第20話 鉄拳制裁 ※シン視点

「シン。二人で懐かしいお話でもしましょう」


 夕食が終わると、俺だけが母上に呼び止められた。

 アイリは「では私はシィちゃんとお風呂に」と言って廊下に消えた。


 ──ん? 待て。


 あの毛玉を風呂に入れるのか!?

 風呂が毛だらけになったりしないか!?


「シン、座りなさい」


 アイリのほうが気になったものの……。

 母上に真剣な様子で呼び止められ、仕方なく席に着いた。


「それで? 事情を聞きましょうか」

「事情とは?」

「とぼけないで。あのアイリのことよ」


 母上の鋭い目を見ていると、幼い頃に詰問されたことを思い出す。

 父に黙って暗殺対象を見逃した時と同じ目だ。


「あの子、アイリ・カランドでしょ」

「…………やはり、バレてましたか」

「お馬鹿。私、舞踏会で一度彼女を見たことがありましてよ。あなたそもそも隠そうとしていないじゃない」


 確かに積極的に隠そうとはしていないが、バラしたいわけでもない。

 少なくとも真実を白日の下に晒すまで、彼女はアイリ・シュルベでいてもらわなくては。


「地味で目立たない平凡な子女──アイリ・ガラント子爵令嬢が今の妻だと気付くのは、絶対記憶能力を持つ母上以外にありえないでしょう」

「……目鼻立ちも変えてければ、気付く者が現れるわ」

「それでもいいのです。むしろ、そうでなくては困る」

「冤罪を晴らすため?」

「ご存じで?」

「そりゃそうよ。第三王子と婚約破棄した悪女は王都でもっぱらの噂だったもの……あんな不自然な噂・・・・・、調べないわけないでしょう」


 やはり暗殺貴族の妻となった女だけある。

 母上の洞察力と記憶力は辺境伯夫人として得難い能力だ。

 幼い頃はその察しの良さに苦しめられた時もあったが……。


「私が聞きたいのはそんな分かり切ったことじゃない。あの子の力についてよ」

「力?」

「魔物を調教する能力。アレは使いこなせばとんでもないものになるわ」


 母上は肘を組んで言った。


「我が国は各地で魔物被害に苦しんでいる。特に私たちに押し付けられた辺境伯領は魔物が多く、二つの国の境にある。もしあの子が国境の魔物を手なずけ、それを砦に配置したら……私たちは王家を凌ぐ力を持ってしまうことになる。あなた、ことの重大さが分かって?」


 王家の暗部として存在しているアッシュロード家はその力を削ぐために辺境を任されている。隣国への対策にかかる軍事費、荒廃した土地の開拓費用、領地に住まう民たちへの補填……その他諸々。これらはすべて、アッシュロード家が必要以上に力を持たないための策だ。


 特に、歴代最強の魔術師と呼ばれる俺は王家にとって扱いが難しい。手放したくはないが、かといってこれ以上力をつけられても困るのだ。だからこそ彼らは家庭を持たせて俺を縛り付けようとしたのだが、そこにアイリが加わったらどうなるか。俺がそのことを考えなかったわけがない。


「母上は二つ勘違いをしている」

「勘違い?」

「一つ、俺はアイリの能力を見出して妻にしたわけではない」

「え?」


 母上がぽかんとした顔になった。

 昔からなんでもお見通しだという目が気に入らないので、そう言う顔をされると割とスカッとする。こんなことを思っているからアイリに『性格が悪い』と言われるのだろうな。


「二つ、俺は彼女の力を辺境伯として使うつもりはない」

「……ちょっと待って」


 母上は頭が痛そうにこめかみを押さえた。


「じゃあ、あなたは何の能力もないと思っていた女を妻にしたの」

「そうですが?」

「何のためにそんなことをッ」

「もちろん、俺の正義のためだ」


 怒気を露わにする母上に真っ向から対峙する。


「彼女は理不尽に虐げられていた上、悪女に陥れられた。彼女自身に何の罪もなく、ただ懸命に生きている人間の一人だ。そんな女を見捨てて何が暗殺貴族ですか。弱きを救い、悪を挫く。そのために俺はこの刃を振るっている!」


