第39話 暗殺計画、始動
あれからさらに三か月が経った。
私とシン様のつかず離れずの距離感はまだ続いている。
ただ、さすがにそろそろ夫婦で寝室を一緒にしないと怪しまれる頃だ。
リーチェなんて「奥様の子供、早くお世話したいですぅ♪」とかナチュラルに煽ってくる。いまだに一緒に一晩過ごしたことがないとは口が割けても言えない。
まぁ……そこまで嫌じゃないと思っているところが私の馬鹿なところで。
(し、シン様が誘って来たら……断れないかも)
なんてことを思いつつ、今日はお茶会を過ごしていた。
アッシュロード辺境伯夫人として名前が広がってしまった私は、近隣の領地の令嬢とお茶会に来ている。女三人集まれば姦しいとは言うけれど、やっぱり私たちの世代が集まって一番盛り上がるのは恋の話、いわゆる他人のゴシップだ。
「ベローネ伯爵令嬢が夫の弟とただならぬ関係にあったようですわ」
「まぁ。夫の……! それはすごいですわね。どうなりましたの?」
「どうもこうも、どうやら夫のよからなぬ癖を目覚めさせてしまったようで……」
「まぁ!!」
きゃーきゃーと騒ぎ立てる令嬢たち。
ぶっちゃけ私はついていけなくて苦笑するしかなかった。
「不倫といえば……聞きまして? 『極悪令嬢』エミリア・クロックの話」
ぴく、と私はカップを傾ける手を止めた。
目だけ動かして令嬢たちを見回すけれど、特に私に注視している人はいない。
「第三王子が
さすがに社交界に顔を出すようになると、エミリアの噂も聞こえてくる。
何でもリチャードが『全裸王子』と呼ばれるようになってから婚約破棄して、身体を壊したせいで領地に引きこもっているのだとか。聞いたところでは狂人のように夜な夜な徘徊したり、ナイフをもって使用人を脅したりしているらしいけれど……。
「なかでも一番の噂はアイリ・ガラントのことですよね!」
「なんでも彼女はエミリアの罪を押し付けられただけで、冤罪だったとか?」
「……でも冤罪の噂自体、わたくしは何らかの情報操作の結果だと思いますの」
「つまり
「えぇ。まぁ女の勘ですけど」
いやいや、私は冤罪ですけど!?
リーグラント公爵令嬢が陰謀論好きというのは本当だったようね。
私は心の中にメモしながら話に耳を傾ける。
「わたくしはアイリ・ガラントが殺されたのは自業自得だと思います」
リーグラント公爵令嬢は私のほうを見ながらそう言った。
(ま、まさかバレた……!?)
「さすがに第三王子と婚姻状態にありながら複数の男性と不貞するのはどうかと思いますし、幼馴染で恋のキューピットでもあった子爵令嬢に嫌がらせの数々を行うのは人間性を疑います。前々から口が悪い悪女という噂がありましたが、どうやら本当のことだったようですわ」
「天罰が下るとはこのことですわ」
「正直なところ、死んで当然かなって思います」
リーグラント公爵令嬢はこのお茶会におけるお局様のようなものだ。
彼女に逆らうのはダメだと悟ったのか、令嬢たちは次々と同意する。
「その点、同じアイリという名前でも、アッシュロード様とは大違いですわ」
「!?」
あぁしまった。話題の矛先が私に向いてしまった!
びくりと震える私が顔を上げると、リーグラント公爵令嬢は茶髪の巻きロールを揺らして言った。
「アッシュロード様はあの『氷の貴公子』の心を射止め、領民たちからも厚い支持を得る優しさの塊のような女性ですもの」
「良い噂しか聞かないわよね。博学で頼もしいし」
「なんでも『魔姫』と呼ばれているのだとか。どうやったらアイリ様のようになれますの?」
周りの目が集中しているのを見て一気に身体がこわばる。
大量の冷や汗にまみれた私に、さすがの令嬢たちも不審に思ったようだ。
「アイリ様、どうかなさいまして? 震えているようですが」
「むむ、武者震いですわ! その、もし私が件のアイリに会ったら天誅を下してやろうと思っていたものですから」
苦し紛れの言い訳だったけど、令嬢たちはどっと笑ってくれた。
「まぁ、アイリ様ったら勇ましい!」
「宮廷魔術師様から求婚されるお方はいうことが違うわ」
「あ、あはは……」
私は全力で明後日の方向を向いて誤魔化した。
……だって、ねぇ?
