ヴェストファーレン

夕食の用意ができたと言われ、世話係兼護衛のメイドのベティを伴って会食場所に向かった。


「そういえばアレンとアドニスは?


帰ってきてから見てないな」


普段護衛に付いてくれる二人の人間の姿を見ていない。


気になったのでベティに尋ねると、彼女はすました顔で答えた。


「彼らはルイ様の所に居ます。


ヴェストファーレン様とオークランド人を会わせるのは危険ですから」


「ああ、敵国同士だっけ?」


アレンもアドニスとオークランド王国の出身だが悪い奴らじゃない。


ちょっとばかり目的が違っただけで、一時的に対立したものの今では良い友人の関係にある。


魔導師のアレンは気さくで面倒見の良い人だ。


同じ魔導師としてアンバーと議論している姿を度々見かける。


アンバーも彼を気に入っているようだ。


アドニスは元だが若くして騎士団長にまでなった人で、ちょっとお堅いが礼儀正しいし、オークランド王国式の礼儀や剣術などを教えてくれている。


アドニスはまだこの国に慣れないようだ。


二人とも任務に失敗して国に帰れない身の上なので、一応表向きには僕の従者ということになっている。


「まあ、ルイが預かってくれてるなら大丈夫だろうね」


ルイはアンバーの養子で第七王子として軍隊を預かる人物だ。


見た目は狼男だが、獰猛というわけでもなく、なんなら温厚な分類だと言える。


見た目はいかにも厳ついが、面倒見のいい奴だ。


アドニスとは初めは仲違いしていたが、わりとすんなり受け入れてくれた。


アドニスがルイの部下と試合して勝ったらしい。


ルイには負けたが、大健闘だったから戦士として認めてくれそうだ。


彼なら何かあってもアドニスを仲間として匿ってくれるはずだ。


僕もうっかり口を滑らさないように気をつけよう…


会食場所は二人にしては大きすぎるテーブルに、金と銀の燭台が灯りを灯していた。


ロウソクの光が磨かれた銀の食器に眩しく反射している。


真っ白なテーブルクロスの上には料理と酒が用意されていて、いかにもお城の晩餐と言った風情だ。


ああ、食べる前から胃が痛くなってきた…


「やあ、勇者殿」


部屋に入ってきた僕の姿を見て、ヴェストファーレンはわざわざ席を立って迎えてくれた。


「お客様なのにお待たせして申し訳ありません」


僕が謝罪すると彼は人懐っこく笑った。


「いやいや、私が早すぎたんだ。


これといって特にすることもないからね。


気にしないでくれ給え」


「ありがとうございます。


ところで僕は貴方のことを何とお呼びしたらよろしいでしょうか?


ヴェストファーレン殿?」


「君は錬金術師の王レクス・アルケミスト陛下の配下では無いだろう?


