昔話2 -楽しみましょう

 学者や研究者は言います。


 昔話の中には、自然がごく近くにある日本の、農村部での暮らしぶりが隠されている。

 昔の子供たちはそれを聞いて自然との付き合い方、農作業の学びも得る。

 だからこそ、土地言葉で、一言一句間違わず、語り口もそのまま、伝統を記録するのだ、と。


 確かに、昔話を正確に伝えることやその意味を深く研究すること、それには学術的な意味あります。


 しかし、ガチガチにそれに固まってしまっては、どうでしょうか?

 子供達には今や意味不明、言葉さえも通じない。それで子供たちが楽しめますか? 子供たちのためにあるものなのに、子供たちが話を聞いてもくれないなんて。


 記録することと、伝えることは違うのです。


 記録するから後世へ伝わるわけではありません。

 口伝えの物語は、やはり口伝えでなければ。

 記憶に残るからこそ、それは連綿と伝わるのです。

 そのためにはやはり、楽しめないと。


 面白いからこそ、語り継がれる。


 子供たちに読み聞かせるなら、大人もその世界を楽しみ、現代語で分かりやすくでいいんです。それでなければ語りもうまくいかない、子供たちの記憶にも残らない。

 シンデレラや人魚姫は知っていても、桃太郎も浦島太郎も知らない、それは悲しいじゃないですか。


 シンデレラや人魚姫だって、ディズニーに改変されたことで現代でも親しまれるものに生まれ変わっています。それでいいんです。昔のままが伝統ではありません。根幹は残しつつも時代とともに変わっていく、変わってもなお受け継がれていくものこそが伝統なのですから。

 現代人が昔話を楽しめなくなった背景には、今と昔は違うからと世知辛い擦れた考え方があるからだけでなく、「記録」と「物語」をごっちゃにしてしまったからともいえるのです。


 学術的なことは学者に任せておけばいい。

 それはそれ、これはこれ。


 昔話の面白さは、奇想天外なファンタジーであるがゆえに尽きません。

 それを純粋に楽しめないでどうするんですか。

 そこにある日本の原風景こそ、伝える価値のあるものでしょう。


 前項で「めでたしめでたし」と締めれば終わりといいましたが、その締めがないお話も存在します。


 豪雪地帯は昔、冬の季節は雪に閉じ込められ、家から一歩も外に出られない。


 交流もほぼなく、家族だけで一冬過ごす。


 子供の慰みといえば昔話だけ。


 寝付けない子供はいつまでもお話をせがむ。


 そういったときに、


「川を上っていくと橋があったとさ。

 それを渡ってさらに上っていくと橋がまたあったんだと。

 それを渡ってさらに上っていくとまた橋が……」


 と、延々繰り返す、いわば羊が一匹、羊が二匹。


 寝かしつけのためだけのお話さえ、昔話の一つと数えられます。

 自由なんです。昔話は果てしなく。


 昔話の魅力は何といっても自由奔放さ、ツッコミなんて野暮の骨頂。

 昔の人が昔話にワクワクするのは、異世界ファンタジーに心をときめかす現代人となんら変わりありません。

 昔話の一つひとつに意味を求めるよりも、まずは楽しむ。

 それが昔話を失ってしまわない最も大事なことだと、私は考えています。

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