、それに続いて仲間のドラゴンたちも大きな遠吠えを上げた。
お腹の底に響くような咆哮は、けれどパールからは聞こえなかった。
パールは懸命に口を開けて吼えるのだが、他のドラゴンのように雄々しい声にはなっていない。
(ヴォルテール様も、パールは咆哮が苦手って言っていたものね)
掠れた吐息はやがて咳き込みに変わり、私は落ち着かせるようにパールの首を撫ぜた。
「大丈夫、大丈夫よ。ゆっくり呼吸をしましょうね」
パールが深呼吸する様子がお尻から伝わって来た。すると、鼻先を微かに硫黄の匂いが掠めた。
私は首を傾げ、鋭い眼差しでドラゴンの群れを見つめるケネスさんに問いかけた。
「あの、狩りには銃を使うのでしょうか」
「いいえ、銃は使いません。
銃は誤って仲間を撃つ可能性が高いため、狩りにはご法度なのだそうだ。
ケネスさんは銃を持ってきてはいないし、もちろん私も持っていない。
(じゃあさっきの硫黄の匂いは何だったのかしら?)
けれど、深く考えている暇はなかった。
横をホバリングしていたケネスさんが、眉をひそめて早口で呟いた。
「妙だな。群れがやけにばらばらだ。普通は群れのアルファドラゴンが先導して、まとまった動きをするものなんだが……」
ケネスさんの言う通り、ラジャニ・カラ種のドラゴンは狂乱状態にあった。
皆がめちゃくちゃに飛ぶせいで、あちこちで衝突事故が起きている。その状態で団子になりながら、凄まじいスピードで峡谷を飛びぬけて行こうとしていた。
衝突した時に鱗がこすれて剥がれてしまったのだろう。
薄灰色の鱗の破片がはらはらと舞い落ちてくるのを、私は何の気なしに受け止めた。
「……痛っ!」
「ミルカ嬢? 大丈夫ですか?」
「これは――毒?」
鱗を受け止めた指先が黒ずんでしまっていた。火傷した時のような、じんわりとした痛みを感じる。
(待って、前にドラゴンの病気に詳しいアーニャが言っていなかった? 鱗が毒を持ってしまうドラゴンの病気。確かあれは……寒い地方の……)
考え込んでいた時だった。ヴォルテール様の声が朗々と轟いた。
「『
「何だって……!?」
ケネスさんが顔色を変える。
(『黒朱病』。そうだ、聞き覚えがある!)
「確か比較的小型のドラゴンに見られる、寄生虫の病気ですよね。黒と赤のまだら模様の芋虫みたいなものが、鱗の間の柔らかい皮膚を食い破って、ドラゴンの体内に入るっていう……」
「よくご存じで! あの様子を見るに、脳もやられてるようですね。狩りどころじゃない……!」
ヴォルテール様が皆に集まるよう合図を出した。
ドラゴンたちがホバリングしながら、カイルの側に集まる。
「狩りは中止だ。ただちにあの群れを始末する。用意してきた網はどのくらいだ?」
「今回は一組しか用意してきておらず……。ただ、あの群れの大きさであれば問題ないかと」
「やむを得んな。狩りの陣形は『鶴』で行く。黒朱病のドラゴンが村に入れば、他のドラゴンたちにも伝染ってしまう。断じて村には近づけるな!」
「それに、狂乱状態になったドラゴンたちが、村人たちを襲いかねませんしね……!」
緊張した雰囲気が漂っている。
用意された網を広げ、強度を確かめている人もいれば、自分のドラゴンのハーネスを調節している人もいた。
ヴォルテール様が私に向き直る。
「ミルカ嬢。あなたはラジャニ・カラ種のドラゴンに触れぬよう注意しながら、岩陰に隠れていてくれ」
「承知しました」
「本来であればケネスを同行させたいのだが、人手が足りん」
「いえ、一人で問題ありません。パールならきっと私を守ってくれます」
パールがきゅるるっと喉を鳴らし、胸を張るような仕草をした。
ヴォルテール様は頷いて、
「あなたならばきっと切り抜けられると信じている。――行くぞ!」
と、ドラゴンたちを率いて飛び去って行った。
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