第2話 決意
歩けど歩けど、瓦礫の山だった。
尖ったものを踏まないように、気をつけて歩く。
一応なんとなく、遠くに見える森で一番高い樹を目指してみた。
瓦礫の中には、たまに興味を引く物があった。
錆びた西洋風の剣、盾、何かの生き物の骨、車輪、椅子、などなど。
人の頭蓋骨にしか見えないものもあった。
猿とかかもしれないが。
2時間ほど歩いたら。
瓦礫が終わって、道に出た。
レンガを敷き詰められた道だ。
それは、遥か遠くまで続いていた。
やや疲労を感じた。Tシャツは汗でべたついている。
「……ふう」
一息ついて、レンガ道の横の芝生に寝転んだ。
いい天気だ。
日差しは柔らかく、汗ばんだシャツを風が通り抜けると、熱が奪われて心地良い。
近くに見たことのない虫が何匹か這っていた。
カナブンみたいな形だが、背中にトゲがある上に、ピンクと黒の縞模様だ。
不思議な世界観の夢だ。
自分の想像力に驚いた。
しばらく休憩した後、俺はまた歩き出した。
せっかく道があるので、その上を歩いてみる。
どこかにつながっているのかもしれない。
道はひたすら続いていた。
2時間は歩いた気がするが、一向に途絶える気配はない。
見える景色もほとんど変わらない。
周囲は森で囲まれ、少しひらけたところに道が続いている。
太陽(?)の位置が、徐々に低くなってきた。
時刻は1時か、2時くらいか。
喉が渇いた。
腹も減った。
しかし一向に、目覚める気配はない。
もしかして……夢じゃないのだろうか?
――いやいや、まさか。
浮かんだ疑念を、すぐさま振り払う。
もしも夢じゃないとすれば。
今の俺は相当に危険な状況だ。
生きるためには水と食料が不可欠なのは言うまでもない。
現状、そのどちらも手に入る見込みはないだろう。
その上、ここがどこなのかも分からない。
危険な生物がいるかもしれない。
そもそも、人間がいるのかも分からない。
仮に人間がいたって、俺に好意的だとは限らない。
俺は俺がここにいる理由を、何一つ説明できないのだ。
不審に思われて敵意を向けられる可能性の方が、よっぽど高いだろう。
さすがにこの状況、夢に決まってる。
覚めてしまえば、またあの灰色の毎日が続く。
今歩いているのは、それまでの退屈しのぎでしかないのだ。
これが現実であるわけがない。
景色を眺めながら、ぼんやりと歩いた。
ただただ、歩く。
歩き続ける。
しかし目が覚めることはなく、日が落ち続けるばかりだ。
……おかしい。
さすがにおかしい。
なぜ、目が覚めない。
もうしばらくしたら、日が沈みそうだ。
体感時間で言えば、10時間は経過している。
空腹も限界に近い。
記憶に残る夢というのは何度も見たことがある。
だが、こんなことは初めてだ。
これまでの夢なら、こんなに腹が減ったり疲れたりすることはなかった。
それに、土を踏む感触、森を抜ける風の音、日に照らされた草の匂い。
そのどれもが、すさまじくリアルだ。
もしかして、本当に、夢じゃないのだろうか。
そんな考えが、再度頭をよぎった。
――こんな状況で。
俺は少しワクワクし始めていた。
もし。
もしこれが現実なら。
あの世界とはオサラバしたということだ。
結局のところ、敵意と暴力しか得るものはなく。
失意と疎外感しか感じることのできなかった、あの世界とは。
ここで餓死する可能性も高い。
しかし、あの世界に帰ったところで、灰色の生活を送るだけだ。
ろくでもない2択だが、なんだかこのまま歩き続ける方が、あの世界で生きる事よりもマシな選択肢に思えた。
もしも、これが現実で。
生き延びることができたなら。
……この世界で、生を謳歌してやろう。
今度こそ、誰かの役に立ちたい。
そして今度こそ、手に入れたい。
――打算なしの友情を。
――掛け値なしの愛情を。
――俺が生きている意味を。
……それまで、死んでたまるか。
―――――
ひたすらに歩いたら、日が暮れる前に小川を見つけることができた。
川底は透き通っており、傍目には綺麗そうだ。
かがんで水に手を触れると、冷たくて心地良い。
いてもたってもいられず、水を掬って飲んだ。
――美味しい。
美味しさがヤバい。
干からびた細胞の1つ1つが潤っていくのを感じた。
寄生虫などの不安はあったが、このままでは飲まなくてもどうせ死んでしまうだろう。
俺は、満足いくまで水を飲んだ。
そして、顔を上げると。
辺りは橙色に包まれていた。
来た道の遥か向こうの山の稜線上に、日が隠れ始めている。
黄昏時というやつか。
「きれいだ……」
思わず呟いた。
