第14話 名前で呼んで


「ところで、そのアッシュロード様という呼び方はどうにかならないのか?」


 食事を終えると、リーチェが茶菓子を用意してくれた。

 メイドの彼女も席につき、自分で用意したものをぼりぼりと食べている。


「せっかく妻になったんだ。ぜひとも名前で呼んでもらいたい」

「そういえば、奥様は旦那様のこと姓で呼んでましたよね」

「うむ」


 いやだって、ねぇ?

 私は確かに辺境伯の妻となったけど、まだ初めてあったばかりの他人なわけで。

 そんな相手を名前で呼ぶなんて、恐れ多いじゃない?

 こちとら平民出身の子爵令嬢なのよ?


「……」


 じぃー……と私に注がれる視線。

 私は考えをまとめてみるけど、頭がぐるぐるして思考が働かない。


「その……いきなり名前呼びは恥ずかしいじゃないですか」


 結局、顔が熱くなって目を逸らすことしか出来なかった。

 消え入りそうな声を聞いたアッシュロード様はリーチェと目を合わせて、


「旦那様、どえら可愛いのお嫁に貰いましたね」

「俺もびっくりしてる。こんなに奥ゆかしかったとは」

「でも……こんな純情だと『お仕事』のことを知ったら……」

「問題ない、もう知ってる。それに、彼女は可愛いだけじゃない。強い女だ。それはお前も分かっているだろう?」

「……ですか。ですねっ。なにせリーチェが認めたご主人様ですから♪」


 二人して納得しているようだけど、目の前で自分の話をされる身にもなってほしい。

 ますます恥ずかしくなって俯いていると、アッシュロード様は言った。


「では試しに呼んでみようか、アイリ。俺のことはシン様と」

「えぇ!? そんな人前で……!?」

「いやいや、第三王子の時は普通に呼んでただろ」

「だ、だって、あの人の時は別に……」


 こんなに、ドキドキしなかったのに。


「別に、なんだ?」

「~~~~~~っ」

「リーチェ、奥様のかっこいいところ見てみたいー♪」


 リーチェが面白がって囃し立ててくる。

 エミリアにも同じことをやられたことはあるけど、今回はあの時のような嫌な感じはしない。

 とはいえ、それが実行できるかとうかは別問題だが。


「公式の場で呼ぶ練習だと思えばいい。さぁ、どうぞ」

(偽の妻であることがバレたら困るだろう?)


 アッシュロード様が言っている意味を私は正確に理解する。

 確かにそうだ。まったく実感はわかないが、既に辺境夫人になった以上、名前を呼ばなければならない場面もあるはず。私はそう自分を奮い立たせて、すー、はー、と深呼吸。戦いに行く戦士のような覚悟で立ち上がった。


「あ、あの……」

「うん」

「…………あのっ」

「焦らなくていい。待ってるから」


 アッシュロード様もリーチェも、言葉がつかえる私を優しく見守ってくれる。

 その優しさが嬉しくて、その期待に応えたくて。

 だから私は頑張って口を動かして──


「し、……し、……」


 そこが限界だった。

 ぼんっ! と頭から湯気が出て、


「や、やっぱり無理です!」

「奥様!?」


 私は真っ赤な顔で逃げ出した。

 勢いよく椅子を倒して食堂の扉を開けると、後ろからアッシュロードがため息をつくのが聞こえた。


「……やれやれ。先が思いやられるな」


 あの、アッシュロード様。

 あなた絶対楽しんでますよね!?

 顔を見なくても分かるんですからね!?


 性格悪いんだから、もう!



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