異世界で一番の紳士たれ!

だんぞう

#1 初対面の幼馴染との約束

「んっんっ」


 鼻にかかる甘い声を出しながら、得体の知れない痴女みたいなその何かは俺の体の形をまさぐっている。

 暗闇の中、毒だろうか体は動かせない。俺はここで殺されるのか?

 一瞬、ここで死んだら元の世界に戻れるのかなんて考えが脳裏をよぎる――いやダメだろ。だってこれはとしてるの体じゃない。リテルのものなんだから。

 俺が魔法なんか習おうとしなければ、リテルはこんな目に遭ったりしなかったはずなんだ。




 魔法の存在する世界。

 俺が今居るこの世界ホルトゥスを「異世界」だと認識したのは、今朝のことだった。


 目覚めた時の俺は魔法どころか何もわからず、一晩うなされていた熱が下がったのを感じていた。

 だるさが残るなか瞼を開き、枕元のスマホを探した……けど、見つからない。

 スマホとLEDライトスタンド、目覚まし時計とを乗せたサイドテーブルが、あるべき場所にない。

 眠い目をこすりつつ、ベッドから起き上がり、辺りを見回して二度見、いや三度見した。


 ここどこ?


 それが最初の感想。

 部屋の大きさ自体は俺の部屋と変わらない。だけどまるで違う部屋だった。

 まず、床は地面だ。壁は白いんだけど、床の近くは茶色く汚れている。床の土がはねたのか?

 出入り口としては木製の扉が一つと、壁に空いた小さめの穴――窓だ。穴は人の頭も通らないくらいの狭さなのに、木製の格子がはめ込んであり、寒い時には木製の蓋で塞ぐ感じ。見ただけで使い方がわかる。

 それ以外には粗末なベッドが二つと――このベッド、木枠に藁を敷き詰めてあるだけだ。

 他には、木製のカラーボックスサイズの木箱が二つ。俺のベッドに近い木箱の上には、短剣と手斧と矢筒が置いてあり、その傍らに立て掛けてある弓も含めて俺の――俺の?


 なんだか俺、混乱してるな。

 目を閉じて、昨晩のことをもう一度、頭の中に思い返してみる。

 十五歳の誕生日の夜、俺以外の家族四人が海外に行っているという状況。俺は一人でコンビニ弁当とケーキ代わりのメロンパンとを買って帰り、広いダイニングで一人でそれを食べ、テレビも見ずに自分の部屋へ戻り、そこで突然頭が痛くなって強烈な寒気がして、風呂に入るどころか体温計を探しに行くのもしんどいくらいだったから、そのまま布団にくるまって……。


 その記憶の続きが今この状況だとしたら、変な夢を見ているとしか思えない。

 自分に触れてみて、つねってみて、声を出してみて――声は俺の声、だと思う。

 妙なリアリティは明晰夢ってやつなのか?


 もう一度、弓を見る。

 単一の材質で削り出して作った弓――削り出したのは俺――狩人でもあるマクミラ師匠に教わりながら――俺が?

 いや、リテルが。

 視界のモノのそれぞれに意識を集中すると、それらに対するリテルの記憶が蘇る。まるでヘルプ機能だな。

 記憶も同じ。思い出そうとすれば、俺自身の記憶として蘇る。


 いや、待てよ。俺は誰なんだ?

 俺は有主ありす利照としてる。日本に暮らす十五歳。そしてリテルは、このストウ村に棲む十五歳――え、違う。この世界では普通に使われるのは十進数じゃなく十二進数だから、実質十七歳だ。

 家族は両親と祖母一人、兄が一人と双子の弟妹――顔や名前ばかりか、彼らと一緒に過ごしてきた時間、感情、エピソード、いろんなことを思い出せる。としてるのこともまるで前世の記憶みたいに――前世?

 俺、元の世界で熱出して寝込んで、そのまま死んだのか?

 あまりにも唐突過ぎて現実味がない。それにどうもリテルが利照の記憶を取り戻したって感じじゃなくて、あくまでも自意識はとしてるの側なんだよな。


「リテル! もう起きて大丈夫なの?」


 そして今、あの扉から勢いよく入ってきたのは、幼馴染のケティ。

 隣に住んでいる鍛冶屋の一人娘で、俺やリテルの一つ年上の十六歳――だから実際には十八歳か。混乱するな。この世界の単位に慣れるため、なるべく十二進数で考えるようにしよう。


「大丈夫」


 と答えた言葉も、ケティの話した言葉も、耳馴染みが日本語じゃない。

 でもリテルが十七年間ずっと使ってきた言葉だから、としてるも理解できるし、話せもする。

 俺が日本語でした思考を言葉として発しようとすると、リテルがこっちの言葉で話してくれるみたいな?


