第6話 黒猫は紫の花を贈る

「少し、外に出てみない?」

「……外に?」


 ミスティアの涙が途切れ、落ち着いた頃、キースは声を掛けた。


「あんまり擦らないで」


 溢れる涙をごしごしと擦るものだから、目元が真っ赤になっている。

 指先で涙を払い、そのまま手を取って庭へと続くガラスのドアまで移動する。


「この部屋は来客用で、客人に自慢の庭を見て欲しくて部屋から庭に出られるようにしてあるんだ」


 そう言ってキースは鍵を開けてドアを動かした。


 すると目の前に広がるのは小さな水路だ。足場となる石が置かれ、その先にはアイリスの花が咲いている。


「今、ちょうど見頃なんだ。綺麗でしょ?」


 キースに差し出された手を躊躇いもなく取り、ミスティアは小さな川を渡り、紫色の絨毯の側まで歩いた。


 大きく存在感のある紫色の花は美しい。


 一輪、一輪が艶やかな花弁を持ち、肉厚で瑞々しく、太陽の光でキラキラと輝いている。


「凄い……綺麗……」


 その美しい光景にミスティアは感嘆の声を漏らし、美しくも愛らしい花々を前に頬を緩めた。


 綺麗に手入れをされた庭からは庭師達の努力が垣間見れる。

 切り揃えられた芝、汚れのない水路、栄養の行き届いた花々は庭師の努力の賜物だ。


「ねぇ、ミスティア。この花の花言葉は何か知ってる?」


 植えてあるアイリスを指してキースは言う。


「知ってるけど、それが何?」


 言葉を返し終えてから、今の自分の態度は悪かったと思い、口を押えた。

 しかしそんなミスティアにキースは穏やかに微笑む。


「一本失敬するね」

「えっ」


 折角綺麗に咲いているアイリスの花をキースは躊躇いもなく手折り、ミスティアは驚いた。


 普段の振舞いからは考えられない彼の行動に戸惑いを覚える。


 キースの行動の意味を図りかねているとミスティアの手を取り、あろうことかアイリスの花を握らせた。


「は? 何?」


 どういうつもりなのだろうか。


 誰かが丹精込めて育てた花を手折って、欲しいとも言ってないのに自分に押し付ける気なのだろうか。


 植物は土に埋まっている時が一番元気なのだ。

 手折られた瞬間から枯れ始める。


 できればこのまま少しでも長く咲いていて欲しいと思うのに。


「ミスティア、僕にその花を贈って欲しいんだ。君の手で」

「は?」


 目を瞬かせるミスティアの前でキースは柔和な笑みを浮かべていた。


「花言葉って一つの花に対して複数あるんだね。この花もそう」

「そうね。アイリスは『よい便り』、『優しい心』、『希望』、それから……」



「「信頼」」


 二人の声が重なった。


 あまり知られていないと思っていたので、それをキースが知っていたことが意外だった。


「さっき、何で構うのかって僕に聞いたよね」


 さっきに限らず、何度も聞いているのに、キースは何も答えなかった。


「僕は君のことが知りたいんだと思う。正直、誰かに対してこんな風に思うのは初めてで、近づき方を間違えたのかもしれない。ごめんね」


 そんな風に素直に言われるとミスティアの方が戸惑ってしまい、何だか気恥ずかしくなる。


「特に辛いこととか、悲しいことは聞いておきたい。今日みたいに話してくれなきゃ君が何をしたいのか分からないし、僕がすべきことも分からない」


 エメラルドグリーンの瞳と視線がぶつかり、真剣な眼差しがミスティアの心を揺らす。

『話すまで付き纏うかもしれない』と何だか怖いことを口走るキースは冗談には見えず、別の意味で心がざわつく。


「ミスティア、僕は君を裏切らない。僕に話してくれた君の秘密は必ず墓場まで持って行く。だから……」


 キースは真剣な表情でミスティアを見つめて言った。


「君の信頼を僕に頂戴」


 何でそんなことを言うのだろうか。


「私……散々、君に酷いこと言って冷たくしてきたのに……」

 キースに何度も優しく声を掛けてもらったのに、ミスティアは自分勝手に感情のまま彼の言葉を跳ねのけた。


 今更になってそれが酷く罪深いことのように思えて涙が出た。


「君のこと、いっぱい傷つけたのにっ……」


 昨日だってそうだ。


