第6話 婚約契約(偽)


「妻『役』だ。そこは勘違いしないでほしい」


 アッシュロード様は私をフッた。

 自己紹介をして五秒でフられた私だけど、勘違いなんてするはずがない。

 第三王子との恋とも呼べない関係が偽りのものだったんだもの。


 むしろ恋なんて幻想。

 私を女として見る物好きなんてこの世にはいないと思っている。


「勘違いなどしていません。男の人はすぐに嘘をつきますから」

「奇遇だな。俺も女は信じないようにしている」


 ふん。そんなこと言っても私は絆されないわ?


「君の知っての通り、俺は辺境伯の裏家業として暗殺者をしている」

「……いま初めて知りましたが」

「これは建国当時から代々続く暗殺貴族だからなのだが、俺の力を危険視した王族が最近婚約はまだなのかとうるさくてな。どうやら気軽な独り身では俺がいつ隣国に行くのかと気が気ではならないらしい」


 ふぅん……なるほど。ありそうな話だ。

 大きすぎる力は軋轢を生む。ましてや、その力が自分たちに向かないと保証できない場合はなおさらだ。今代の宮廷魔術師は歴代最高と名高いし、そんな彼を縛り付けるには婚姻が一番手っ取り早いのだろうけど……残念ながら、現王族の王女は隣国との婚約に使って・・・しまった。


(今のお話を見るに、暗殺貴族であることは王族も承知の上だろうし)


 つまり王族の暗部のようなものだ。

 いざとなればすべての罪を押し付けることが出来るが、彼らも馬鹿ではあるまい。

 歴代最高の魔術師を敵に回す可能性よりも、さっさと身の回りを固めてもらって国から出て行かないようにするほうがいい。


「……君は馬鹿に見えてなかなか聡明のようだな」


 すべてを理解した私にアッシュロード様は満足げだ。

 ん? 

 いま馬鹿って言わなかった? ちゃんと褒められたのかしら?


 ともあれ。


「……アッシュロード様も大変ですねぇ」

「だろう? そこで君の出番だ」


 ぱん、とアッシュロード様は膝をついて言った。


「どこぞの高慢な貴族を押し付けられるより、俺の都合を察して動いてくれる女のほうがありがたい。ガラントの名を捨て別人として生まれ変わるなら、俺は君を保護するし、食うもの着るもの、何も困らせない。最低限の役目を果たしてくれるなら好きに遊んでいい」

「遊ぶ」

「君が望むなら男遊びでも構わんぞ?」


 思わず頬が膨らんでしまう。


「…………そういう冗談は嫌いです。汚名を着せられたばかりなのに」

「あー、そうか。すまん。これは配慮が足りなかったな」


 素直に謝ってくれるところは素敵だと思うけれど……。

 やっぱり私は、男の人を好きになれそうにない。

 もちろん、辺境伯様に悪気がないことは分かってるんだけどね。


「私に妻役をと言いますが……私は社交界にデビューした身です。私の顔はみんなに知られているかと……」

「そうか? 意外とそうでもないだろう。実際、俺は知らなかったしな」

「それは私の影が薄いという意味でしょうか」

「死んだという人間と同じ顔が現れても、案外気付かないものさ。人間の意識とはそういうものだ。君は前髪で顔が隠れているし……髪をあげて少し切れば、まったくわからないと思うぞ」


 言って、アッシュロード様は私の前髪をもちあげた。

 あまりにも突然のことだから、私の身体は強張ってしまう。

『不気味な女』『気持ち悪い』『魔獣のような目』

 そんな風に言われてきた記憶が、まざまざと脳裏によぎって──


「うん、綺麗な顔をしているじゃないか」

「!?」


 思わず目を見開いた。


「き、綺麗……? 私が?」

「他に誰がいる」

「だって……みんな、この銀髪は不気味だって、気持ち悪いって」

「他人の意見など気にする必要があるか?」


 そう思える人は、元から強い人だけなんですよ。

 私はそう思ったのだけど、アッシュロード様は違ったようで。


「究極、人は信じたいものを信じる。訳の分からない意見を信じるより、その髪が綺麗だという自分を信じたほうが合理的ではないか?」

「合理的……でしょうか」

「少なくとも俺はそう思うがな」


 別に絆されたわけじゃない。むしろ軽い人だなと思った。

 でも、今まで私が接してきた人のようなおべっかや気遣いは感じなくて。


「……ありがとうございます」


 熱い顔をそむけながら、私はお礼を口にしていた。

 まぶたと拭う私に何も言わず、アッシュロード様は言う。


「こういう言い方は卑怯だと思うが、妻役になるなら君の家族の安全は保障するぞ」

「え」

「平民になっても出来る限りはするが……やはり、繋がりが薄いとうまくいかないことがあるからな。断言は出来ない」


 家族。それは私にとって一番効く言葉だった。

 貴族学校でいじめられてきた私にはエミリアと家族だけが心の支えだった。

 それに、私が死んだことになって家族がどうなっているのかも気になる。


「……本当に、もーれつ卑怯ですね。旦那様は悪い人です」

「暗殺貴族だからな」

「でも……分かりました」


 家族のためだというなら、喜んでこの身を捧げよう。

 どうせ一度は死んだ身だ。平民に戻っても一人で生きて行けるか分からないし。

 私は紺碧の瞳に真っ向から向かい合い、告げる。


「あなたの妻になります」

「決まりだな」


 アッシュロード様は頬を緩め、手を差し出してきた。


「どうぞよろしく頼む。アイリ・アッシュロード。我が偽の妻」

「よろしくお願いします。暗殺者さん」





 ──これが、出逢い。


 どこにでもいる、無口でおしゃべり好きな令嬢と。

 暗殺者として人知れず悪を斬り、社会を守る辺境伯の彼。


 やがて世界を揺るがす二人の、これが出会いでした──……。



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