第4話 今宵は新月(3)
檜風呂。
ここイムガイではいざ知らず、平均的日本人からすれば贅沢な造りである。
家主たる大曽根がいわゆる村の名士であるのを考えると、それほど驚くべきことではないのかもしれないが。
(とはいえ……やっぱり落ち着かないな)
湯に浸かりながらも緊張が抜けきらない。今はまだ、ここが他人様の家という意識が働いているせいか。
いつまで世話になるかはわからないが、いずれ慣れるに違いない。
(いずれ、か――)
立ち上がり、窓の外へ目をやる。
今宵は新月。闇のキャンバスに無数の星が瞬く様がありありと見て取れる。
(むこうの夜空って、どんなだったっけな)
トゥーラモンドの空はユードナシアとはつながっているのだろうか。
見とれてしまうほど綺麗な星空。
いくら見つめていたところで、こちらから知ろうとしなければ、何も答えてくれるはずがない。
(季節ごとの星座とか、こっちにもあるのかなー……なんて)
似合わない。入山献慈とは、星に思いを馳せるようなロマンティックな性分の持ち主ではなかったはずだ。
どうにも感傷的な自分がもどかしい。
(ダメだな。こんな時こそ心を強く持たないと)
この世界へは本当に何も持たずに来たわけではない。苦境にあっても魂を奮い立たせてくれたヘヴィメタルは、変わらず心の中に息づいているではないか。
「♪~トゥー! ミーニッツ! トゥミ~ッナ~イ」
再び湯船に身をうずめ、鼻歌を口ずさむ。
遥かなる異郷ユードナシアより来たりしメタラー・入山献慈、ここにありと。
はてさて、すっかり気が抜けていたようだ。
「よかったぁ。思ったより元気そうで」
浴室の外から、出し抜けに澪の声がかかった。
「あっ、すいません。うるさかったですか?」
「ううん。新しいお着替え持って来たから、ここ置いとくね」
「わざわざありがとうございます」
素っ裸の献慈。澪との間を隔てるものはすりガラス一枚。どうにも落ち着かない。昼間のダイナミック森林浴の時と格好自体は同じでも、今のほうがよほどドレスコードに則しているはずなのだが。
「湯加減、どう?」
「ちょ、ちょうどいいです」
湯の温度や室内の清潔さが保たれているのは魔導の賜物だ。これだけ快適だとトゥーラモンドでしばらく生活するのも案外悪くはないと思えてしまう。
「献慈くんは」
「何です?」
「お歌が趣味なの?」
存外、澪の食いつきが激しい。だがそんな些細なことですら興味を向けられるのは正直、悪い気はしない。
「えー、今のはその……気分が乗っただけで」
「そっかぁ。音は合ってたから、音楽できる人なのかなーと思って」
音「は」合っている――と。たしかに、歌声そのものは微妙だという自覚は献慈にもある。
同時に、男子としてはちょっぴり見栄を張りたくなる気持ちもまたある。
「どちらかといえば、楽器のほうが得意ですね。ギターとか」
「へぇ~、ギターかぁ。どこかで見かけた気がする……」
「本当ですか!?」
興奮のあまり思わず食いぎみに尋ね返していた自分に驚く。
ややあって聞こえてきた、クスクスという笑い声。献慈は恥ずかしさから一気に我に返る。
「あ……えっと……」
「うん、時間あるとき一緒に探してみよっか」
「よ、よろしくお願いします」
その実、献慈は言われて初めて気づいたのだった。元の世界を離れ、音楽と縁遠くなってしまったことに対する、想像以上の淋しさを抱えていた事実に。
「ふふっ、そんなに好きなんだ? 音楽」
「はい。友だちともよく語り合ったり、一緒に演奏したりしてましたから」
「お友だちって、さっき話に出てきた女の子?」
「いえ、
「真田さんっていうんだ……」
「あ、そっちじゃなくて
献慈が反応を窺うと、澪ははっとしたように再び口を開く。
「……あっ、うん。長居しちゃってごめんね」
「それはべつに……澪さんには何かと気にかけていただいて感謝してます」
「ううん、それこそ全然気にしないで。……今度は私が助ける番だって思ってるから」
衣擦れの音。
遠ざかる足音。
この時澪がつぶやくように残した言葉の意味を、献慈が正しく理解するのは、ずっと後になってからのことだ。
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