第3話

 良く考えたらお父さんもおじいちゃんも私みたいな能力を持ってるのかもしれない。でも私は私のこの、普通じゃない部分がすごく嫌いだから、お父さんにもおじいちゃんにも相談とか質問をしたことがない。

 両手を胸の前で合わせる動きは、物心ついた時からやっていた。お母さんがすごく嫌な顔をしていたのも覚えている。終わり、と叫ぶとこの世のものではない──悪いものは消えてなくなる。でも、できればやりたくない。だってこんなのおかしいから。


 相澤邸から大学に通い始めて、数ヶ月が経った。世間は夏。肝試しの季節。

 美大に通うような子たちならそんなこと言わないだろうと思っていたけど、全然みんな怖い話とか大好きだった。夏休みに廃墟巡りに行くっていう子もいたし、同期のメンバーで百物語をやるって話も出た。私は、ちょっとだけ誘われたけど全部断った。本物が見えたら嫌だから。

 ……それなのに。

「う〜、ヤバヤバ寒気するっ! ねえ、ここってホンモノなんだよね!?」

「ホンモノだって噂だよ、なんか10年ぐらい前に殺人事件があったって……」

 同期で、同じ学科の小林と遠藤がはしゃいでる。すごくいやだ。こんなところ来たくなかった。


 夏休みに入っても、私は大学に通い続けていた。大学っていうか正確にはアトリエに。相澤邸の私の部屋で油絵を描くのはさすがに非常識だし、家にいると美晴くんがゲームとか外遊びに誘ってくるので、大変なのだ。いや、大変とか言っちゃダメ。私だって楽しく美晴くんと遊んでるわけだし。美晴くんは人を誘うのがうまい。貧乏学生の私にお金を出させるとかそういう邪悪なことは一切せず、家にあるゲーム機で遊ぼうとか、コンビニに行って一緒にアイスを食べようとか、そういう可愛らしいお誘いをしてくる。毎日。美晴くんは名前の通り美しく晴れた空みたいに爽やかな少年で、私にも美晴くんみたいな弟がいたらいいのになぁって毎日思ってる。ユキさんは実は鳴海さんの弁護士事務所で事務員をしていて、夏休みに入ると家に大人がいない時間が多くなった。私は、バイトをしなくていいってことになっている。厳密にはするなと言われている。お父さんから。理由は──分かるけどムカつく。で、その代わり私には毎月仕送りがある。相澤家に支払う家賃や食費、光熱費なんかとは別に私には自由にできるお金が常にある。それはありがたいんだけど、でも……でもちょっともやもやするんだよなぁ。美晴くんは美晴くんでご両親からもらったお小遣いをきちんと溜めて、私と遊びに行く時なんかに使っているようなのだけど、でもそれも最近ちょっと使いすぎてるみたいでユキさんに注意されていた。なので、私は家にいる時間を少し減らして、私と美晴くん、お互いが無駄遣いをしないように気をつけるようにしたのだ。夕飯後に一緒にゲームをするとかそういう遊びなら怒られないからね。

 で。アトリエに入り浸ってる私に声をかけて来たのが、小林と遠藤だった。ふたりとも神奈川の出身で、私なんかよりずっと都会っ子。年もふたつぐらい上。浪人したんだろうな。詳しくは聞いてない。私がストレート入学したことも、言ってない。そんなことより、アトリエで課題と格闘する私に小林がおもむろにこう言ったのだ。

「ね、事故物件見に行かない?」

 ──と。

 行かない、と答えたはずだったのに、私は今、俯いたまま小林と遠藤の後ろを歩いている。ここは事故物件。ていうか廃墟。

 小林と遠藤と私。あ、あともうひとり。彫刻科のまゆずみ。彼女こそ幽霊とか怪異とかにはまるで興味なさそうなのに、私と同じようにアトリエにこもっていたところを急に呼び付けられたのだという。


 明るい栗色の髪をお団子にし、ふわふわしたピンク色のワンピース姿の小林と、エスニック? っていうの? 大きなシルエットのパンツにタンクトップ、真っ赤な髪をヘアバンドでまとめた遠藤と。ふたりはSNSでこの廃墟の存在を知ったらしい。

 見に行きたいならふたりで行けばいいのに、なんで私のことなんか誘ったんだろう。それに黛さん。金髪にリーゼント、目元のメイクがすごく派手な黛さんは移動の電車内でも、それから道を歩いている時にも、一言も言葉を発さない。来たくなかったんだろうなぁ……でも、来ちゃったんだよなぁ……。