「本当?」


 ケティは心配そうな表情で扉を静かに閉め、小走りで俺の方へ。

 見るからに発育の良い胸が無造作に揺れる。

 揺れるのも無理はない。ブラジャーなんてないから。そもそも下着という概念がない。

 ストウ村の住人は、肌の上に直接、麻製のTシャツみたいなのと、膝上短パンみたいなのを着ている。短パンはそのままだとずり下がってしまうので、紐で腰骨のあたりを縛って留める。この格好で家の中や近所をうろうろするから、この格好は「普段着」って……ケティ?


 ケティはベッドの縁に腰掛けた。

 ベッドの長方形の木枠はそんな厚さがあるものではない。少なくとも人間が腰掛けるほどの厚みはない。

 寝藁はそれなりに敷き詰めてあるが、木枠からはみ出るほどではない。すると必然的にケティのお尻はベッドの内側に沈み込み、結果的にベッドの中央であぐらをかいている俺に対して前のめりに顔が近づく。

 シャツの首周りが比較的ゆるいせいか、ケティの胸の谷間がやけに目につく。ケティの近さにビクついた俺はケティとリテルとの記憶を慌てて思い出す。

 ――二人は付き合っているわけじゃない――っと、いや待て。おいおいリテル!

 リテルが過去にケティに向かって思わせぶりなこと言っていた記憶が蘇る。二年前の新年の朝に伝えた言葉を。


『俺が十五歳になったら……ケティ、伝えたいことがあるんだ』


 十五歳っていつ? あ、昨日か! リテルも昨日が誕生日なのか!

 だがリテルは熱を出して寝込んでしまい、ずっと抱えてきたケティへの想いをまだ伝えられてない。

 じっと俺を見つめるケティの顔が近い。

 おい、リテル?

 起きろよ。お前の大好きなケティが、リテルの言葉を待っているんだぞ?

 おい! リテルっ!

 脳内でリテルの名を幾度となく呼んでみるが、反応はない。記憶としては幾らでも思い出せるのに、肝心のリテルの自意識が、深い眠りについたように、一向に目覚める気配がないのだ。


「リテル……どこ見てるの?」


 そう言われたとき、俺の視線の先はケティの胸元にあった。

 リテルの好きな人になんてことを。俺は慌てて窓を見つめる。小さい窓はここからじゃ外の景色は見えない。

 リテルからケティへの尊い想いを思い出すたび、胸がぐっと締め付けられる。もちろんとしてるの胸が。


「リテル、こっち見て」


 ケティが両手で俺の頬をつかみ、自身の方へと向かせる。じょ、女子に触られて、間近で顔を見つめさせられて――緊張する。

 ケティの黒い瞳は近くで見るとほんのり茶色がかっている。髪色も黒、肌は日に焼けて薄い褐色。中東の方の美人といった感じだが、記憶の中のケティはいつも元気で、美人というより可愛いといった言葉の方が似合う。いやこれ身近にいたらリテルじゃなくても好きになるだろ。

 美人の顔が近いこと、リテルのケティへの想い、そんな人の胸元をガン見していた恥ずかしさ。様々な想いが俺の中でショートして頬を熱くする。

 リテル、どうしてお前、起きないんだよ?

 俺の意識が目覚めてしまったからなのか?


