第55話 エミリーの事情②

 夕食が終わってからは、気楽な時間が過ぎた。


 浴場に案内され、豪華な風呂を味わう。

 風呂は広いうえに、温かいお湯で張ってあった。

 旅の疲れも癒されるというものだ。


 明日は、エミリーの父親と会わなければならないらしい。

 俺はエミリーの横で頭を下げておくだけでいいと言われたが、何の話をするつもりなのやら。


 ……まぁ、考えてもしょうがないか。

 エミリーを問いつめるのはあきらめたし。


 俺はエミリーのことを信頼している。

 この旅行中の彼女はなんだか変だが、それだけでこれまでの日々が覆ることはない。

 秤にかければ、余裕で信頼の方に傾く。

 きっと何か、事情があるのだろう。



 ―――――



 翌日。

 エミリーファミリーと気まずい朝食を摂った後。

 与えられた部屋でダラダラと過ごしていたら、エミリーの父、グレンデル侯爵が帰ってきた。


 とりあえず俺は、部屋で成り行きを見守る。

 ちょこちょことメイドさんを呼んで、状況を教えてもらった。

 侯爵はエミリーの在宅について、母や兄から事情を聞いたりしているようだ。


 そのまま、しばらく時間が経った後。

 ベッドで寝ころんでいたら、ノックの音が響いた。

 起き上がって、ドアを開ける。

 そこには、エミリーが立っていた。


「ハジメ、今からお父様の所に行くけど、準備はいいかしら」


 彼女は、いつもの上から目線でそう言った。


「準備も何も、俺は頭を下げて黙っとくだけなんだろ?」

「……そうね。その通りよ。

 じゃあ、行きましょう」


 エミリーに連れられ、しばらく歩く。

 やがて、1つの扉の前にたどり着いた。


 エミリーは立ち止まり、その扉を見つめていた。

 やがて大きく息を吐くと、右腕をあげて、ノックをした。


「お父様、エミリー=フォン=グレンデル、参りました」

「入れ」


 すぐに中から声がして、エミリーが扉を開けた。


 広い部屋だ。

 両端にはズラリと本棚が並んでいる。

 奥の窓際に机が置いてあり、そこで一人の男が執務を行なっていた。


 鋭い目つき。

 齢50を超えているそうだが、筋骨隆々とした身体はその頑健さを主張している。

 白髪と顔に刻まれた皺は、老いというよりも威厳の象徴としてそこにあった。


 彼こそが。

 このグレンデル領の領主、ガドリーノ=フォン=グレンデル侯爵なのだろう。


 なんとも堅物そうで、冗談の通じなさそうな親父だ。

 目元はエミリーにちょっと似てるけど。

 それ以外に共通点が浮かばない。

 強いてあげるなら、頑固そうなところか。

 母親似だな、エミリーは。


 とりあえず俺は、言われた通りに跪いて、頭を下げた。

 俺はこの先ずっと、絨毯を見ながら会話を聞くことになるらしい。

 しんどいな。


「さて、話を聞こうか、エミリー」


 侯爵が言葉を発した。

 低くて渋い声だ。

 しかしその口調の中には。

 一人娘に対する甘さなど、みじんも感じ取れない。


 そして、エミリーが言葉を発した。


「はい。

 単刀直入に申し上げます。

 私は家名を捨て、この家を出ていきます」


 ……え?

 マジで?


 予想もしなかった言葉に、俺は衝撃を受けた。

 エミリー、家を出ようとしてたのか。

 もっと早く相談してくれたらよかったのに。


 しかしこんな感じで出ていくのか?

 子どもの家出って、親と口喧嘩して感情的になって、つい口走って、後戻りできなくなってやるもんじゃないの?

 こんな冷静な家出宣言ってあるものなの?


