第18話 献血解禁
献血クラブとしての初陣であったビラ配りが終わり、その後思いもよらぬ形で海外メディアの取材まで受けた僕たちは、ひとまず一定の成果を得られたことを喜んだ。果たしてビラ配りをした効果があったかどうかは正直わからないが、献血クラブの名を世界に知れ渡らせただけでも大き過ぎる成果だろう。
そしてなんと言っても、校長先生の計らいで献血クラブは正式なクラブとして認められることになった。それにあたって、献血クラブには新たに『会長』と『副会長』というボジションを設けられた。『部長』ではなく『会長』としたのは、献血『クラブ』だからである。会長の座には献血クラブの発起人である上宮さんが就き、副会長には僕が就くことになった。当然といえば当然の流れだ。
さらに、献血クラブの顧問には養護教諭の野間先生が就いてくれることになった。野間先生は保健室に駐在しているとても背の低い(たぶん145センチくらい)愛嬌のある女の先生だ。あくまで形式的に顧問となっているだけなのでおそらくそれほど深く関わるわけではないと思うが、保健の専門家が顧問になってくれるというのは献血クラブにとってとても有難い事だった。
ちなみに部室と部費に関しては与えられるまでもう少し時間がかかるということだったが、とにもかくにも、献血クラブとしてはこれ以上ない滑り出しを決め込んだのだった。
——さて、ビラ配りから少し日が経った十月一日。
その日が一体何を意味しているのかは、献血クラブのムードメーカーかつお調子者である上宮さんの様子を見れば明らかだった。
「上宮朱音、本日をもって十六歳になりました!」
朝教室へ入ると、すでに僕の席のところで待機していた上宮さんが嬉しそうな顔で言ってきた。そのすぐ近くには、樹木さんと小澤さんもいる。
「おめでとう上宮さん。ていうかこういうのって普通、僕から先に声をかけて祝うもんじゃない?」
「我慢できなかったんだもん! だって十六歳だよ! 結婚できるんだよ!」
「上宮さん残念。ついこの前、女性の結婚年齢も男性と同じ十八歳に引き上げられました」
「え、えぇぇぇ! 知らなかったぁ……」
「そんな凹むことじゃないでしょ。そんなことはともかくとして、はいこれ。僕からの些細な誕生日プレゼント」
僕はバックからプレゼント用に包装された小袋を取り出し、それを上宮さんに差し出した。
「やったぁ! ありがとうこーくん! 開けてもいい?」
「どうぞどうぞ」
それから上宮さんはワクワクした様子で丁寧に小袋についたリボンの紐を解いていった。
「これは……ヘアアクセ……?」
「うん。上宮さんに似合うかなぁと思って」
「え、嬉しい……」
上宮さんは少し顔を赤くしてそう言った。そんな表情を見せられたはこっちまで恥ずかしくなってくる。ここだけの話、この誕生日プレゼントは姉さんに相談して選んだものだ。だってしょうがないだろ、女の子に何をプレゼントするべきなんてわからないんだから。
「女の子が身に着けるものをプレゼントするなんて……」
なぜか小澤さんは驚いたような顔で言ってきた。
「孝介くん、大胆……」
そして樹木さんも目を丸くしながら言ってきた。
どうやら割と攻めたプレゼントだったようだが、受け取った上宮さんが嬉しそうなのが何よりだった。
「みんな……本当にありがとう……!」
上宮さんは胸に手をあてながら礼を言い、僕から受けととったヘアアクセを丁寧に小袋へしまっていった。僕の机に置いてあるもう二つの小袋は、樹木さんと小澤さんからのプレゼントだろう。
「それにしても十六歳かぁ……。今でこそ結婚はできないけど、それでもやっぱりちょっと大人になった感じ」
上宮さんは感慨深そうに言った。……と、ここで僕は一つ重要なことを思い出す。
「そうだ……! 十六歳と言えば……!」
「十六歳と言えば……?」
「なんと! 献血ができるようになる年齢です!」
「お、おぉぉぉ!」
上宮さんは歓喜しているようだった。献血ができることを知ってここまで歓喜する高校生は少ないだろう。
「献血クラブのメンバーとして、これはもう、献血しないわけにはいかないね!」
「でもたしか、十六歳だと献血できる量に制限があるんじゃ……?」
樹木さんがそんな指摘をしてきた。さすがは医者と看護師の娘である。
「そうだね。十六歳だと200mL献血になる」
「200mLでも、それが誰かのためになるんだったら喜んで献血するよ!」
「それじゃああとは献血する場所だけど……。樹木さんの病院っていつでも献血できるの?」
僕が尋ねると、なぜか樹木さんは顔を俯かせた。
「……うちの病院でもいいけど、なんていうか……用途が普通の献血とは違うというか……」
「それって要するに、吸血鬼が飲むための血を献血するってこと!?」
上宮さんが興奮気味で尋ねると、樹木さんは小さく頷いた。
「マジかですか! それはそれでちょっと興味あるかも! だって私の血が吸血鬼の生きる源になるんでしょ! それってすごいことじゃん!」
「たしかにそれは興味深い。まったく怖くないと言ったら嘘になるが、好奇心の方が勝るな。自分もとっくに十六だし、朱音と一緒に献血するよ」
どうやら上宮さんも小澤さんも、自分の血が吸血鬼に飲まれることに対してさほど抵抗がないらしい。二人の反応には正直驚いた。……まあ、僕はすでに樹木さんに自分の血を飲まれているわけだけど。
「二人とも……本当にいいの……?」
樹木さんは再度尋ねた。
「もちろん! 真珠ちゃんの病院なら安心だしね!」
「ああ。それに、樹木さんのお母さんがどういう人なのか拝見してみたい」
「ありがとう……」
樹木さんは心の底から感謝しているようだった。
……と、ここでチャイムが鳴り響いた。教室にいる生徒たちは着席し始める。
例によって僕たちも足早に解散したわけだったが、着席した僕はふと思う。
……樹木さんの病院で行われている献血って違法じゃね?