 だんッ、と机を叩くと、母上は肩を跳ねた。

 ……落ち着け。母上に怒鳴ってどうする。

 感情的になるのは悪い癖だと、よく言われただろう。


「……俺は、父のような道具にはならない」

「あなたの誇りとあの子の気持ちは別でしょう」


 落ち着いた正論で母上は言う。


「あなたは暗殺貴族。人殺しの家系よ。あの子はそのことを知っているの? あなたの妻になるならそのことを避けては──」

「知っていますよ」

「え?」

「知っていて、なお受け入れてくれました」


 母上は呆然としている。

 正直、俺も驚いたことだからその気持ちは分かる。


「優しすぎるでしょう? でも彼女はそれだけじゃない。一度は死を望みながら、俺のところに来た時は借りて来た猫のように警戒し、生き足掻いていました。少し食事を貧相にしたら自給自足を始めたんですよ? しかも、魔獣の調教までやって見せた。今はだいぶ打ち解けていますが……」

「あのねぇ」


 母上は怒りの形相で立ち上がり、


「このお馬鹿ッ!!」

「!?」


 ごっつーん!と俺の頭に拳骨を落とした。

 咄嗟に強化魔術で頭を保護したからいいもの、かなり重い音がした。

 母上は拳を握りしめて俺を見下ろしている。


「あの子を救うところまでは許容しましょう。大っぴらには言えませんが、さすが我が子だと誇りに思います。でも食事を貧相にした? あげく自給自足を決意させるようなことをしたの? 虐げられていた子に、あの荒れ地で? あなたは、あの子にそんな不安を抱かせるために救ったのですか!」

「いや、アレは俺も猛省して……」

「お黙り!!」


 雷が落ちたかと思った。

 こうなるともう、誰にも母上を止められない。


「辺境伯夫人というのは、普通の子では務まらないのです。平凡な生活のほうがよほど幸せでしょう。それを、一時の正義感で救った子になんてことを……!」


 ぐうの音もでない正論である。

 さすがに俺もアレは酷かったと自覚しているから何も言えない。


(偽の妻だと言ったらもっと怒りそうだな……)


 母上はしばらく俺を睨みつけていたが、やがて仕方なさそうに腰を下ろした。


「……それで? あなたはあの子を女として愛しているの?」

「……どうでしょうね。面白い女とは思っていますが」


 少なくとも外見を着飾り、流行を追うばかりのつまらない女とは違う。

 彼女は暗殺貴族である自分を受け入れるほど、誰に対しても優しい心を持っている。それに──


『旦那様が悪い奴を懲らしめてくれるから、平和な日常があるんだと思いますし』


 あの言葉に、救われた。

 暗殺貴族といっても所詮は人殺しの家系だ。

 畏れられ、忌むべきものだ。

 少なくとも今まではそうだったし、自分でもそう思っていた。


 それなのに、彼女は。


(肩書きや役目じゃない……ただ俺を見てそう言ってくれた)


 あの言葉で心が軽くなったのは事実。

 彼女の冤罪を晴らしたいと思ったのも。


 ただ、これを恋愛感情とは呼べないだろう。

 庇護欲といったほうが近いかもしれない。


「少なくとも……彼女には幸せになって欲しいと思っています」

「……」

「そのために俺の力の限りを尽くすつもりです」


 辺境伯夫人になることが彼女の幸せかどうかは分からないが。

 少なくとも、冤罪を晴らすまでは付き合ってもらうとしよう。

 そのあとのことは彼女に任せるつもりだ。


「話は終わりですか」

「……えぇ」

「では休みます。長旅で疲れているものでね」


 俺はもの言いたげな母に一礼して、その場を去った。



 ◆



「本当に馬鹿な子ね。誰に似たのかしら」


 一人残されたリザ・アッシュロードは呟く。

 初めて見た、息子の慈しむような顔を思い出しながら。


「あなたはもう、とっくに彼女を──」


 言いかけて、首を振る。

 そしてリザ・アッシュロードは立ち上がった。


「……私も母親として出来ることをしましょうか」


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