友人として、私の事はワルターと呼んでくれ」


「じゃあ、僕の事も勇者じゃなくてミツルで」


「承知した、ミツル」


嬉しそうに頷いてワルターがそう答えた。


「アーケイイックの料理は凝ったものではないが、素朴で美味い。


酒もフィーア王国の物とは随分違うが、癖になる変わった風味だ。


そして何より酌してくれるのが美しい女性というのが最大の魅力だな」


給仕をしてくれるエルフ達を言っているのだろう。


金髪とサファイアブルーの瞳の美女を五人もどこから連れてきたのやら…


多分アンバーが彼の好みに合わせて選んだんだろうな…


席に着くと、酒の瓶を持った一人が給仕のためにワルターの傍らに立った。


陶器のグラスに赤い果実酒が注がれる。


「ありがとうお嬢さん。


君のような可憐な女性に酌してもらえるなんて心躍るよ。


まるで金鳳花キンポウゲの妖精だ」


「は、はい、ありがとうございます」


「おや、声もとても愛らしい。


小鳥も嫉妬するだろうね。


あとは笑顔があれば最高だ」


そんなこと言われたことないんだろうな…


顔を真っ赤にしてるウブな女の子をからかって、ワルターはタチの悪いイケメンだ。


歯の浮くようなセリフが自然に出るんだからかなり慣れている…


確かにアンバーの言うことは間違っていない。


「乾杯しよう」


ワルターが何事も無かったように杯を掲げたので、僕もそれに習った。


あんな歯の浮くような恥ずかしいセリフを言っていたのに、澄まし顔で乾杯するワルターが可笑しい。


「僕より彼女らと乾杯したそうだ」


「失礼、つい彼女の美しさを褒めずにいられなかったんだ。


女性は美しさを褒めれば褒めるだけさらに美しくなる。


是非覚えておきたまえ」


「僕には実践出来そうにないや」


「私はいたずらに女性を褒めているのではないよ。


私はいつだって本気だ。


女性は神が創りたもうた最高傑作なのだから、それを賛美するのは神を讃えることに等しいと思うがね」


相変わらず穏やかな微笑を口元に浮かべたまま、ワルターは無茶苦茶な哲学を語っている。


ロウソクの灯りに照らされた彼は、男の僕がみてもセクシーだ。


大人の色気が半端ない。


所作の一つ一つが計算されたかのように完璧で、僕に劣等感を抱かせる。


彼に対して自分が貧相なガキに感じる。


戦う前から相手に謎の敗北感を与える人物だ。


食事を取りながら談笑してたが、不意にワルターが僕の年齢を尋ねた。


「ところで、ミツルはいくつなんだ?」


「もうすぐ二十歳です」


「…驚いたな…


いや、すまない…


人間で言うと十四、五くらいかと思っていた」


確かに背も高くないし、日本人だから童顔だけど、それにしても下に見積もりすぎだろ…


「ワルターは何歳なんですか?」


「私か?


正確に数えてないが、多分二百はいっていないな。


私がヴェルフェル侯爵の傭兵になったのが百年前くらいで、今の侯爵の曽祖父にあたる人物だ」


「傭兵?」


「あの時はまだ荒れてたなぁ…


あれから考えれば私も随分丸くなったものだ」


「苦労されたんですね」


「ハーフエルフだからね」と言って彼は寂しそうな笑顔を見せた。


「つまらないことを言うが、私の独り言と思ってくれ。


君たちを祝福したのは嘘じゃない。しかし、よく考えて欲しい。


ハーフエルフは不幸な生い立ちの者が多い。


子供と愛する人を思うなら、君はペトラ王女とは結ばれるべきじゃない」


さっきまで笑っていた目が真剣になっている。


「恋は自由だが、未来を誓い合うにはあまりに無責任だ。


ハーフエルフは両親のどちらかの記憶が無い。


私は母の記憶がほぼない。


母は人間だったからね…


私の中の母の記憶は年老いた老婆の姿だった」


「そう…ですか…」


なんとも悲惨な話だ。


でも、エルフの彼女と僕は既に二百年程の隔たりがあるという。


ありえない話ではないと思う。


「私は人間から産まれたが、エルフの特徴が強かった。


髪と目は母譲りだが、それ以外は父から受け継いだものだ。


私は運良く長く生きられたが、無事に産まれる子供は少ない。


母体にかかる負担も大きい。


興の冷めるような事を言って悪いが、年寄りの忠告として受け取って欲しい」


「覚えておきます」


僕の返事にワルターの表情が緩んだ。


「君は本当にいい子だ。


勇者だから大切にされてるわけでも無さそうだ。


実に興味深い」


「そうですか?」


「そうだとも。


アーケイイックは人間や勇者に辛酸を舐めさせられてきたからね。


彼らがこんなにも君に執着するのは普通じゃない。


君自身がとても魅力的な人間なんだろう。


この世界に新しい風が吹くかもしれないな」


「買い被りすぎですよ」と僕は笑った。


「僕は凡人だから、世話が焼けて放っておけないだけですよ」


「そうかな?


それも人の心を奪う才能かもしれないよ」


ははっと面白そうに笑ってワルターは杯を干した。


「人を支配するカリスマ性だけが他人の心を掴むんじゃない。


赤子のような非力さも、優柔不断な頼りなさも、自らもかえりみない優しさも、どれをとってもその人物の魅力になりうる。


君にはそれがあるのだろう。


まだ短い付き合いだが、君からは嫌な感じはしない」


「それは良かったです」


「君さえ良ければ君を連れて帰りたいくらいだよ」


ワルターの言葉に、後ろに控えてたベティの動く気配がした。


「冗談でしょう?」


場を和ませるために僕が笑ってそう言うと、ワルターも笑った。


「私は意外と本気だよ。


ああ、お嬢さん、そんな怖い顔をしないでくれよ。


勝手に連れ帰ったりしないさ」


彼女は僕のすぐ隣まで来てワルターを睨んでいる。


このままだと何をするか分からない。


「ベティ、やめるんだ。


下がって」


「でも…ミツル様の事を…」


「酔いが回ってきただけだよ。


お酒のせいだから気にしないで。


ちょっとふざけただけだよ」


「それでも看過できません」


「ダメだ、下がるんだ。


君がアンバーから叱られたら僕が困る」


アンバーの名前まで出してやっとベティが折れてくれた。


ベティは一礼して下がったが納得はしてないだろう。


後で僕が叱られそう…


威嚇されていた当の本人は嬉しそうに笑っている。


「良い護衛だ。


なかなか心地いい殺気だったよ」


「女の子の心を乱すのは良くない癖ですよ」


「いや、失礼した。


君の言う通り飲み過ぎたかもしれないな」


そう言いながら笑う彼はあまり反省してないようだ。


「ベティを煽って席を外させようと思ってました?


もしそうなっても僕はワルターの欲しがっている返事はしませんよ」


僕の言葉にワルターは少し驚いたように目を開いた。


図星だったのかな?


