第55話 お兄ちゃん、日課に精を出す
「98……99……100……ふぅ」
規定の回数の素振りを終えた僕は、息を吐きながら、木剣を下ろした。
そんな僕に、アニエスがタオルを差し出してくれる。
「お疲れ様です。セレーネ様」
「いえ、アニエスこそ、付き合ってくれて、感謝しています」
時間は早朝。
場所は寮から少し湖方面へと進んだ場所にある芝の広場だ。
学園での生活にも慣れてきた僕は、実家でやっていた日課をいよいよ再開していた。
それは剣の修練である。
フィンのついでで教えてもらい始めた剣術だったが、元々、剣に興味があったこともあり、今でも継続して基礎訓練だけは続けている。
魔術の方は、一定のレベルに達してからは、あまり進歩が見られなくなった僕だが、剣術の方は、少しずつ腕が上がってきているのを感じている。
たぶん……というか、フィンよりは確実に強いと思う。数か月前に一度手合わせをした時も、僕が圧勝した。
もっとも、フィンには女性の僕に対する遠慮があったのかもしれないけど。
とにもかくにも、こうやって剣術の修練を再開したのは、これも破滅エンドを回避するために必要になることだからだ。
妹の話では、およそあとひと月後、ついに聖女試験が開始される。
聖女試験とはその名の通り、次代の聖女を決めるために教会から課せられる試験であり、強制的に僕はそれを受けさせられることになる。
対立候補はもちろんルーナだ。
5つの対決を経て、僕らのどちらかが聖女になるかが決まる、そういう試験。
平穏なエンディングを目指すためには、ただわざと負け続けるだけではいけない。
ルーナと良い勝負をしつつも、ギリギリのところで負けなければいけないのだ。
言い換えれば、試験のうち2つは勝利しなければならないということ。
その2つのうちの1つに、僕は"力"を考えていた。
基礎訓練が大半とはいえ、2年近く修練してきただけあって、僕の剣術の腕前はそれなりのレベルにはあると思う。
もちろん本職のアニエスや紅の国の王子であるレオンハルトと比べれば、カスみたいなものだろうが、一般人レベルで言えば、かなり優秀だと言えるだろう。
だからこそ、第1試験である"力"の試験だけは、確実に取っておきたかった。
「ふぅ、魔力による身体能力の強化が私にもできれば良いんですけれど」
「セレーネ様の魔力は白ですから、残念ですが、それは無理な話です」
そうだよなぁ。
身体能力の強化が行えるのは、紅の魔力のみだ。
僕の白の魔力は、基本的にはいわゆる回復魔法であり、戦闘で使えるものではない。
ま、レオンハルトも魔力無しで剣戦で入賞したりしているのだから、僕も地道に鍛えるほかないか。
そんな風に、レオンハルトについて思いを巡らせているその時だった。
「セレーネ?」
「あっ、レオンハルト様」
件のレオンハルトが目の前にいた。
それだけなら良かった。
彼は上半身裸だった。
首筋からは滴り落ちる汗が、陽光に照らされてキラキラと煌いている。
制汗剤のCMのようだなぁ、おい。
「なんだ、剣術の修練か?」
「ええ、そろそろ学園にも慣れてきたので、再開しようかと。レオンハルト様も訓練ですか?」
「ああ、学園にいる間も、少しでも鍛えておきたいからな」
気を利かせたアニエスにタオルを渡されたレオンハルトは、滴る汗をぬぐい、そのままタオルを首からかけた。
「すまんな、アニエス」
「いえ」
「セレーネ。アニエスは良い先生だろう?」
「ええ、剣術はもちろん、いつも本当にお世話になっていますわ」
「そんな、セレーネ様」
「やはりアニエスに傍付きをお願いしたのは、正しかったようだな。これからも頼む」
「勿体ないお言葉です」
畏まるアニエス。
アニエスは、元々紅の国の騎士団所属で、僕の護衛をやってくれているのも、レオンハルトの指示によるものだ。
雇い主にこんな風に言われたら、アニエスもきっと嬉しいことだろう。
「それにしても、レオンハルト様はやはりストイックですね」
「これくらいは当然だ。お前が示してくれた"偉大なる王の道"、それを進むためにはな」
少しだけ微笑みながらも、右の拳を持ち上げてグッと握る。
すると、ボコッと音を立てそうなほどに、二の腕の筋肉が隆起した。
パッと見細いと思っていたが、力を入れた時のパンプアップ具合が半端じゃない。
もうこれ乙女ゲームのキャラじゃないな……格ゲーのイケメン枠っぽいわ。
それにしても目立つのは、手首につけられた金属製の腕輪だ。
「これ、もしかして、重りですか?」
「ああ、持ってみるか?」
「はい、是非!」
王子がそそくさと右手の腕輪を外す。
いわゆるパワーアンクルというやつだろう。
前世でも、通販番組なんかで見た覚えがある。
少年漫画のキャラなんかもつけていたり、男の子なら一度は憧れる逸品だ。
「最初から力を入れて置いた方がいいぞ」
「はい、わかりました」
そう言いながら、私の両手で構えたその上に、パワーアンクルを置くレオンハルト。
その瞬間……。
「ひぎぃっ!?」
重っ!?
えっ、なにこれ!?
見た目と重さが全然合ってないんだけども!!
タングステンだって、こんなに重くないぞ!!
僕がびっくりするのがわかっていたように、レオンハルトはすぐにパッと僕の手のひらからアンクルを持ち上げた。
その動作は本当にナチュラルで、まるで重さなどないかのようだ。
「こ、これ……」
「特注品でな。こんな見た目だが、特殊な魔術がかかっているので、重さは相当ある」
いや、相当って簡単に言ったけど、たぶん10キロ……いや、20キロ近くはあるぞ。
これが両手両足についているし、腰に巻いているのもおそらくそうだろう。
総重量は、ひょっとして100キロ近くになるのでは……。
「お前の言う通り、鍛えればどうにかなるものだな。今では、多少の身体能力強化程度では、負けない体力が身についた」
「は、はぁ、さすがです……」
あのくっそ重いアンクルを指でクルクル回しながらそう言う爽やかイケメンの姿に、そもそも筋トレするように提案した僕の額にも、さすがに冷や汗が流れてきた。
ストイックにもほどがある。いや、まさか、たった2年でここまで脳筋に育つとは……。
この世界、成長速度までファンタジーなのかな。
もう、格ゲー超えて、ドラゴン〇ールやん。
「来年の剣戦は必ず優勝する。期待していてくれ」
「は、はい、もちろんですわ!」
むしろこの圧倒的な筋力。期待しかないです。
その後は、なんだかんだとトレーニング談議に花を咲かせ、爽やかな早朝の時間は過ぎていくのだった。
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