第67話 森の中の冒険⑥
「それは、その人を救おうとしてるんだよね?
すごい発想だね。
心臓を外から手で押して動かすなんて、考えつかなかったよ」
そのエルフは。
気付けばすぐそばにいて、興味深そうにこちらを見ていた。
「……ああ、ごめんよ。自己紹介がまだだったね。
僕はカヤレツキ。
見ての通り、しがないエルフだ」
突然現れたその存在に、あっけにとられた二人だったが。
自己紹介を聞いて、ようやく我に返った。
摩耗した頭をなんとか回転させ。
目の前の状況への対応を考える。
「……名前は分かった。
それで、何の目的でここにいる?」
一瞬の逡巡ののち。
クリスは立ち上がり、剣柄に指をかけた。
本来なら、手放しに喜んでもいいところだ。
この旅の目的はエルフの里なのだから。
エルフに会えたなら、手がかりにならないわけがない。
しかしそうするには、状況が切迫しすぎていた。
こちらに接近した理由がわからない以上、隙を見せるわけにはいかない。
クリスはそう判断した。
「驚かせてごめん。
でも、そんなに警戒しないでくれよ。
僕がここに来たのは、君達を手助けしたいからなんだ。
詳しい事情はちょっと長くなるから、今は話せないけど。
信じてほしい。
それに……ほら、もし君たちを害する目的なら、声をかけたりはしないんじゃないかな?
声をかけるまで、君たちは全然僕に気付いてなかったんだからさ。
その優位を捨てるのは、合理的じゃないはずだよね?」
エルフは真摯な面持ちで言った。
両手を上げ、武器を持っていないことをアピールしている。
今このタイミングで、ここに来た理由は気にかかるが。
表情や振る舞いは、害意があるようには見えなかった。
さらにその動作の一つ一つから、クリスは彼の戦闘能力の低さを読み取った。
それらの考えを統合し。
クリスはひとまず、このエルフを信用することに決めた。
「……すまなかった。
非礼を許してくれ。
こちらにも余裕がないもので」
剣柄から指を離し、頭を下げる。
「いいよいいよ。
突然見たこともない種族が目の前に現れたら、警戒するのが当たり前さ。
……それで、そのヒトは大丈夫?」
指し示す先には、横たわるハジメと、必死で蘇生を続けるエミリーの姿。
クリスの表情に痛みが走る。
今の状況を言葉にすること。
それは今の彼女にとって、酷な要求だった。
「さっき……戦闘があって。
ひどい怪我を負ったんだ。
怪我自体は治癒魔術で治したんだが……。
心臓が、動かないまま、どんどん冷たくなって……」
言いながら、もうダメだと思ってしまった。
心臓が止まり、呼吸がない。
それが死以外の何だというのだ。
藁にもすがる思いで、昔ハジメに教わった蘇生法を実行してみたが。
何も変わらぬまま、ハジメはどんどん冷たくなっている。
……涙が溢れてくる。
もう、ハジメは戻らないのだ。
「――僕が治そうか?」
目の前のエルフ――カヤレツキは、事もなげに、そう言った。
「え?」
思わず、クリスは聞き返す。
「もしよかったら、だけど。
僕、治癒魔術は得意分野なんだ。
心臓が止まってからも、そうやって延命をしてくれてたなら、もしかしたら治せるかも」
その言葉に――。
「お願いします!」
エミリーが、即座に反応した。
「お願いします!
何でもします!
何でもしますから!
ハジメを助けて下さい!
