HEARシナリオ部 夜乃森きなりシナリオ集
夜乃森きなり
今日はとても暑い日(2022年8月)
暑い日だ。今日はとても。死にそうなほどに。
あまりにもくらくらして、構内のあらゆるものが賛辞の言葉をかける中、私は、彼女へ何と声をかけたか覚えていない。そうそうたる面々や、かぎつけた野次馬がわいわい騒いでいても、自分にはもう何も聞こえてこない。一心に渦中からの逃走を図った。
ヘレン・B・ワーナー。そうそうたる研究者が受賞者として名を連ねる学術的権威の一員として、今年から彼女も加わることとなった。ここを登竜門にしてノーベル賞に値する研究実績を残すものもいる。彼女のなした思考と研鑽はそれだけの輝きを放つ恒星であると、ついに、社会的に認められたのだ。なのに、どうして、僕はふらふらと街中を歩いているんだろうか。
蝉もなきやむ熱気に焼かれながら、花屋の軒先に並んでいたひまわりたちを、つい、買ってしまった。
だって、もう、見たくないだろ?
返事も聞かず、花器も持ってないのに。衝動で黄色い人々をさらってしまう。前後不覚で歩く街は、雑踏が行き交い、街頭テレビでは涼しげな顔をした気象予報士が空虚に予言を告げていた――長かった雨が上がり、しばらくは一日晴れる日が多そうです。じりじりとした厳しい暑さが続くでしょう――
所詮太陽とは構成成分から違う。水素を核融合させながら、一億四千九百六十キロメートル離れた第三惑星にはもちろん、あまねく太陽系に連なる星々へ恒久的に光エネルギーと熱エネルギーを与えている。それはただ、太陽という存在が己の能力を発揮しているだけで、それに目を背けてしまうのは負い目を自分に感じているからだ。僕は、僕らはああなることはできない。ああなりたいと精一杯に背伸びをしてやっとの思いでつけた蕾は、精いっぱい、輝きたい一心で太陽を追いかける。どうにかこうにか花弁をほころばせた時、それでも尚、隔絶的な優劣差を見せつけられて、僕らは太陽を追いかけるのをやめてしまう。
我に返るのだ。
なろうとあがいた力が強いほど、長いほど。陰に隠れ顔を背けるのは自明だろう。
道順も虚ろにして家路についた。締め切った部屋は蒸し風呂のようで、散らかった部屋がさらに過ごしにくくなっている。徹夜して読み込んだ参考文献、赤字が喧しい校正用紙。半分はまだ残っているカフェイン錠剤の空箱。袋小路の理論を乱雑に机から払いのけ、黄色い人々、そして僕を机へのせて、嘯くように囁くのだ。
君たちは、空を見ていたほうが良かったかい?
こうして連れてきてしまったのは、僕が悪いかい?
僕なんかじゃなくて、あの子に渡してしまったほうが、君たちにもふさわしい場所だったかい?
いまさらそんなことを聞かれたところで、ひまわりたちは迷惑でしかないだろうに。
問うことだけは、やめられない。
暑い日だ。
とても。
今日は。
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