第23話 兄と妹

 ナイト・マーティンは自分で自分に訊ねている。


「お前、何をしようとしている?」

「分かるだろう。

 分かっている事を聞かなくても良いだろう」


「家を出て、アンネやデレージアを救うつもりか?

 しかしお前がすべき事はなんだ?」

「この家を守る事。

 妹ソフィアを守る事」


「そうだ。

 そう誓ったな?」

「……一瞬で終わる。

 あのモンスターを倒したなら、すぐ戻って来る」


「その一瞬の間でソフィアに何か起きない、と何故言える?」


 ナイトはベッドで横たわる自分の妹を見る。眠ったのかと思っていたが、大きな瞳がこちらを見つめる。黒く濡れた瞳

 可愛らしい無垢な赤子。自分の血を分けた兄妹。

 あの瞳で見つめられると、ナイトの中に温かく柔らかなモノが沸き上がるのである。


 いきなり自分に愛のマナザシを注いでくれる両親が居た。それだけで望外の幸せ。こんな事が自分の身に起ろうとは考えもしなかった幸運。自分を守ろうとして全てを尽くしてくれる存在。

 更にこんな幸せが在り得るとは。自分に身を任せるひ弱な赤ん坊。

 これか。

 こんな想いで両親は自分を見つめていたのか。

 この小さなひ弱な存在のために自分の全てをかけて守ってやりたくなる想い。

 現在も黒い瞳で見つめられるだけで、自分の顔がほころんでしまう。柔らかな想いが胸の中に溢れ、一瞬前まで戦闘の準備をしていたのが嘘のようだ。

 精神の中で張り詰めたモノがほどけていく。

 あれ、自分は何かしなければ、と考えていたような。何だっただろう。

 その思いは空転する。赤ん坊の瞳に吸い寄せられるように、頭の中が黒い瞳でいっぱいになっていく。他の事を考える事が出来ない…………


  

 ナイト・マーティンは夢を見ていた。奇妙な事に夢の中の自分は夢をみている、と気づいてる夢。

 幼子の自分が歩いて行く。

 それを見ている大人の自分はいやな予感を覚える。これはかなり見たくない光景だ。

 覚えている。反芻する必要など無い。

 と思っても夢は続く。

 そうか、この時自分はこんなに幼かったのか。

 歩いて行く浅黒い肌の子供。まだ2歳か3歳だろう。歩く姿に力が無い。甲高く泣き喚く。

 バカ! 泣くな! お前が泣いてしまうと……

 武装した兵士達。子供の後ろに隠れている薄汚いボロボロの装備とは違う。ピカピカな装備に身を包んだ兵士達。その中から金髪をヘルメットに隠した女性が現れてしまう。

 気にしなくていい。そんな子供の事は放っておいていいんだ。

 ナイトはそう呼びかけるが、声は聞こえない。子供の後ろに漂うように少年のナイトの意識は存在するだけ。女性に語り掛ける事は出来はしない。その事実が理解出来てしまう。

   

 あぁあああああぁんんん ふっふっふわぁあぁぁぁぁあぁん あぁぁぁ


「泣かないで。

 私まで悲しくなっちゃう」


 カンに触る泣き声を上げる子供。放っておけば良い物を。女性が子供に向かって歩こうとしている。

 止めてくれ!

 本当に構う必要は無いんだ。こんな……泣き喚くしか能の無い子供!

 こんな……俺に構うな!

 そんなナイトの気持に応えるように男が止める。


「止めろ、現地の子供だ。関わるな」

「だって、子供よ。

 私たち大人の都合に捲き込まれただけの子供。

 放っておけないわ」


 男は年配の兵士だ。こんな状況に出くわした事もあるのだろう。

 ならば! しっかりと彼女を止めてくれ。この女性は愚かな行為をしようとしているんだ。アンタが諭すべきだろう。


「放っておくんだ」

「……泣いてるのよ。

 あの声を聞いて、放っておいたら……」

 

 年配の兵士は有無をも言わさぬ口調で放っておけ、と言っているのに。何故か、女性は抗う。

 相手は上官だろう。従えばいい。

 女性は良く見ればまだ若い。学生から兵士になったばかりでは無いのか。まだ新米兵士の筈だ。

 ナイトの記憶ではもっと大人のキレイな女性だったような気がしていたが、子供の視点から見た勝手なイメージだったのだろう。現在ナイトが観察している女性は地味な顔立ち、頬にそばかすが残るようなあか抜けない雰囲気の社会人になったばかりの女性。


「私ずっと夢に見るわ

 一生悪夢しか見られない。

 そんな人生ゴメンだわ」


 ……だけど、ナイトの知るどの女性より彼女は美しかった。

 凛とした表情で荒地へと歩き出す。

 泣き喚く可愛くないガキ目掛けて。 


 その後は見たく無い。もう何度も胸の中で繰り返された光景。見飽きている。

「狙撃だ!」

「チキショウ、やっぱり罠か」

「どこからだ?」

 騒然となる兵士達。壁に隠れながらも、手には銃火器を取り出す。狙撃方向を探っているのだろう。

 ナイトの意識はそんな彼等より子供に向かう。呆然と立ち尽くす子供。その瞳から涙は止まっているが、鼻からは鼻水と鼻血がまじりあった液体がダラダラと垂れている。

 鼻血を拭う事も忘れ、ぼうっと女性を、女性から流れる赤い液体を見ている子供。何かを失ったと思っているのだろう。何かとても良いものに包まれる瞬間があったかもしれないのに。それを奪われた。奪われた物の大きさに呆然としている。