彼の目がいたずらっぽく光った。


「ほう…ただの世話されるだけの子犬では無さそうだ。


どうだい?二人だけで話さないか?」


「やめておくよ。


ワルターと駆け落ちする訳にはいかないからね」


僕が皮肉を込めてそう言うと彼は「残念」と笑った。


「まぁ、しばらく君に片思いしておくよ。


つれなくされると逆に燃えるね」


諦めの悪い人だ。


「私は錬金術師の王レクス・アルケミスト陛下との賭けに負けたようだ。


今回は引き下がるさ」


「何回来ても同じですよ」


「それはしてみないと分からないな…


おっと、彼女の熱い視線が怖いから今日はこのくらいにしておくよ。


勇者は口説くのも命懸けだ」


ワルターがそう言って席を立った。


僕も席を立ってドアまで送った。


「おやすみ、また明日」


ワルターは大きな体で僕をハグし、宿舎に帰っていった。


「ミツル様、大丈夫ですか?」


ベティがすぐに駆け寄ってくる。


僕が女の子だったらメロメロだったかもしれないな。


「ハグしただけだ。


別に何もされてないよ」


「魔法かけられていませんか?」


「魔法とかその手の類のものならナギが払ってくれるから大丈夫だよ。


なんともないから安心して」


僕は腰に差した剣を撫でた。


魔法を殺す刃を持った剣は静かに鞘に収まっている。


もう一本の嵐も静かなものだ。


「凪も嵐も反応しなかった。


この子達が敵じゃないって言ってるからワルターは敵じゃない」


「もう…見ててハラハラしてたんですからね」


「ついて行っちゃうと思った?」


僕が笑って尋ねるとベティは口を噤んで頷いた。


分かりやすくて可愛いな。


彼女の頭を撫でて「大丈夫だよ」と告げる。


「こんな衣食住世話してくれて、なんにも不自由しない暮らし手放したりしないよ。


友達もいるし、彼女だっているしね。


まだしばらくご厄介になるよ」


✩.*˚


「振られたって言うのに、随分ご機嫌じゃないですか?」


従者としてこの国に入った私の弟子から指摘された。


「そう見えるか?


それはさておき、勇者は思っていたよりずっと面白い人間だよ。


可愛い観賞用の子犬かと思っていたが、仮にも勇者を名乗るだけある。


実はとんでもなく化けるかもしれない。


あぁ、手元に置いておきたい…」


有能な人材を育てるのは楽しいものだ。


今まで多くの弟子を指導してきたが、英雄は育てても勇者までは育てられなかった。


私の子供に加えたい…


師匠せんせいはどうされたのですか?」


もう一人の供が水差しを持って来て私にグラスを渡した。


「また子供が欲しいんだってさ」


「ああ、あの病気ですか…」


「そう、私たちでは満足出来ないと」


「連れ帰ります?


私のグレンデルで攫って来ましょうか?」


そう言った彼の影がぐにゃりと揺れる。


獣の頭が影から覗いた。


「やめてくれ、私は人攫いではないぞ」


「そう、ただの子供好き。


今回はそんなことをするために来たわけじゃないからまたの機会にしよう。


ウィル、その物騒な獣はしまっておけ」


そう言って彼は仮面を外した。


「仮面って嫌だね。


視界は悪いし、喋りにくい。


呼吸だってしにくい。


最初は面白がっていたがどうにも不便だ」


「我儘言うな、ヘルリヒト。


お前がどうしてもと言うから用意した仮面だぞ。


外したらダメだろう?」


彼は肩を竦めてまた仮面を戻した。


青灰色の瞳は相変わらず少年のような光を宿している。


「何か有益な情報はありましたか?」


「残念ながらほぼ無い。


強いて言うなら、ペトラ王女が勇者と婚約したという事くらいかな」


「…うそ…」


二人ともショックだったようだ。


絶世の美女を楽しみにしてたもんな…


「残念ながら事実だろうな。


ペトラ王女も勇者にご執心のようだ。


本人の意思なしで連れ出すのはほぼ不可能だ」


「せっかく最強の駒を出したのに失敗とは…」


「失敗と言うには早くないですか?」


「ウィルの言う通りだ。


子供を手に入れるのに乱暴なことをしたくない。


じっくり時間をかけても良いだろう?」


「子供じゃない。


勇者を手に入れたいんだ」


ヘルリヒトが我儘を言う。


長い付き合いだ。


私は彼の我儘には慣れている。


ヘルリヒトは仮面の下から私に檄を飛ばした。


「ヴェストファーレン、あなたは天才だ。


私のために確実に勇者を手に入れろ。


これはヴェルフェル侯爵としての命令だ」


「最善を尽くします、侯爵閣下」


彼の前に跪き最敬礼を捧げる。


子を成せぬ私が唯一子供を得る方法が弟子を育てることだった。


百年も侯爵家に仕えた私は多くの子供を育てた。


歪んだ関係だが、私はそれで満足だった。


私が生きた証を残せるならそれでいい。


勇者の父となるのはさぞかし名誉なことに思えた。

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