しかし、吸血鬼が人間の血を必要としている事実を知った今、僕がどうこう口出しするわけにはいかない。吸血鬼が人間に直接的な危害を加えないで生きていくためには、献血という方法を取るしかないのだから。
※※※
数日後。
僕たち献血クラブ一行は、樹木さんのお父さんが営んでいる『樹木内科』にやって来ていた。
もちろんここへ来たのは、献血をしてもらうためである。今回は、最近十六歳の誕生日を迎え献血ができるようになった上宮さんはもとより、すでに十六歳の小澤さんと、前回の献血から適正間隔である四週間が経過した僕も献血を行うことになっている。
「初めまして! 真珠ちゃんのクラスメイトで友達の上宮朱音と言います! 先日は吸血鬼の衣装、本当にありがとうございました!」
「どうも初めまして。同じく樹木さんのクラスメイトで友達の小澤舞です。それにしてもお母さん……! 超がつくほどの美人さんですね!」
「まあまあ……そんなぁ……」
病院に入るとすぐにフロントのところで出迎えてくれた樹木さんのお母さん——フェリシアさんは、小澤さんに褒められると顔を赤くして露骨に照れていた。
「今日は私たちのために時間をくださり、ありがとうございます!」
上宮さんが礼を言うと、フェリシアさんは「いえいえそんなっ!」と言って首を振った。
今日は土曜日の午後で、本来なら樹木内科は休診しているはずなのだが、フェリシアさんとお父さんの計らいで僕たちのためだけに病院を開けてくれたのだ。だからもちろん、僕たち以外に来ている人はいない。
「こちらこそ感謝してもしきれないよ……! 今日は本当にありがとう。私たち吸血鬼のために力を貸してくれて」
フェリシアさんが言うと、それを聞いていた上宮さんと小澤さんの表情が一気に明るくなった。
「お母さんは本当に吸血鬼なんですね! そのことは聞いてましたけど、改めてなんか……感動してます」
「自分もです……! まさか生きている間に本物の吸血鬼に会えるなんて……!」
二人は揃って感激していた。
するとフェリシアさんはそんな二人を見て微笑み、それから樹木さんの方を見た。
「良いお友達を見つけたわね、真珠」
「うん……」
樹木さんは不意にそんなことを言われ、頬を赤らめながら答えていた。まことに微笑ましい光景である。
「それじゃあまずは三人とも、血圧を測りましょうか」
フェリシアさんに促され、僕たちは実際に献血をする行程へと移っていった。
それからの流れはとてもスムーズだった。
最初に血圧と体温を測定からヘモグロビン濃度検査経て別室へ移動し、三人揃って献血用のドナーチェアーにもたれ掛かる。これでもう、一通りの準備は完了だ。
そして採血を担当してくれたのは、この病院の院長である樹木さんのお父さんで、相変わらずスタイルの良いハンサムな人だった。樹木さんのお父さんは優しい口調で献血のことについて軽く説明をしてくれた後、慣れた手つきで僕たちの腕に針を刺し、機械を作動させた。
採血をしている間、腕の針が刺さっているところが妙に温かく、今まさに血をとられているんだということを実感させられる。僕も幼い頃から採血自体はしていたとはいえ、献血という形で大量に血を抜くのは今回が二回目なので、まだ慣れないところが少なからずあった。
フェリシアさんによれば、今回の献血で採った血液はもれなく吸血鬼によって飲まれるらしい。その吸血鬼というのはおそらく、フェリシアさんと樹木さんとストイアンであり、とりわけ樹木さんに関しては僕の血を飲むことになるのだろう。そうなることはなんとなく承知済みだったとはいえ、やはり現実味が湧かないというのが正直なところだった。
採血は順調に進み、量も200mLと少なかったので、ものの十五分ほどで終わった。
「みんなお疲れ様。これで無事、採血は終了だよ。協力してくれて本当にありがとう」
樹木さんのお父さんがそう言って深々と僕たちに頭を下げると、次にフェリシアさんと樹木さんもやって来て、一緒に頭を下げてきた。そこまでされると、さすがにちょっと気が引ける。僕たちはただ、献血をしただけに過ぎない。
「僕たちはいつでも協力しますよ。何も難しいことじゃないですから」
「自分の血が吸血鬼に飲まれるなんて、もはや本望です」
僕に続いて小澤さんが言うと、次に上宮さんが胸を張って言う。
「実は私たち、この前テレビの取材を受けたんです!」
言った途端、なぜかフェリシアさんの表情が固まった。たしかに驚くべきことだが、それにしては大袈裟過ぎるような気がした。
「……取材っていうのは、どこのかしら」
「えーっと、たしかVVCっていう海外のメディアです! いやぁ、まさか私たち献血クラブが海外メディアに取り上げられるなんて、夢にも思っていませんでしたよ!」
上宮さんはフェリシアさんが固まっていることなど気にする素振りもなく、興奮気味になっていた。僕以外でフェリシアさんのおかしな様子に気がついているのは、どうやら樹木さんとお父さんだけなようで、二人とも心配そうな顔で口をつぐんでいた。
「そ、そう……。それはたしかに……すごいわね。まさか海外メディアなんて……」
やはり僕が見る限り、そう言うフェリシアさんはどうしても完全に喜んでいるようには見えなかった。
とは言っても僕にその違和感の正体が何かわかるわけはなく、ただひたすらに漂う微妙な空気を感じ取っているしかなかった。
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