 ……いやでも確かに。

 振り返ると、思い当たる節はあるかもしれない。

 彼女は魔術が大好きだ。

 どこぞの貴族と結婚して優雅に平穏に暮らすのは、性に合わないのだろう。

 学校を飛び級しなかったのも、つまらないお見合いをさせられるからだと言っていた。

 エミリーほど魔術を好きな人間を見たことがないし、エミリーは魔術の天才と言って過言ではない。

 彼女には意志と資質が同居しているのに、境遇だけがそれを許さないのだ。

 それならば、その境遇を覆してしまおうと、彼女は考えたのだろう。


 ……俺は。

 いい選択だと思う。

 エミリーは、どこかの貴族の妻で納まる器じゃない。

 彼女が魔術に関わらない人生を歩むなんて、もはやこの世界にとっての損失だ。


 しかし。

 家名を捨てるということは、家族を捨てるというと。

 これまでのエミリーは、その殆どをこの城で過ごしてきたはずだ。

 彼女は幼年学校には通わず、家庭教師に勉強を習っていたと聞いた。

 つまり彼女は魔術学院に入学するまで12年間、この城で、家族と共に過ごしてきたのだ。

 16年のうちの、12年。

 その年月は、とてつもなく大きい。

 そんな家族と別れるなんて、相当に重い決断だったろう。


 しかしエミリーは、逃げずに人生と向き合ったのだ。

 流されるままに生きていくことを良しとせず。

 周囲の流れに逆らって、自分の意志を全うする道を選んだ。

 誰にでもできることではない。

 すごいぞ、エミリー。


「……理由を聞こうか」


 侯爵が尋ねた。

 間があったことからして、侯爵も驚いたのだろう。


 ――さぁ、言ってやれ、エミリー。

 私は魔術とともに生きていくんだ、って。

 貴族の政略結婚の道具になんてならない、って。


 俺はエミリーのことを応援するために。

 祈りをこめて、目を閉じた。


 意を決した様子で、エミリーが答える。


「はい。

 ――私は、ここにいる彼、ハジメのことを、愛しているからです。

 私は、彼の側にいたい。

 彼の行く末を見ていたい。

 彼は目的のために、この国にとどまる事はできません。

 ならば私は、その旅に寄り添いたい。

 ……それが、理由です」

















 …………。

 …………………はっ。

 

 あ、ああ、なんだ、夢か。

 びっくりした。

 また異世界に飛ばされでもしたのかと思った。


 恐ろしい夢だった。

 なんたって、あのエミリーが、俺のことを愛してるって言うんだぜ?

 こんなに恐ろしい夢はみたことがない。

 あるとしたら、彼女に浮気がばれた時くらいなもんだ。HAHAHA。笑えよ。


 ――ああもう、とにかく、驚かせやがって。

 夢だよ。夢。

 なぁんだ。

 当たり前だ。考えてもみろよ。

 そんなこと、あるわけがないだろ?

 顔を合わせれば必ず罵倒してくる、あのエミリーが。

 俺のことを、愛してるだなんて。


 その証拠にほら、俺の身体は自宅のベッドの上にあるはずだ。

 さぁ、目を開けてみろよ。

 ほら、そこにはいつもの天井があるはず――。


 意を決して。

 目を開けた俺の視界に、飛び込んできたのは。

 数秒前となんら変わらぬ、絨毯の綺麗な模様だった。




 ……え?

 …………マジ?


 マジなの、これ?

 現実なの?

 嘘でしょ?