 殺人事件があった、と遠藤は言った。


 でも、ここでは殺人事件はなかった。


 嫌だけど、私には見えている。


 誰かが、国とか、東京都とか、区とか、なんでもいいけどそういう権力を持っている人たちがこんな家早く潰してしまえばいいのに。それぐらいここはダメな場所。


 小林のヒールの足が腐り始めた床板を踏む、ミシ、ミシ、と小さな音。


 そこにね、そこには殺された女の人の首が落ちていたんだよ。


 そんなことを言ったら笑われるって分かってる。笑われるだけならまだいい。頭がおかしいと思われて、王城は狂ってるって噂でも流されたら大変だ。せっかく入った学校で肩身が狭い思いをするなんて絶対にやだ。何のために小学校、中学校、高校と静かに過ごしたのか分からなくなる。


 でも。


 床に落ちている女の人の首がずっとこっちを見ている。


 ここにね、首だけ捨てられたの。未解決事件なの。体の他の部分はまだ見つかってないの。


 小林も遠藤も、それにSNSにこの家の情報を流した人たちもそんなことは知らないんだろう。


 なんで私には見えてしまうんだ。嫌だ。


「こっちこっち、台所で、包丁で滅多刺し──」

 小林と遠藤が身を寄せ合いながら先へ先へと進んでいく。早く、こんな場所無くしちゃうべきなのに。

 台所はダメ。台所っていうか冷蔵庫がダメ。

 小林、遠藤、私、それに黛さんという順番で進んで行く。進まざるを得なくなってる。

 帰りたい。帰って美晴くんと遊びたい。

「それで冷蔵庫の中に──」

 ダメだよ、ダメだってば。

 台所には首のない男の人がいる。ないのは首だけじゃない。お腹を裂かれて倒れている。そのお腹の中に詰まっていたものが、それが、全部。

「えっ、これ!? これじゃね、冷蔵庫!?」

「開ける!? ねえ王城、黛、早く! 開けて開けて!!」

 えっ。

 なんで私。なんで黛さん。

「後輩でしょ!?」

 あっ。

 そういう。

 嫌だ。

 小林も遠藤もにやにやしながらこっちを見ている。このふたり、まだ夏が始まったばかりだというのに何回も人を連れてここに来てるな。さすがに気付く。冷蔵庫の中にはたぶん何も入ってない。普通の人間に見えるものは入ってない。だから、年下の同期を引っ張ってきて冷蔵庫を開けさせて、ビビったり泣いたりするとこを見て楽しんでるんだ。

 でも。

 入ってる。

 今は。

「やっ……」

 うまく説明できない。今までとは違うんです。見える私が来ちゃったから、先方も見せる気満々なんです。冷蔵庫を開けることはできません。そう丁寧に言えれば良かったんだけど、如何せんふたりの表情が──あまりに邪悪で──

「はーやーくー!」

 小林が声を張り上げる。もう、こうなったら。

 黛さんが私を追い抜かした。

「えっ?」

 金髪リーゼントで黒尽くめの黛さんが冷蔵庫の取っ手を掴む。引く。

 中から凄まじい腐臭。それに真っ黒い、虫。

「きゃあああああああああっ!!」

 小林と遠藤が悲鳴を上げる。──

「嘘っ、なにもっ、なかったのに!」

「やだやだやだやだやだ!!」

 口々に叫びながら走り去る小林と遠藤、それに腰を抜かしている私、あと、冷蔵庫を開けたまま立ち尽くす黛さん。


 黛さん。


 腰を抜かしている場合ではない。虫が黛さんの方に大移動を始めている。生きている肉を求めている。あの虫はこの世のものではない。

 胸の前で手を合わせる。

「──っ、──っ!!」

 声が出ない。声が出ない。

 黛さんの顔が白くなっていく。やばいやばいやばい。

 声、出ろ、声!

「──────っお、お、終わりっ!!」

 冷蔵庫が閉まる。バタンという大きな音。虫も消える。虫はまるで、煙のように溶けて消える。

 黛さんがその場に崩れ落ちる、音がした。


 長身の黛さんをどうにか背負うようにして、廃墟を脱出した。黛さんは意識を失っていなかった。途中から自分で歩いてくれて、助かった。

 家の外は夜だった。夜の空気は澄んでいた。

 廃墟から結構離れたコンビニまでふたりで歩いて、イートインスペースに座り込んだ。とりあえず、比較的動ける私がスポドリを買ってくる。スマホを見たら、ユキさん、美晴くん、鳴海さん全員からメッセージが来ていた。申し訳ない。

「王城……」

 未だ青い顔をした黛さんが呼んだ。

「なんだ、アレ」

「ア、アレ? アレって、どれかな?」

 我ながら最悪の誤魔化し方だ。でも本当にどれなのか分かんないんだもん。冷蔵庫の腐った肉? たくさんの虫? ──それとも、

 黛さんが真顔で胸の前で手を合わせた。そうか〜。私か〜。

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