 昔から姉弟みたいに育ったケティに対し、リテルの「好き」は始めは家族のような「好き」だった。年齢が上なこともあってかケティはいつでもなんでもリテルより秀でていたし。

 プリクスさん――ケティのお父さんの鍛冶仕事を手伝ってもいたケティは腕力も強く、腕相撲では一度も勝てていないんだよな。だからリテルにとっては頼れるかっこいいお姉ちゃんだった。

 そんな憧れが、好意が、恋へと変わったのは二年半前。村の門番の一人、テニール兄貴がお嫁さんを連れて町から戻ってきた時。


 結婚式を村であげたんだ。

 テニール兄貴の連れてきたお嫁さんが着ているドレスを見たケティのうっとりとした表情を見て、そのときリテルは初めて魂を揺さぶられる感情を覚えた。

 ケティがあんな衣装を着る時、その横にはリテルが居たいって思ったんだ。


 だからその後すぐ、村で唯一の狩人、マクミラ師匠に弟子入りした。

 うちは農民ではあったけれど、土地を持っていて村の中では裕福な方。でも継ぐのは長男のビンスン兄ちゃんだ。自分リテルは次男だからいずれ家を出る。雇われ農民になる未来よりも、腕さえ良ければもっと稼げる狩人になろうと思ったんだ。

 狩りに出られる日は領主さまに決められているから、狩りのない日は門番をしたりもする。それでテニール兄貴とも仲良くなった。

 テニール兄貴はリテルが一生懸命体を鍛えているのを見て、素手や武器での格闘戦を教えてくれた。森には魔物も出るし、戦い方を覚えておいて損はないって。


 それからは自分を鍛えることに夢中になった。ケティよりもたくましくなってから告白したかったから。

 脈はあると思っていた。ケティが「最近一緒にいられないね」なんて言ってきたことがあったから。それが二年前の新年。だから約束した。十五歳になったら、ケティに伝えたいことがあるって。とっても大事なことだって。

 なのに。

 どうしてリテル、お前は眠っているんだ? 俺のせいなのか?


「ね。何か言うことあるんじゃなかったっけ?」


 そ、そうです!


「……」


 ある、って答えたはずなのに、俺の口からはカヒューとかすれた音が漏れただけ。

 元の世界で彼女なし、女子とも普段口をきかないとしてるには、こんなシチュエーションでリテルの想いを代弁するのは荷が重すぎる。


「聞こえない」


 ケティがぐっと身を寄せてきた。ケティの柔らかさを俺の胸板で受け止める。

 これはリテルの体なのに、友達の想い人にイヤラシイことをしてしまっている罪悪感が湧き、意識を胸から必死に外そうとする。そう。リテルは鍛えているだけあって、元の世界のとしてるよりもずっと胸板厚いのな――ダメだ。服越しとはいえ、人生初の生おっぱいに理性も思考も持っていかれる。しかも何このいい匂い。ケティの匂い?


「リテルの……ドキドキしているの、伝わってくるよ」


 何か言わないと……言葉を発しようとして、唇を噛む。

 リテルの想い、としてるが勝手に伝えていいことなのか?


「私、けっこうモテるんだよ?」


 ケティは俺の手を取り、自分の心臓の上へと当てる。手のひらに伝わる体温と柔らかさ、そして鼓動。


「私もドキドキしてるの。リテルだからだよ? ……あっ」


 俺の股間が反応しまくっていることに、ケティの膝が気付いた。






● 主な登場者


有主ありす 利照としてる/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。

 体はリテルだが、自意識は利照のまま。想いを巡らすだけでリテルの記憶を思い出せる。


・ケティ

 リテルの幼馴染の女子。十六歳。リテルが十五歳になったら伝えたいことがあるという二年前の約束を待ち望んでいた。

 黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。どうやら両想い。


・マクミラ師匠。

 ストウ村の住人。リテルにとって狩人の師匠。


・プリクスさん

 ストウ村の住人。ケティの父。鍛冶屋。


・テニール兄貴

 ストウ村の門番。傭兵経験があり、リテルにとって素手や武器での近接戦闘を教えてくれる兄貴分。


・ビンスン兄ちゃん

 ストウ村の住人。リテルの兄であり長男。




■ はみ出しコラム【十二進数】

 この世界において一般的に使われているのは十二進数である。

1から9までは普通に数え、その後「クエイン」と「ミンクー」を経て10(十進数では12)である「ラスタ」へと至る。

 ちなみに他の数字は以下の通り。

1:ミン

2:アッタ

3:ネルデー

4:カンタ

5:レムペー

6:エンクー

7:オツォ

8:トルド

9:ネルテー

20:ユラスタ(十進数だと24に相当)

30:ネレラスタ(十進数だと36に相当)

31:ミン ネレラスタ(十進数だと37に相当。低い桁から先に発する)

50:レペラスタ(十進数だと60に相当)

100:ツクサ(十進数だと144に相当)

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