夕焼けによって空は紅く染まり、向かい合う空には星が出ている。
景色は橙色の光で柔らかく満たされ、森の木々に長い陰影が宿り。
耳に入るのは小川のせせらぎと虫の声だけ。
まるでその光景は。
これまでの俺の人生にようやく与えられた、報いのような気がした。
あまりの美しさにその場で立ち尽くしてしまった。
これほど心を打つ光景に出会ったことはない。
この景色を見られただけでも、歩いた甲斐はあったと思った。
しばらくそのままぼんやりしていたら、だんだんと辺りが暗くなってきた。
――夜がくる。
そんな言葉が頭に浮かんで、ハッとした。
水にありつくことに精いっぱいで、夜への対策など考えてなかった。
対策といっても、思いつくのは火をつけることくらいだが。
まだ物が見えるうちに、火を起こす努力をするべきか。
孤児院の食堂のテレビで見たやつは、板に枝をこすり合わせて火をつけていた。
それを思い出して適当に枝を拾ってみたものの、板がない。
その辺の木から作れなくはないかもしれないが、水分を含んでて無理だろう。
そもそも乾いた板があったところで、火をつけられる自信などない。
考えて虚しくなってきた。
水は飲めたが腹は相変わらずペコペコだ。
もう動くのも疲れた。
これ以上行動できる気力がない。
俺は葉っぱを集めて、即席の布団を作った。
潜るとチクチクしたが、ないよりはましだ。
その間に、周囲は完全な闇と化した。
何も見えない。
迂闊に動くと川に落ちそうなくらいだ。
そして――。
空を見上げると、満天の星空だった。
空腹は耐え難かったが、その光景に俺は自由を感じた。
このまま眠って、目が覚めたら。
もしかしたら、もとの世界に戻ってしまうのかもしれない。
そう考えて、残念に思った。
この世界にいたいと思った。
もし明日になっても、この世界にいたなら。
ここが、俺の現実だ。
その覚悟を持って、瞼を閉じた。
すぐに溜まっていた疲労が襲ってきて、俺はあっという間に眠りに落ちた。
-----
眩しさを感じて、目が覚めた。
果たして、俺は土の上で、木の枝に覆われていた。
見えるのは空と森。
――夢ではなかった。
現実だ。
これが、俺の現実。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
叫んだ。
問題は山積みなのに、何故か全てが些細なことに思えた。
不思議な全能感が体中を満たしていた。
やってやる。
この世界で、全力で生きてやる。
そう、胸に誓った。
起きてから小川で顔を洗い、水を飲んだ。
少し上流まで登ってみたが、魚はいそうになかった。
空腹はひどいが、まだ動ける。
ただ現状は、非常にピンチだ。
この場での判断によって、死ぬこともあり得る。
むしろその可能性が高いくらいだ。
慎重に考えて、行動を決めることにする。
選択肢は3つ。
1つ目は、このまま道を歩くこと。
2つ目は、ここで水を確保しつつ、誰かが通るのを待つこと。
3つ目は、川を下り、水を確保できる状態を保ちつつ、移動すること。
悩んだ結果。
俺は1つ目を選んだ。
2つ目は食べ物が手に入らないことが確定してしまっており、ジリ貧な印象だ。
昨日、丸一日歩いて誰も見かけなかったのだ。
誰かが偶然通りかかる可能性は低いだろう。
3つ目は、川を下った先に何かがある可能性は低い気がする。
それに、俺は裸足だ。
悪路でケガをして感染症でも起こしたら、その時点で人生が終了してしまう。
ゆえに、1つ目。
こんな舗装された道があるということは、やはりどこかに繋がっている可能性が高いと思う。
この世界がなんであれ、この道は必ず、誰かがどこかへ行くために作ったものなのだ。
それに勝る行動の指針はなかった。
結局方針は昨日と変わらず、俺は道を歩くことにした。
水の携帯はできなかった。
都合のいい容器は全く見当たらず、とにかくできるだけたくさん飲んで、俺はその場を離れた。
―――――
3時間ほど歩いたろうか。
空腹がひどい。
昨日の朝から、何も食べていないのだ。
体内の糖分は枯渇して、貯蔵された蛋白と脂肪からエネルギーを生み出していることを実感する。
覚悟していたが、かなりきつい。
全部投げ出して、座り込んでしまいたい。
一歩一歩、気をすり減らすように歩いていると。
――目の前に、ウサギが現れた。
何の冗談かと思った。
唐突に現れたのだ。
森からピョコピョコと道に出てきた。
のんきな顔をしている。
いやよく見ると頭に角があって、ウサギとは呼べないのかもしれない。
そんなことはどうでもいい。
それが幻覚でないと理解した瞬間、俺はそいつに飛びついた。