 大丈夫だ。

 手に入らなかったモノはそのウチ手に入る。この世では無いかもしれないけれど。大丈夫なんだ。

 …………それよりもキミは彼女からもっと大事な物を貰った。生き方を学んだ。そうだろ。まだ……ナイト・マーティンにはなっていない子供。

 そうだ。忘れるな、ナイト・マーティン。一生悪夢だけ見て過ごす。そんな人生はゴメンだ。そうだろ、ナイト・マーティン!


 立ち尽くす幼い子供に力強く語りかける。

 その瞬間。

 ナイト・マーティンは目を開けていた。



 あれぇ。あれあれあれあれれれれえっれれれれれぇ。

 にいちゃん、目を覚ましてもうた。

 

 つい一瞬前、兄は正体を無くして眠りに着いた筈なのだ。しなやかに躍動していた肉体がピタリと止まり、彫像のように立ち尽くす。

 目を閉じた顔も麗しいぜ、にいちゃん。しかし立ったまま寝とるんかい。大丈夫かな。あの女神とか名乗ってたん、なんか余計な事してないじゃろな。にいちゃんを傷つけてたら殺したる。三千世界の果てまで追いかけて殺し尽くーす。

 そんな事を思っていたら、ピタリと止まっていた兄が又動き出したのである。

 動画の一時停止か! 時間停止か! 『ザ・ワールド』か!

 しかし、それだけでは無い。止まっていた兄が動き出しただけでは無いものをソフィアは感じていた。

 

 兄は美少年なのである。浅黒い肌、黒い髪の毛、黒く濡れたような瞳。通った鼻筋と冴えた目線のクール系美少年。

 少年マンガ風に言うならハスに構えたライバル天才少年キャラなのだ。『ゴン・フリークス』では無くて、『キルア・ゾルディック』なのだ。『流川楓』なのだ。『うちはサスケ』なのだ。『ベジータ』様なのだ。『影山 飛雄』『冨岡義勇』『シーザー・アントニオ・ツェペリ』。『土方十四郎』は少し不許可。いくらツッコミの為とは言え下品なセリフを言う兄など想像したくも無い。

 それが動き出し、ソフィアに向かってくる少年は……目を開きまっすぐな熱い視線をしている。

 これはキャラチェンジ? いつの間にか『ゴン・フリークス』の方になってもうた。傷つきながらも立ち上がり仲間と共に進む主役キャラ。『緑谷出久』『エドワード・エルリック』『日向翔陽』『ジョナサン・ジョースター』『桜木花道』。

 

 なんでじゃー、と思ってもそんな思考とは無関係に兄はソフィアに近づいて来る。

 まさか……あっしがなにかやらかしたのがバレてる!?

 悪気は無かったんじゃー。ホントなのじゃ。にいちゃん、あっしは悪くない。悪いんはあのパッと出てどっかへ消えた女神っぽいフンイキの怪しげな輩じゃ。あっしはなんにもしとらんのじゃぁ。

 

 ナイト・マーティンには不思議な確信があった。この妹が何かをした。

 現在妹は黒目を瞬かせてこちらを見ている。

 ナイトを信頼しきったつぶらな眼差し。もう少しでこの眼差しを裏切る所だったかもしれない。

 ピンクの毛布に包まれた赤子を抱き上げる。

 

「ソフィア…………

 ありがとう」


 ナイトはソフィアのおでこに軽いキスをしていた。

 

「俺は行く。

 ソフィアは二階のベッドで寝ていてくれ。

 この家は防犯設備がなっていないが、心配するな。

 一階から二階へ上がる階段へ罠を仕掛ける。

 俺以外の人間が階段を登ろうとしたなら槍が降って来る」


 モチロン、ソフィアはそんなナイトの言葉は耳に入っていなかった。

 あっしの身にナニが起きたんじゃーーーー!!

 これは夢か?!


 デコチュー!

 天使のキッス!

 額に口づけ!


 ソフィアは……ソフィアはついに女になりました……いやちゃうねん。やらしい意味とちがうんじゃ。

 それに確か……額に口づけするんは愛の証。愛の証じゃけど……男女の愛的なそれでは無かったハズなんじゃ。家族への愛とか、親しい友人へのそーゆー種の愛情表現だったハズなんじゃ。

 分かっとる。分かっとるんじゃけどもーーーーーーー!!!!!

 

 美少年が自分の身体を優しく抱き上げてキスをして、そのままお姫様抱っこをしてベッドへ連れて行こうとしているのだ。

 今まで夢見た事はあっても経験した事の無いシチュエーションなのだ。


 ぐるぐると目が回る。頭が熱い。ついでに身体も熱い。ついでににいちゃんにキスされた箇所もとんでもなく温かい。 

 ぎゃぼー!

 むひゃはー!

 うっしゃっしゃ!

 幸せに包まれたまま昇天してしまうソフィアなのであった。

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