 もはや、何も考えられない。

 しかし混乱する俺をよそに、話は進んでいってしまう。

 俺と駆け落ちするためにエミリーが家を出ようとしていると、侯爵はそう理解したようだ。


「エミリー。

 お前がこれまで、食うに困ることもなく。

 着る服に困ることもなく。

 住む場所に困ることもなく。

 完璧な教育を受けて育つことができたのは。

 ……一体誰のおかげで。何のためだと思っている」

「ひとえに、領民のおかげで、領民のためです」

「そうだ。

 お前という人間は、このグレンデル領の民が払った税によって成り立っている。

 それは即ち、領民のためにその人生を全うする義務があるということだ。

 そのために最も重要なお前の役目は、領にとって良い関係を築ける相手に嫁ぐことに他ならない。

 ……エミリー、受けた恩も返さずに、我欲を通すというのか?」


 侯爵が強い口調で尋ねる。

 しかし、エミリーは怯まず、はっきりと答えた。


「はい。

 民に顔向けのできない行為だということは、承知しています。

 しかし、私は決めたのです。

 私は、私の人生を生きると。

 これまでにいただいた施しは、生涯をかけて必ず返します。

 許してほしいとは言いません。

 そして私は、許しを請いに来たのではありません。

 ……私はただ、お伝えしに来たのです。

 エミリー=フォン=グレンデルは今日をもって、ただのエミリーとなります」


 ――ドンッ!


 と、硬い音が響いた。

 恐らく、侯爵が拳を机に打ち付けた音だ。


 そして、深いため息が聞こえた。


「お前は、私の教育を全て理解した、唯一の子どもだった。

 私はお前の相手に、このグレンデル領を任せようとすら考えていたのだ。

 お前ならば、夫を諫め、うまく舵を取らせるだろうと信じていた。

 例えそうならなくとも、お前は優秀だ。器量も良い。

 嫁いでもこのグレンデル領のために、必ずや貢献するだろうと、そう思っていた」


 力のこもらない、落胆した声。

 本当に、エミリーへの期待は大きかったのだろう。


「……申し訳なく思っています」


 エミリーの声が、かすかに震えている。

 しかしその感情は、もはや俺には理解不能だ。


「もういい。分かった。

 ……出ていくがいい。

 アバロンの邸宅までの馬車は用意してやる。

 身の回りのものも、好きにしろ。

 だが二度と、グレンデルの名を名乗ることは許さん」

「温情、感謝いたします……お父様」


 震える声でそう言って、エミリーは踵を返した。

 俺も立ち上がり、追従する。

 去り際に、ちらっと侯爵を見た。

 侯爵はうなだれ、この部屋に入った時に感じたオーラはない。

 その姿は、娘の出帆を悲しむ普通の父親に見えた。


 部屋を出て、扉を閉める。

 エミリーは眼に涙を浮かべ、歯を食いしばっていた。

 その様子から、エミリーが一杯一杯なのは伝わってきた。


 しかし、そんなとこ申し訳ないが、俺も混乱している。

 混乱の極みだ。

 このまま放置ってのはさすがに御免被る。

 頼むから説明してほしい。


「エミリー、あのさ、俺のことをどうとかっていうのは……どういうことだ?」


 エミリーは涙を見られたくないのか、顔を背けて言った。


「……それは嘘よ。

 本当は、魔術協会に入りたいから、この家を出ていくことにしたの。

 ただお父様には、それを言いたくなかった」


 …………ふむ。


 前に聞いた話によれば。

 侯爵は、魔術協会を恨んでいるはずだ。

 魔術協会員の戦争不参加によって、グレンデル領は大きな痛手を被った。

 侯爵はその時の領主の息子ということになる。

 恨みも根深いものがあるだろう。

 そんな父親に向かって、協会に入りたいとは言えなかったということか。


「……なるほどね」


 一応、筋は通る。

 とはいえ、その代わりの理由が変な気はするが。

 貴族の令嬢が家を捨てるのは、恋に身を焼かれてと相場が決まってるのだろうか。

 俺の知るエミリーだったら。

 俺と生きるため、なんて突拍子もない嘘の理由をでっちあげるくらいなら、痛みがあっても本当のことを話しそうなものなんだが。


 ……まぁ、侯爵と彼女の間には、16年という年月が横たわっているのだ。

 俺の知らない部分など、山ほどあるだろう。

 その上でエミリーが出した結論だ。

 尊重する以外にないな。


 ……まぁとりあえず、俺はこれでお役目御免だな。


「ハジメ、お疲れ様。

 ありがとう。

 ひとまず、部屋に戻っておいて」


 涙声でそう言って、エミリーは歩いていった。


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