まさか私がアイリ・ガラント本人だなんて言えるわけないし?
「ほら、噂をすれば宮廷魔術師様だわ」
令嬢の一人が指を差し、私は後ろを振り返る。
「……シン様」
見れば、貴族屋敷の門扉の向こうに見慣れた後ろ姿があった。
長い髪を後ろでひとくくりにした武人のような立ち姿。
腰に佩いた杖がひとたび唸れば、大きな魔獣をめちゃくちゃに出来ることを私は知っている。
(……いつからか、仕事終わりに迎えに来てくれるようになったのよね)
転移魔術で移動すればすぐなのに、彼はあえて馬車を使おうとする。
私との時間を増やしたいと言われた時は顔が赤くなって死にそうだった。
シン様を見た令嬢たちが きゃー! と黄色い悲鳴をあげる。
それを歓迎の知らせと取ったわけじゃないだろうけど、彼は門扉を開けて入って来た。
「ご機嫌麗しゅう。ご令嬢方。お邪魔をしてしまいましたか?」
「と、とんでもない! ちょうどシン様のお話をしていたところですわ」
「そうそう、アイリ様ったらシン様のことになると惚気ちゃって!」
え、私そんなこと言ってない!
思わず抗議の視線を向けると、ご令嬢はパチンとウインクしてきた。
いや、やってやりましたわ、みたいな顔をされましても……。
「それはいいことを聞きました。家では全然甘えてくれないもので」
ほらぁあああ! 閣下が獲物をみつけたみたいな顔をしたじゃない、もーー!!
「まぁ、それでしたら今日は甘えてもらえそうですわね?」
「あぁ。このお礼は後日」
「アイリ様、たくさん
面白がるご令嬢方に見送られて私はシン様とお茶会を後にした。
「今日は何事もなかったか?」
「は、はい……あの……」
ひとまず私をからかってきたことは置いておく。
本当はぷんすこしたいところだけど、面白がるのは目に見えてるし。
だから今は……。
「あの、その」
「なんだ?」
「えっと、ですね」
「うん」
こちらの顔をじっと見て私が話しだすのを待ってくれるシン様。
ああ、こうやってちゃんと待ってくれるところがすごく素敵だわ。
切れ長の蒼い目は暖かくて、じっと見つめてしまいそうになる。
思わず見惚れてしまいそうになった自分を叱りつけて、私は言った。
「私がアイリ・ガラントだと誰も気付いてくれないんです……今日お話ししたご令嬢方は、皆一度は会ったことがあるのに……ひどくありませんか?」
「ぷッ、ははッ! そうか、気付かれないか」
「ム。どうして笑うんですか」
こっちは真剣に話してるのに。
「すまんすまん。気付かれないのはいいことじゃないか」
「それはそうですけど……乙女心は複雑なんです。私、もーれつにぷんぷんです」
「俺から見ても初めて出会った頃の君とは違って見えるぞ」
「え?」
シン様は足を止めて、私の腰に手を回して抱き寄せた。
至近距離で抱き合う形になると、顎がくいっと持ち上げられる。
「あの、シン様……?」
「前の君も好きだが、今の君も魅力的だ」
「~~~~~っ」
な、なんて恥ずかしいことを……!
私は赤くなった顔を悟られないように目を逸らす。
それから咳払いして、口元に笑みを作ってからシン様に向き直った。
「ふふ。ちゃんと
「……そういう意味ではない」
「?」
どうしたんだろう? シン様はなぜか不満そうな顔だ。
まさか本当の意味で私のことを好きだと言っているわけじゃないだろうし。
だってここ、公衆の面前よ? さすがにそんな恥ずかしいこと……ねぇ?
私もシン様のことは好きだけど他の人の視線があるところで仲良くできるほど羞恥心を忘れてはないわ。そ、そういうのは、ほら。二人で一緒の時に……いや、まだベッドも一緒じゃないんですけどね!
「ともかく……君が変わったのは事実だ。そうだろう?」
「まぁ、いろいろありましたからね」
……本当に色々あった。
リーチェのことも領地のことも魔物のことも。
振り返ってみればあっという間で、またたく間に過ぎたように感じる。
「それで、だな」
シン様は言おうか言うまいか、迷っているように見えた。
やがて彼はためらいを振り切るように言った。
「そろそろ君も色々なことに決着をつけてもいい頃だと思う」
「決着?」
「……あぁ」
シン様の目が、まっすぐに私を捉える。
「君の冤罪を晴らす時が来た。アイリ、手伝ってくれ」
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