8小節目

「フェスバリ頭から指揮で通すよー。最初だけテンポ出すね」


 顧問の可愛かわい先生がそう言うと、ハーモニーディレクターが規則正しくビートを刻み始めた。


「本番中は何が起こってもおかしくない。ステージには魔物が住んでいるからね。それだけは忘れないように」


 フェスティバル・バリエーション、通称フェスバリ。これが今年の俺たちのコンクールの自由曲だ。先生曰く今年は金管の年らしく、金管の派手なファンファーレが多い、まあ要するに金管が目立つのでこの曲を選んだらしい。だからって別にこれじゃなくても……正直しんどい曲だ。でも楽しいし、吹き切った時の爽快感がたまらない。


「うん、大分形にはなってきたね。じゃあ、最初のホルン、一人ずつ聞こうか。前よりはできるようになってるはずだよね」


 出た。抜き打ちチェック。


1stファーストの蒼からいこうか」

「はい」


 一音目からしっかり、はっきり、遠くへ届けるように。最初の一音でコンクールの結果が決まってしまうという覚悟で。息を吸った。


「うん、さすがだね。力強くて、下がったDデーもしっかり音程が取れてる。上のE♭エスも伸びがいいね。ただ、ちょっと力が入って音が雑になることがあるからそこだけ気を付けて」

「はい」

「次」

「はい」


 二年の後輩が吹き始めた。Dデーが大分汚い音になってしまった。


「分かってると思うけど、下の音ね。頂点はいいよ。次、なずな」

「はい」


 しっかり音程の取れた豊かな音がホール内に響き渡った。


「うん、そういう吹き方もいいけどもうちょっと力強い方がいいかも。今回は蒼に合わせて」

「はい」


 その後残り二人の後輩も無事に抜き打ちチェックを終え、全体的な手直しの後に待ち構えていたのは中盤のホルンソロだった。


「はい、じゃあ、これからホルンソロを決めます。ホルンちゃん、準備はいい?」


 可愛先生の言葉に俺は背筋が伸びた。


「はい」

「じゃあ、他の人は客席に座って顔を伏せようか。ホルンはステージに乗って、一人ずつ聞こう」


 俺たちは立ち上がり、ステージに上がった。この日のためにどれだけ練習したことか。それは白崎も同じはず。


 一通り吹き終え、余韻に浸るようなしばらくの静寂の後、先生が口を開いた。


「うん、じゃあ何番目に吹いた人がいいか手挙げて。一番目がいい人?」


 ゼロ。


「二番目」


 二人。次が俺だ。


「三番目」


 ……十人くらいか?


「四番目」


 一人。


「五番目」


 バッ、と一斉に手が挙がる。……白崎の圧勝だ。最初から分かっていた。白崎には敵わないんだ。


「うん。あたしもこの人が良いと思う。みんな、顔上げていいよ」


 全員の視線が俺たちに集まる。


「今回のソロは白崎なずなに決まりました。でも他の四人も練習しておいてね、万が一のために」


 万が一。そんな日は果たして来るのだろうか。俺は爪が食い込むくらい拳を固く握りしめた。




 合奏が終わり、俺は足早に帰ろうとする可愛先生を急いで引き留めた。


「先生」

「ん? どうした、蒼」

「何が……駄目だったのでしょうか……俺のソロ」


 可愛先生は目をしばたたかせた。


「いや、駄目っていう事は無いよ。蒼も良く吹けてて、上手かった。でも、なずなの方が上手かった。それだけ。そうだね……例えばもし道を歩いてる時にあの音が聞こえてきたら思わず振り返って見ちゃう感じがあったんだよね。オーラがあるって言うか。何て言えばいいかな……」


 ああ、そういうこと。俺にはオーラが無いってことか。まあ、もう大分前から分かっていたことだ。


「……なるほど。分かりました、ありがとうございます」


 俺は軽くお辞儀をして踵を返した。最後のコンクールでソロを吹くのは俺の目標、いや、夢だった。頬を伝って顎から雫が落ちた。蒸し暑い夜だった。

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