サッカーで鍛えた瞬発力。
信頼するその脚は、しかし長時間の飢餓によって錆びついてしまっていた。
脚はもつれ、身体は容易くバランスを失い、俺は転倒した。
……ウサギはびくっと身を震わせ、森へ逃げて行った。
それから2時間、さらに歩いた。
悔しくて涙が出た。
しかし貴重な水分を無駄してはならない。
出た涙は舐めながら歩いた。
まぁ、少なくとも、動物がいることは分かった。
しかし森に入って探しても、この体力では捕まえられない。
そのことを学習した。
……学習したのだ。
相変わらず、空腹は危険水域にある。
そのうえ、喉も乾いてきた。
景色はあまり変わらない。森ばかりだ。
さらに道がやや登り坂になってきて、非常に苦しい。
その時、鳥の一群が頭上を横切った。
鳥はこちらに来てから何度か見たが、あんなに多いのは初めてだ。
白と黒のしましま模様、くちばしが黄色の鳥。
10羽以上いる。
目で追うと、そいつらは全員、森の中の1本の木に停まったようだった。
ピーチクパーチクと、やかましく木を揺らしている。
ここからそう遠くない。
しかしその木に向かっても、どうせ捕まえられやしない。
無駄に体力を使うのがオチだ。
ついさっき、学んだのだ。
そう思ってそのまま歩いて行こうとした。
しかし、俺は脚を踏み出せなかった。
何か引っかかるものがあった。
あれだけ多くの鳥が一様に同じ場所に向かうのだ。
……巣。
巣があるんじゃないか?
そして巣があるのなら、卵と、ヒナも、いるんじゃないか?
その閃きに、電流が走った。
もつれる脚を踏ん張りながら、俺はその木へと向かった。
たどり着いた俺は喜んだが、しかしそこに期待していた巣があったわけではなかった。
あったのは、赤い実をつけた木だった。
5本程まとまって生えている。
鳥どもはピーチクパーチク鳴きながら、その実を貪っている。
地面にたくさん落ちているその実の中で、きれいなやつを選んでかじってみた。
(……うめぇぇぇぇぇ!)
甘酸っぱい味が口の中に広がる。
トマトとリンゴを足して2で割ったような味だ。
めちゃくちゃうまい。
水分も多量に含んでいて、喉も潤う。最高だ。
少々予定とは違ったが、食べ物を手に入れることができた。
地面に落ちた綺麗なやつを食べつくしたあとは、木に登り、鳥どもを蹴散らしながらその実を貪った。
少しつつかれた。
仕返しに捕まえようとしてみたものの、残念ながらたやすく逃げられた。
満足するまで食った後。
少し休んだら、体力はかなり回復した。
Tシャツを脱いで中に実を入れ、袖を結び、襟と胴の穴を塞ぐように持つ。
そうすると10個ほど持ち運ぶことができた。
これでしばらく飢餓には耐えられそうだ。
そこからしばらく歩くと、森が途絶えた。
ずっと道の両脇にあった森がなくなり。
前方に、膝丈くらいの草で覆われた丘が出てきた。
道はその丘の頂上へ続いている。
状況の変化を新鮮に感じながら、そのまま歩いた。
丘の頂上に着くと、一気に景色が広がった。
もともといた場所が高かったのか、気づかぬうちに登ったのか、俺は結構高い場所にいた。
来た方には森が広がっている。
そして――。
向かう先に、村が見えた。
端から端まで見渡せるくらいの小さな村だ。
人口は200人くらいだろうか。
畑と果樹園が大半を占めていて、その間に建物がぽつぽつと見える。
家畜小屋っぽい建物や、広場なんかもある。
畑で作業をしている人もいれば、広場で遊んでる子どももいる。
村の入り口には、大きな門があった。
……ついに。
人がいるところにたどり着けた。
挫けずに歩いてきてよかった。
今日中には着けそうだ。
2日間歩きっぱなしで疲労困憊ではあるが、目的地さえあればきっと耐えられる。
なんだか急に腹が減ってきて、Tシャツに包んだ木の実を、村を眺めながら全て食べてしまった。
Tシャツを着なおして。
そのまま道を歩いていくと、分かれ道にあたった。
今まで歩いてきたレンガの道と分岐して、人が踏んでできたような、獣道のような道がある。
そこだけ草が生えていないことから道だと分かるような、レンガ道よりも整備されていない道だ。
そしてそっちの道が、村の方向へ向かっているようだった。
確かにさっき丘の上で村を見たときに、周りにレンガの道はなかった。
ここが分岐点なのだろう。
レンガの道は、どこか他の場所へ繋がっているようだ。
少し考えて、俺は獣道の方を歩くことにした。
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