第95話 クリスとのデート①

「ハジメー、朝だよー。

 起きなさーい」


 ドンドンと、俺の部屋のドアをノックする音。


「わかったよ。

 今起きるって」


 あくびをしながらドアを開ける。

 そこには、怒った顔のニーナが立っていた。


「今日はクリスさんと街に出かけるんでしょ?

 早く準備しなさい」

「はいはい。

 起こしてくれてありがとよ」


 ドアを閉めて、パジャマを脱いだ。



 ―――――



 この3日間。

 俺は悶々とした夜を過ごし、寝不足だった。

 原因は、エミリーとのデートのせいだ。


 多分あの時、初めて俺はエミリーを対象として認識した。

 途端に。

 見慣れたはずのエミリーが、何だか女性としての魅力を伴って見えたのだ。


「はぁ……」


 正直俺は、この感情を持て余していた。

 この感情がなんなのか、判断ができないのだ。


 寝るときには、デートの記憶がフラッシュバックする。

 ネックレスを着けようとした時の、細い首筋。

 華奢な肩。

 襟から覗いた、胸の谷間。

 夕暮れの中を歩く後ろ姿。


 そんな映像が、ずっと俺の頭をグルグル回っている。


 まさに、デートというものの魔力にやられてしまったのだ。

 もうそんな年でもないというのに。

 情けないことだ。でも仕方ないんだ。

 童貞だもの。

 ハジメ。


 俺はエミリーのことを好きだし、大切に思っている。

 これはもはや、恋と呼んでもいいのかもしれない。

 魔術学院で罵詈雑言を吐かれていた記憶ですら、なんだか美しく思えてくるのだ。


 ――そう、俺はエミリーに、恋をしているのだ。

 でなければ、女の子とちょっと距離を詰めただけで意識して、あらぬ妄想をする、童貞丸出しのイタイやつということになってしまうではないか。


 だとしたら、今日のデートは浮気になってしまうのか?

 ……いや、これは俺のこの気持ちが果たして本物なのか、確かめるいい機会になる。


 エミリーへの気持ちが本物ならば。

 今日クリスと街を練り歩いたところで、何も感じないはずだ。


 よし。

 やってやろう。

 俺は、童貞丸出しのイタイやつなんかじゃない。

 自分で自分を、証明して見せるぞ!



 ―――――



「……どうだろうか、ハジメ。

 へ、変じゃないか?」


 クリスが、家の前に立っていた。


「うわー、クリスさん、キレー」


 隣のニーナが、感嘆の声を上げる。


 クリスの普段着は、何度か見たことがあった。

 だからある程度の、想像はついているはずだった。

 だというのに、これはおかしい。

 心臓の音がうるさくて、何も聞こえない。


 ……いや、落ち着け。

 落ち着くんだ、俺。

 まずは冷静に、状況を整理しよう。

 落ち着いて、相手をよく見るんだ。

 決して、勝てない敵じゃないはずだ。


 まずは一番上。頭からだ。

 今日のクリスは、普段後ろで結んでいる髪を下ろしている。

 それだけで、雰囲気ががらりと変わって。

 女性的な雰囲気が前面に押し出されている。

 それを後押しするかのように、頭の上には、白くふわふわした帽子。


 オーケーオーケー。

 このくらいは、想定の範囲内だ。

 クリスが兜を脱いで、髪を下ろせばかわいいことは、昔から知っている。

 さぁ、次に行こう。


 少し視線を落とせば、白のニットが目に入る。

 高級な素材で編みこまれたであろうそれは。

 クリスの上半身に吸い付くように、その身体の起伏を露わにしてしまっている。

 

 脳内に、アラートが鳴り響く。

 それ以上、見てはいけない。

 それ以上見たら、


 ……だが。

 その圧倒的な存在感。

 それがそこにあると知ってしまったら。

 もう、見ないではいられない。


 そこには。

 大きな山が2つ、そびえたっていた。

 かつての世界で例えるなら、エベレストか、ゴドウィンオースチンか。

 その巨大さに圧倒されて、何も考えられなくなってしまう。


 しかし、それだけなら。

 それだけなら、まだよかった。

 最も重大な問題は、その先にあった。


 山同士の間には、境界線があるのだ。

 ショルダーバッグのひもによって形成される、黒いライン。

 それはまるで、ボディビルダーの身体に塗るタンニングローションのようだった。

 それによって、二つの山の存在感は、さらに増し。

 クリスが動くたびに、山同士がぶつかるその様は。

 さながら巨大な氷山が海でぶつかり、自壊するような。

 そんな壮大さを、感じさせずにはいられない。

 目を離すなど、できるわけがない。


 さらに視線を落とせば、ヒラヒラと舞うスカートだ。

 膝までしっかり覆われているため、色気が強いわけではない。

 だが、それに覆われている脚。

 無駄な脂肪が一切ない、カモシカのような長い脚。


 しかもこの脚は、長くて綺麗なだけではない。

 いざとなれば、野生の獣も相手にならないほどの速度を出せる、凄まじい機能を備えているのだ。

 まるでレーシングカーのような、機能美と造形美の融合。

 足元はピンヒールだというのに、重心を全くブラさずに立っている。

 地球のトップモデルだって、こんな美しい立ち方はできまい。


 上から下まで、クリスを眺め終わった俺は。

 何も言えなかった。

 以前、アバロンで飲んでいた時の私服とは、比べ物にならない魅力が、そこにはあった。


「おい、ハジメ?

 固まってないで、何か言ってくれ

 や、やっぱり変だろうか?」


 クリスが不安そうな声を出す。


「い、い、い、いや。

 すすすげー、似合ってるよ?」

「ハジメ、どもりすぎ」


 ニーナが横から口を挟む。


 いや、これはやばい。

 まじでやばい。


 なんだかんだ言っても、エミリーはいつもゴスロリ衣装だった。

 こないだの時も、雰囲気は変わったが、その枠組みからは外れていなかったのだ。


 しかし、今回はやばい。

 普段の武骨な鎧姿とは、180度方向が違う。

 服や化粧がおしゃれなのは言うに及ばず。

 なにより鎧に隠れて見えていなかったボディラインが、めちゃくちゃ見える。

 しかもそのボディラインときたら、モデルとグラビアアイドルをいいとこどりしたかのようなスタイルだ。


 エミリーの胸チラ程度で悶々としていた俺には、これは刺激が強すぎる。


「ほら、クリスさん困ってるじゃない。

 早く行きなさい」


 あきれたニーナが、背中を押してきた。

 つまずきそうになって、よろめいた先には、クリスの顔。


「……よ、よろしく頼む」

「……あ、ああ。よろしく」


 なんともぎこちなく、一日が始まった。






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