水彩の路線図

palomino4th

睦月 フーガ 第一楽章

 酷い雪の降った年だ……東京の西、山に挟まれた街が豪雪に埋まった時の事だった。

 雪のために道路や線路が埋まり交通が分断された。××線の西の区域で豪雪による倒木で復旧に時間がかかる事になった、

 基幹になる自動車道路の方は除雪車が入ったおかげで復旧をどうにか済ませたが、線路の復旧はしばらく手間取り、奥の街の住民は鉄道の再開まで電車の利用者の足を補完するため、バス会社の走らせる代行バスを使うことになった。その年だ。

 祖父の代からこの土地の住民ではあるけれど、生業を継いだわけではない。同じ年の人々は都会で暮らすようになり街を出ていったわけだが、僕自身もいずれ外に出ようとしながらそれが出来なくなり、地元近くの小さな製作所に勤め、家にひとり暮らしになっていた。

 まるで象徴するかのように、僕のひとり住まいは鉄道駅の中頃に位置し、周囲は耕作放棄地めいた更地のような隙間の、見捨てられた土地ばかりだった。

 一月の半ば、その日の夕刻。曇り空がそのまま日没に合わせ暗さを深めていくタイミング。僕は道路を歩き自宅への帰途にあった。

 自治会館の寄り合いは今頃酒が入り、そのまま宴会になっている頃合だ。僕は議事が終ると打上げには参加せずに会館を出てきたところだった。二回りほど若い僕は他の高齢の会員らよりやや浮いた存在になっていた。取り組みは真面目にこなしたものの、やはり疎外感は免れなかった。

 道の大半は表れているが、豪雪の名残りが道の隅や人の足が入らない日陰に残っていた。

 車道を歩いて自宅の脇道に折れる入口付近が見えてきた時だった。ちょうどそこに人影が……低く屈んでいる三人の人影に僕は気が付いた

 遠目にも奇妙な人だかりで、足を速めてそこに向かった。

 老夫婦と若い女性。

 老夫が仰向けに倒れており、傍らに老妻が取り乱したように泣きじゃくっている。

「ごめんなさい、ごめんなさい、また私、間違えちゃって」

 若い女性がなだめつつ周囲を見回しているのと目が合った。

「……どうしたんですか」

 倒れてる老人を覗き込むと、しきりに老女の手首を握り、かすれた声で何かを伝えてる。

「……君は悪くない……間違えてなんかない……」

 老人のもう一つの手は女性の手首を強く掴んでいた。

「あ、あ」女性がすがるような目で僕を見てきた。「転んだんです、滑って。それで頭を打って。血が……血も出てるみたいで……すみません、今よろしいですか。救急車を呼んでいただけませんか」

 時間がどれくらいたっていたのか、血は半ば止まっていた。内出血よりもかえって良かったかどうか、どちらにせよ頭を打ち付けられた以上、それなりの大きさの病院に搬送してもらい検査と処置を受けなければ危ういだろう。

「僕、家がこの先なので、車を……いや、救急に繋いだ方が早いか、頭を打ったのなら病院じゃないと。電話してきます、ここをよろしくお願いします」

 僕はそのまま自宅まで走り飛び込むと、救急にダイヤルを回した。廻りにはほぼ目印がないが、自分が生まれてからずっと住んでいただけに上手く怪我人のいる場所を伝えることができた。

「電話をしました。救急が来るはずです」

 老人の身体に家から持って来た毛布をかけ、袋を破り新しい手ぬぐいを後頭部の出血個所に当てた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、私、失敗しちゃったの」涙をぽろぽろ落としながら老女が繰り返していた。今は老女の方が老人の手を握っていた。もう片方の手は力なく垂れて女性がそっと手に取っていた。

「……いいんだ。失敗なんかしていないんだよ……ありがとう」

 この礼は、誰にだろうかと僕は思った。老人の目は殆ど閉じられていて誰も見えていないようだった。

 焦れている内に、遠くサイレンの音が聞こえてきた。暫くすると通りの端から赤色灯の点滅が見えた。僕は立ち上がりそちらに向かって両手を振った。

 救急車が枝道に入り停車し、隊員らが降りてきてバイタルの確認が始まると同時に、女性に状況を聴いていた。老人がストレッチャーに運ばれ救急車に乗せられると老女が同乗し、隊員が女性に「乗りますか」と声をかけた。

「いえ、私は通りすがりなので」と答えた。

 救急車は老夫妻を乗せ、サイレンを鳴らして走り去った。見送ると、改めて女性の方を見た。

「ご家族じゃなかったんですか」夫妻の孫娘かとばかり思っていたのだが、どうやら他人だったようだ。

「通りがかったんです。おじいちゃんがここに倒れて、おばあちゃんが必死に声を出していて。どこかに助けを呼ぼうにも、おじいちゃんが離してくれなくて。来ていただいて本当に助かりました」

「助けたのは貴女の方ですよ」自分の家のある場所だがほとんど何もないここは寂しいところだ。心細いことだったろう。

「帰りのバスが行ってしまった」女性は気がついたようにそう言って道の端、少し離れたところにぽつんとあるバス停を見ていた。「高台の神社の階段が急で。走り降りるわけにもいかないんで。階段の途中から通過するバスを見てもう間に合わなくて。最後のバスだったんですよね、今日の……駅まで歩くしかないか」

「駅までですか」どちらの駅もまだ線路の復旧はできていない。「電車が通じている駅は女性には遠過ぎですよ……それにもうじき真っ暗になる、道路は通ってても両脇が林になってるんです……その、車を出しますからどうか駅まで送らせてください。何かあったらいけないんで」