 自分に向かって駆けて来たキースが何をしようとしていたか、何となく察しはついていた。


 新聞紙にくるまれたのはアイリスの花だった。

 制服の裾が少しだけ汚れていた。


 彼のことだから管理人に頼んだだけじゃなく、何か手伝いをした代わりに受け取ったのではないだろうか。


 それも、いつも彼を拒絶している自分のために。


 彼の優しさを振り払って突き放して、それなのにこんな風に甘えることなんて許されるのだろうか。


「正直、傷付いたよ。でもこれから君が僕を頼ってくれるようになると思えば、そんな傷、すぐに癒える」


 だから、ね? と、甘い視線をミスティアに送り、花を手渡すよう催促してくる。

 ミスティアは微かに震える手で握ったアイリスをキースに差し出す。


 アイリスの花を受け取ったキースは今まで見たことのない満面の笑みをミスティアに向けていたた。

 






「これは運命だと思うんだ」

「突然どうした」

「ユリウス様、突然じゃありません。いつものことです」


 運命だと口走るフランシスに上司であるユリウスは言う。

 そしていつものことだと一蹴するシュースタンの三人は仕事の合間のささやかなお茶の時間を楽しんでいた。


「うちの次男が女の子を連れて帰って来たんだが、なかなかの美人だ。かつて傾国も夢じゃないと囁かれたどこかの高貴なお方にそっくりの顔貌でね」


 フランシスの言葉にユリウスとシュースタンの手が止まる。


「まさか、そんなことはないだろうと思っていたんだが、私の知る高貴な方の仮面の下にある目と同じものがついてるから驚いてしまって」


 我が家はお祭り騒ぎだと言うフランシスに他の二人は言葉を失う。


 キースに最初から名前を聞いておけば良かったとフランシスは反省した。

 キースが想う相手なら誰でも構わないと思っていたので名前を聞きそびれてしまった。


 しかし、部屋の外で聞き耳を立てていると、彼女は学校でかなり辛い境遇のようだ。


 彼女の口から語られた内容は以前のアイシャンベルク学院の方針とはかなり違っている。長い歴史と伝統が歪みを生んだようだ。


 それに対しては学院に抗議が必要だろう。

 そうしなければ本当に反感を募らせ、反発し、学院だけでなく国を転覆させようとする生徒が現れる。


 子供達を守るための教育機関、強制編入制度だ。

 教師達が間違った捉え方や思想を抱いているようでは困る。


 そんな風に考えているとキースが少女を連れて庭に出た。


 二人が庭に出て、キースが手を取る彼女の姿を見た瞬間、絶句した。



 フランシスは優雅な手つきでカップを手に取り、紅茶を口にする。


 息子が連れて来た少女は目の前にいる主の少年時代にそっくりだったのだから。


「ユリウス様、シュースタン、少し出て来るよ」


 立ち上がって上着を羽織るとシュースタンが目を吊り上げる。


「おい、どこに行く気だ⁉」

「アイシャンベルク学院さ。息子と息子の嫁になるかもしれない女性が通っているからね。日頃のお礼を言っておかねば」


 それは今必要なのか、純粋にお礼に行くのかと言えば両方とも否であることはシュースタンは雰囲気で察する。


「今のあそこはどうにも子供達への配慮が足りないらしい。歴史の長さだけが取り柄の頭でっかちは時代の流れに乗ることを知らないから嫌だね」


「フランシス」


 部屋を出ようとするフランシスを引き止めたのはユリウスだ。


「子供達の境遇を詳しく調べてこい」

「勿論です」


 そう言ってフランシスは二人を残して部屋を出る。

 離れていてもやはり主は子供が心配らしい。

 しっかりと親心を持っているようで安心した。


「それにしても本当に驚いた」


 息子が連れて来た少女、ミスティアは幼き頃、キースの命を救ってくれた恩人だ。

 ろくなお礼も出来ずに別れてしまい、気掛かりではあったが保護者からの要望でそれ以上息子と合わせることが出来なかった。


「ようやく、息子の恩人にお礼が出来る」


 そう思い、フランシスは意気揚々と学院に向かった。




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