第59話「さっきなにか言おうとしてたよね? なんだったの?」

 ――ってそんなわけないからな!

 ありえないからな!


 いや、でもさ?

 優香の言葉や態度からは、明らかに俺への好意のようなものが感じられるのだ。


 いやいや。

 そういうのも全部、ナンパから助けてもらったことへのお礼に過ぎないから。

 美月ちゃんを助けてくれた俺に今まで感じていたものと、極めて同類の感情だから。


 助けてくれた相手にプラスの感情を抱くのは、そりゃあ当然だろ?


 そもそも女の子っていうのは、異性として興味のない男子に対しても割と普通に優しい言葉とか笑顔を向けたり、ハートマーク付きのラインを送ったり義理チョコをくれたりするもんなんだから。


 だから絶対に勘違いするなよ紺野蒼太。


 いやでも、ひょっとしたら全部俺の勝手な思い込みで、実は優香は俺のことを――いやいや――


 などと思考が脱出不可能なメビウスの輪無限ループに入ってしまい、なおかつ胸が激しく高鳴っていた俺は、二の句が継げずに黙り込んでしまう。


「……」

「……」


 黙ったままの俺を、優香も静かに見つめ返してくる。

 何とも言えないこそばゆい沈黙が俺と優香の間を支配した。


「…………」

「…………」


 そんな、妙にむずがゆい沈黙を打破してくれたのは、またしても純真無垢な天使こと美月ちゃんだった。


「あの! そろそろジュースを飲みませんか? 美月、のどが渇きました!」

 右手を上げて元気よく言った美月ちゃんのおかげで、


「お、おう。そうだな! ジュースを飲まないとな!」

「え、ええ。のどが乾いたもんね。ジュースを飲まないといけないわよね!」

「さすが美月ちゃん、偉いぞ!」

「はいどうぞ、美月のオレンジジュースよ。いっぱい運動したからしっかり水分補給しないとね」


 俺と優香は金縛りから解き放たれ、会話を再開することができたのだった。


「おねーちゃんありがとう。いただきます」

 美月ちゃんは可愛らしく両手で受け取ったオレンジジュースを、ごくごくと嬉しそうに飲んでいく。


「はい、蒼太くんもどうぞ」

「サンキュー」

 俺も手渡されたスポーツドリンクを口に含む。


 ドキドキして熱くなった心と身体に、冷たいスポドリが心地よく広がっていった。

 おかげで沸騰しそうだった俺の頭と心は、ひとまず冷静さを取り戻したのだった。


 ふぅ。

 今のは本当に危なかった。

 あのままの妙な空気が続けば、俺は間違いなく余計なことを言ってしまったに違いない。


『優香のことが好きだ』って。

『俺と付き合ってくれ』って。


 隠していた気持ちを伝えてしまったはずだ。


 だけど、やっぱり勘違いはしちゃいけないんだ。

『だってさっきの蒼太くん、その……すっごくカッコ良かったもん♪』って言葉だって、あくまでナンパから救ってくれたことがカッコよかったのであって、紺野蒼太という男子が異性としてカッコよくて好きという意味では決してないはずだから。


 そこだけは混同しちゃいけない。

 もし変なアクションを起こして優香と気まずくなってしまったら、これまでのように気軽に姫宮家には遊びに行くことはできなくなってしまう。


 そうなれば美月ちゃんが悲しんでしまうから。

 だから俺を慕ってくれる美月ちゃんの信頼を裏切らないためにも、俺と優香は今のままの関係でいないといけないんだ――


「ねえ蒼太くん」

「ん?」

「さっきなにか言おうとしてたよね? なんだったの?」

「え? いや、なんでもないんだ。優香が無事で良かったなって」


 優香の質問に、俺は当たり障りのない言葉を返して誤魔化す。


「……そうなんだ。うん、そうだよね」


 俺の答えを聞いて、優香が少し残念そうな顔をしたような――っていうのは間違いなく気のせいだな。

 なんでもかんでもすぐに「自分に好意があるのでは?」と結び付けて考えてしまうのは、俺のようなモブ一般男子の悪いところだ。


 少しネットを見るだけでも「イタイ勘違い君」の話題には事欠かないのだから。


 そうでなくても俺の目の前にいるのは学園のアイドル姫宮優香なんだぞ?

 そこは、俺の方がちゃんと線引きして自重しないとな。


 とまぁ、こうして。

 優香がナンパされた事件は事なきを得て。


 この後は3人で流れるプールに身を任せたり、ウォータースライダーなどのアトラクションを楽しんだりした。

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