裏庭の魔女

岡田 ゆき

プロローグ 私の庭と植物たち

「いいかいリリーナ、おまえの力を決して人間に話してはいけないよ」


 物心がついたときから、懸命に皆私にそう言い聞かせてくれた。


「リリーナ、ワタシたちとは家族の前ではおはなししてはいけないよ」

「リリーナ、君の魔力は人の心を惑わす」

「リリーナ、あなたの美しさは時に人の醜さを引き出してしまうわ」


 最初に教えてくれたのは私の家の庭の主、ユズの木だったか。


「いいかいリリーナ、恋をしてはいけないよ。再び大きな戦争が起きてしまうからね」




 その日のロズウェル家の朝の食卓は騒がしかった。


「昨日の夜会ったら酷いのよ! 男たちがお姉様のことを悪く言ったり聞き出そうとしたり…っ! 他の令嬢も冷ややかに笑って見物をしているの。噂好きも度が過ぎると品性の欠片も無いものね!」


 フォークを震えながら握りしめ、ロズウェル家の次女、カロリーナターシャが屋敷の外にも聞こえんばかりの声を張り上げている。

 カロリーナは華の16歳、この国では夜会に出て男女で歓談をし、婚約そして結婚へと女としての幸せへの道を歩み始める年頃だ。


 ロズウェル家はこの国の三大貴族の1つ。


 カロリーナは貴族として美しい振る舞いも教養も身に着けているし、ふわっとしたブラウンの髪は思わず触れてしまいたくなりそうになる愛らしい容姿。だが、彼女は良くも悪くも正直者。夜会で姉の悪口を言われたら黙ってるわけにもいかない性分だ。そしてその怒りは次の日にも持ち越されていたのだ。


 土いじりをしていた姉のリリーナターシャの手が止まり、屋敷の外からそっと妹の怒号に耳を傾ける。


「結婚適齢期を過ぎても一度も社交の場には姿を現さないロズウェル家の売れ残り長女はどうしたって。次女は逆に男漁りに積極的だ、と! 私はそんなことを言われたのよ!」


 はしたなくも握った拳をダンっとテーブルに打つと、向かいに座って食事を進めてした両親の手が止まる。

 今朝のメニューは、蒸したハクサイとキャロット、クロワッサン、そしてジャガイモのポタージュだ。

 反抗期の子どもを優しく嗜めるように父親が切り出す。

「愛しい我が娘カロ、そんな失礼極まりない言葉を受けてしまってなんとも可哀想なことをさせてしまった。可愛い娘たちを侮辱するなど、父親として許せることではない」

「ええ、その通りだわ」

 そして落ち着いた声色で父は続ける。

「毎日、こうして美味しい食事をいただけるのは、リリーのおかげだ。今も日が高くなる前に自らの手で野菜や草花を育て、慈しんでいる。そんなことが出来る令嬢は私の娘ぐらいだろう」

 父とは対照的にカロリーナは興奮冷めやらぬ。

「もっと貴族たちにお姉様のことを自慢しても良いのではないかしら?」

「カロ、リリーは幼い頃から他人に接するのが極端に苦手だ。でもあの子は花や野菜を育てることで生き甲斐を得ている。親として結婚をして欲しい気持ちがないと言えば嘘にはなるが、あの子の幸せを守ってやりたい。カロ、おまえの幸せももちろん守りたいと思っている。今度王城へ行く際に見合い相手に相応しい男がいるか、探してみるとしよう」

「ぜひお願いしたいわ」

 と、冷めない内にカロリーナはスープを啜った。

「お姉様を悪く思う人にお姉様の野菜を絶対に食べさせたくないんだから!」

 やれやれ、と苦笑をしながらロズウェル家夫妻も同じくスープを啜った。


「私のせいでカロが結婚出来ないなんて……」

 彼女は神妙な面持ちで庭から館を見つめている。

 薄い綠色で自然とウェーブのかかった長い髪は雑に1つに結ばれているも、美しく風に靡き、真っ白のシャツの首元の襟はシャンと整っている。そして深黒のつなぎのズボン。この国の貴族の令嬢でスカートやドレス以外の服を着ているのは彼女だけだろう。見た目よりも合理性、土いじりをするのにスカートはただ動きにくく裾も汚れるだけ。


 だがしかし、彼女は美しい。


 瞳は彼女の髪と同じライトグリーンに少しローズピンクが濁った珍しい色であり、鼻筋は通り、まつ毛も手入れなどしていないにも関わらず見事にカールしている。彼女が貴族らしい格好などすれば忽ち男たちが寄ってくるだろう。


 しかし、彼女は恋愛に無頓着だ。

 いや、むしろ避けている。


 幼い頃から植物たちに忠告をされていたからだ。


 自分が恋愛をすれば戦争が起きてしまう。とは言いつつも、植物の世話をするのが生き甲斐の彼女には恋愛に興味が起きることも無かったが。


「気にすることないわリリーナ、さぁ今日も私の弦でハクサイを縛っておいたわよ」


 彼女を元気づけているのは弦が長く、赤子の手ような柔らな黄色の花を咲かすサージ。

 リリーナは土色のフード付きのローブを被って身を隠し、麻の大きな袋にハクサイや他の野菜を詰め込めて持ち抱え、庭を後にした。


「行ってらっしゃいリリーナ、気を付けて」


 見送りの言葉をかけたのは庭の全ての植物たちであった。柔らかな風に吹かれ、心地良さそうに揺れている。

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