 僕は言っている途中で、見ず知らずで会ったばかりの男が——と思ったが、女性の方は少し考えて遠慮がちに答えた。

「それでは……お願いできますか」


 車はあっという間に幾つかの地区を過ぎて、稼働している駅の前に到着をした。既に日没で夕闇の時刻、ロータリーから明るい駅のホームを見たが、そこには誰もいない。小さな待合室があるけれど暖房もない箱だ。

「次の電車までだいぶ時間があります、しばらく車で待ってからの方が良いと思います。ずっと寒い路上にいたんですから大変だったでしょう。もう少し暖房であったまった方が良いです」

「本当に何から何まですみません」と彼女は言った。互いに沈黙するのを恐れるかのように言葉を繋いだ。「——あのおじいちゃん、大丈夫ですかね」

「きっと大丈夫ですよ」僕は答えたけれども、話題が頭に浮かばずに間が空いてしまった。

「私、あの高台にある神社を見に来たんです」彼女の方から話題を投げてきた。「今住んでるところは東なんですが、私の実家、ここよりも更に西の奥の町なんです。普段の里帰りは電車で往来していて。一月の大雪で代行バスであのルートを通ってからこの土地が気になっていて。特にあの山の上の神社をいつか実際に見たいなって」

「社務所もないところだし誰もいなかったでしょう。春あたりには山桜が咲くので少しは賑わうんですが」

 彼女はバックからモレスキンの手帖を取り出して開いて見せた。いくつもスケッチがあり、最後の描画はあの神社だった。 

「午後近くまで拝殿や境内をスケッチしてたんです。すっかりと夢中になって。日暮れ始めにバスの時間なのに気がつきました。慌てて向かったんですけれど、そのまま来て走り過ぎていく屋根を見送りながら、それでも道路を歩いてバス停に向かったら、道であの二人を見つけたんです。どうもバスに乗ろうとして追いかけたのか、それでおじいちゃんが転んじゃってて。私、急いで周りを見て電話を探しに行こうかと思ったんだけれども、おじいちゃんが手首を掴んで離してくれなかったん。奥さんがどこかに行くかもしれない、だからここにいてくれって」

「貴女が乗り遅れたおかげであのお二人は助けられたんですよ。間に合って乗っていたら寒い中、二人とも置き去りだったでしょう」

 とりとめなく話しているうちに、折り返しになる電車がホームに入ってきたのが見えた。一〇分ほどで発車するだろう。

 もっと彼女の声を聴いていたかったが彼女は駅に行く支度を始めた。

「どうもありがとうございます、助かりました」車を降りて彼女は穏やかに微笑み、そして付け足すように言った。「おじいちゃんは奥さんに『いいんだよ 大丈夫だよ』って、怪我をしてるのに最後まで優しかった。きっと二人は助かりますよね、じゃあさようなら」

 ドアが閉められ彼女は駅に向かった。人助けと素敵な女性と会話したことで高揚していた気持ちが次第に冷えてきた。車内が一人ぼっちに戻った。結局、連絡先どころか名前も知らない、他人だったのだ。


 春のある日曜日だった。高台の神社では地域のささやかな神事が行われていた。僕も簡単な手伝いをしていた。周囲にある桜の樹を目当てに訪れた近所の人々で珍しく賑わっていた。

 一通り作業を終えてそれぞれ撤収などを始めている最中、僕のことを見ている女性に気がついた。

「あの、一月の時はお世話になりました」彼女が近づいてきてにこやかに笑いながら話しかけてきた。「——覚えてらっしゃいますか」

 忘れたことはなかったけれども、僕のことなどすっかり忘れられたものと思っていた。

「復旧で電車も開通して、ようやく普通にやって来れました。……あの時のご夫婦のその後ってどうなったんでしょう」

「さあ——気になりますが、ここら辺の人も結局心当たりなくって。どうなったのか分からないんですよね。助かっているといいんですけど」

「お忙しいですよね、今、お片付け。今日はこの後、時間ありますか」

「あります。片付けを終わるのが一時間か二時間で、そのあとなら」

「車で駅まで送っていただいたお礼、させていただけませんか。お食事を御馳走させてください」心なしか彼女の顔が赤く染まっているようだった。

 その二時間後、彼女の名前——ゆかりという名前を僕は知った。


 僕たちは二人ともに不器用な人間で、劇的な場面こそ訪れるものじゃなかったが、次の春には結婚をしていた。

 僕の方は相変わらず製作所に勤めぽつんとした古びた家の生活だったけど、そこが僕ら夫婦の生活の場所に変わった。

 新婚を機に引越しを検討したけれど、彼女の方がそれを止めた。古びた住まいに新しい風が吹き込んで、疲弊しくすんでいた家や庭に生命力を与え注いでくれた。

 ゆかりは知人の紹介を通して隣の地域の食堂のパートをすることになった。共働きをしながら、もう一つ——ずっと夢だった挿絵画家としての創作を続けていた。

「このお家だったら、他所に作業場を用意しないでも作家活動を続けられるでしょう」

 僕にとって古く変わり映えのしないこの家や土地も彼女にはまだ夢を花開かせる希望の繋がった場所でもあるのだ。

 雑然と物置にされていた部屋も整理され絵描きのアトリエに、ぞんざいに手入れもおろそかだった庭も整えられハーブや菜園も始められた。

 何よりも彼女の笑顔や声は僕に力をもたらす太陽だった。僕はもう独りじゃなかった。

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