お願いします!」
ハジメの胸骨を押しながら、エミリーが叫ぶ。
頭には雹が積もり。
髪も服も、血と泥で汚れ。
赤く泣き腫らした目で懇願するその姿。
それは、普段の彼女からは想像もできないほどかけ離れていた。
しかしそのまっすぐな本心に、クリスの胸中までもが震わされる。
クリスも、エミリーに習って深々と頭を下げた。
「私もお願いします。
私も、できることなら何でもします。
彼を助けるすべをお持ちならば、何とぞお施しを賜りたく」
クリスにとっても、ハジメはかけがえのない存在だ。
もし蘇生が叶うというなら、自分の持つ全てを失っても構わないと思えるほどに。
そんな彼女らの願いに、カヤレツキは微笑んだ。
「……いいパーティーなんだね。
倒れてる彼が、少しうらやましいよ」
彼はハジメの傍に近づき、腰を下ろす。
「えっと、お礼とかは何もいらないかな。
さっきも言った通り、ボクは君達の手助けをするために来たんだ。
それに、申し訳ないけど、確実に治せる保証があるわけじゃない。
もし思うようにいかなかったら、ごめんね」
カヤレツキはそう言うと、懐から杖を取り出した。
「……じゃあ、はじめるよ」
カヤレツキが、ハジメに向けて杖をかざす。
すると、ハジメの身体がエメラルドグリーンの光に包まれた。
やわらかく、暖かい光。
その光によって。
壊死を迎えていなかった細胞達が活性化され。
少しずつ、本来の働きを取り戻していく。
「ちょっと驚くかもしれないけど、心配しないでね」
そう言って、カヤレツキが杖を振る。
すると、空中に水の玉が出現した。
両手で抱えるくらいの大きさの水球が、ぷかぷかと浮かんでいる。
そして、突如。
その水球から棘が生え、ハジメの首を突き刺した。
「――何を!」
エミリーが立ち上がりそうになるが、クリスが制止する。
放っておいても死ぬ人間を、自分達の反感を買ってまで傷つける理由がない。
そう判断したからだ。
その棘は。
首の皮膚を貫き、頚静脈へとつながっていた。
棘から血管内へ、水が流れ込む。
血液の枯渇により収縮していた血管が、徐々にその容積を取り戻していく。
さらに、魔力により体中の造血細胞も活性化し。
生理的な限界を超えた速さで、血球が血管内へと供給される。
瞬く間に、血管が血液を送る道路としての機能を取り戻した。
「さて、ここがちょっと難しいんだけど……えいっ」
カヤレツキは杖を上げ、ハジメの胸へと振り下ろした。
トンッ、と乾いた音がした後に。
その音量に見合わない鋭さで、ハジメの身体が跳ねる。
それにより、心筋が収縮し、ごくわずかに心臓が動いた。
その運動を、魔力により活性化した洞結節が敏感に感じ取り、働きを再開する。
洞結節から送られる電気信号は、心筋へと伝わり。
それらは、収縮と弛緩を繰り返した。
――つまり。
心拍が、再開した。
「……よし。
これでひとまずはいいかな。
ただ、呼吸は脳が回復してくれないとどうしようもないんだよね。
さっきみたいにチューしてもらってもいいけど、それだと大変だもんね。
うーん。どうしようかな」
カヤレツキは腰に持っていた革袋を取り出し、中身をドボドボと捨て、袋をハジメにくわえさせた。
口の周りに隙間ができないようにその袋を押すと、ハジメの胸が上下する。
「はい、これ、やってあげて。
それじゃ、今から里に案内するね」
呆然とその様子を眺めていた二人は、その言葉で我に返った。
差し出された袋をクリスが受け取り、おずおずと袋をハジメの口に当てる。
エミリーには、目の前の光景が信じられなかった。
「あ、あの……」
「ん? どうしたの?」
「……心臓、動いてるんですか?」
「うん。動いてるよ。触ってみたら?」
エミリーは恐る恐るハジメの胸に手を伸ばす。
ドクン、ドクンと。
そこには確かに、鼓動が存在した。
「動いてる……」
「でしょ?
でも頭の方がどうなってるかわからないから、回復については今の時点では何とも言えないんだ。
ごめんね。
ただ、とりあえず一命は取り留めたって感じかな。
君達の治療のおかげだよ。
放置された時間が長かったら、無理だったと思う」
エミリーはその言葉を、ほとんど聞いていなかった。
ハジメの心臓が動いている。
その事実だけで、頭の中は喜びに埋め尽くされていた。
「ありがとう……ございます」
不思議だ。
今日、あれほど涙を流したというのに、それでも枯れることなく溢れてくる。
エミリーの涙はハジメの胸に零れ落ち、その服に染みをつくった。
「さぁさぁ、とりあえず移動しようか。
ここは寒すぎるよ。
彼を温めてやらないと。
それに君達だって、指先なんか寒さでやられちゃいそうな感じだし。
早いとこ里に向かって、いろいろ考えるのはそれからにしよう。
荷物は置いていって、また取りにくればいいよ。
そんなに遠くないからさ」
その言葉に従って、エルフの里へと向かうことにした。
ハジメには大量の防寒具を着せて。
クリスがハジメを担ぎ、エミリーが革袋による呼吸を行いながら、カヤレツキの案内に従って歩く。
それから小一時間ほどで。
エルフの里へと、到着した。
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