最終章 100段階段での契り

 俺は地元に戻るなり、ハローワークに通い続けた。


 しかし、20歳の若造に良い仕事などあるはずもなかった。


 アルバイト、パート、コンビニ、居酒屋店員…、そんなのばかりであった。


 俺は一つの思案があった。


 負け犬様のお告げ


『約束して姿を消せ!』


 それが俺の仕事を選ぶ基準となっていた。


 何か資格を得られるような仕事


 給料なんかどうでも良い。


 汚れ仕事でも構わない。


 体に身につける、何処でも通ずるスキル


 そんな仕事がないか探していた。


 そう!


 浩子と2人で誰にも邪魔されない処に行っても暮らせるような仕事


 それを欲していたのだ。


 浩子には取り敢えず電話をしておいた。


 予備校を辞めた事、大学には進まない事、今は実家に戻り仕事を探している事、それだけを告げた。


 浩子は驚きもしなかった。


「うん、うん」と相槌を打ち、淡々と俺の話を聞いていた。


 最後に浩子はこう言った。


「待ってるから…」と


 浩子は俺の決意を承知していたのだ。


 毎日通うハローワーク


 事務員の人が見かねて、こう言う。


「小野さん、お若いから、より選びしなかったら、何でもありますよ。


 この会社の事務職もお薦めです。」と


 俺は地元で働く気は毛頭なかったので、丁重に断った。


 なかなか見つからない。


 でも、いつもと違い、俺の心は弱音を吐かなかった。


 焦りもなかった。


 何故か、見つかるような予感がしていたのだ。


 そんなある夜、負け犬様が現れた。


【『仕事探しも楽じゃないだろう』


「あぁ、大変だ。なかなか、思ったものが見つからないよ。」


『見つかるさ。』


「簡単に言うなよ。」


『見つかる。大介、お前は若い。


 若いうちの決断だ。


 勇気がいる事だ。


 それを実践している。


 必ず見つかる。』


「だと良いが…」


『俺はなぁ、そう気づいた時はもう遅かったよ。


 50歳半ばで気づいたが、体力も気力もなく、ましてや、求める側も年寄りはご遠慮さ。


 結局、好きな事をすることなく、惨めに生きていた。


 仕方なく生きていた。』


「なんだよ、愚痴を言いにきたのか?」


『一つヒントを授けに来たのだ。』


「ヒント?俺の仕事か?」


『そうだ。聞きたいか?』


「聞きたい!」


『俺がお前と同じ歳の時、今から思えば一つのチャンスがあったんだ。


 俺が一生、やり甲斐を覚える仕事の誘いがあったんだよ。


 しかし、俺は長男、自由が効かなかった。


 そう育てられていたんだ。


 よって、そのサインを簡単に見逃してしまったんだ。』


「どんなサインだい?」


『海の見える店で酒を飲め!


 すれば、全て上手く行く。』


「なんだよ、それ?」】


 負け犬様は訳の分からない台詞を残し、去って行った。


「海の見える店で酒を飲め?


 どうせ暇だ、行ってみるか。」


 俺はそう思い、自宅から自転車に乗り、漁港近くを散策して回った。


 漁港の卸市場の前に古汚い居酒屋があった。


 俺はそこに通い始めた。


 20歳のプー太郎、金もない。


 母親に無心し、就職活動をネタに小遣いを貰っていた。


 それも高校生並みの金額だ。


 俺は店に入り、一番安い焼酎と鰯の刺身を頼む。


 店主は年寄り夫婦だ。


 初日、2時間ぐらいそこで油を打ったが何も変化は訪れなかった。


 2日目も俺は焼酎と鰯の刺身を頼む。


 何も起こらない。


 でも、俺は負け犬様を信じて、その店に通い続けた。


 通い始めて2週間程経ったある日、俺はハローワークの帰りに立ち寄り、いつもどおり、焼酎と鰯の刺身を頼んだ。


 店内には2、3人の客が何も言わずに酒だけを飲んでいた。


 今日は海が時化ている。


 おそらく漁師が飲んでいるんだろうと思っていた。


 店主の老婆さんが鰯と焼酎を持って来た。


 流石に俺は常連客となっていた。


 老婆さんが声を掛ける。


「にいちゃん、ほんと飽きないねぇ。


 毎日、鰯だけ頼むから、よっぽど鰯が好きなんやな…


ほんと感心するわい!」と笑い飛ばした。


 するとカウンターで飲んでいた、白髪の男がむくりと顔を上げて、俺の方を振り向き、


「にいちゃん、若いのに毎日、酒飲んで、良い身分やのぉ~」と鎌をかけてきた。


 俺は酔っ払いを相手にせず、黙々と焼酎を飲んだ。


 するとその男が立ち上がり、俺が座るテーブルに来て、真前に腰掛けた。


 そして、こう言った。


「おい!若いの!労働せんとあかんぞ!」と


「仕事探してますよ。」と俺は一言返した。


 男は急に思案顔となり、腕組みをし、そして、咥えた爪楊枝を外し、真顔でこう言った。


「にいちゃん、わしと船に乗らんか?」


(これだ!これが負け犬様のお告げか!


 船か!


 海か!


 漁師か!)


 俺は瞬時に応えた。


「お願いします。」と


 その男は港で有名な船主であった。


 大きな遠洋漁業用の船で奄美沖でカツオとビンチョウマグロの漁を行っていた。


 期間は2年


 1年間は遠洋漁業船に乗り込み、修行がてらの仕事を行う。


 2年目は近海で底網漁船で漁師として仕事を行う。


 短期間ではあったが、その男の決め台詞が俺の心を惹きつけた。


「2年、わしと一緒に船に乗れば、船の免許が貰えるんじゃ!」


 これが俺が求めていた資格と一致したのだ。


 俺は出港間際、浩子に逢いに行った。


 浩子は青白い顔をしていたが、嬉しそうに俺に付き合ってくれた。


 浩子の家の近くの墓地の100段階段に行き、木々の木陰の階段に腰掛けた。


 俺は浩子に漁師として船に乗ることに決めたと告げた。


 浩子は直ぐにこう問うた。


「何年、居ないの?」と


「2年だ。」


「分かった…」


 浩子の表情は少し寂しげになった。


 俺はここで、浩子に『約束』を契った。


「2年だ。待っていてくれ。そして、2年後、結婚しよう!」と


 浩子は驚いた。


 そして、下を向いた。


 俺はそしてこう言い加えた。


「お前はこの2年で身体を治すんだ。」と


 浩子は更に驚いた顔で俺を見遣り、


「大介君、知ってたの?」と泣きそうな声で囁いた。


「分かっているさ。お前のことは…、逢えば全てが分かったんだ。」と俺は呟いた。


 浩子は涙を拭きながら、一生懸命にこう言った。


「必ず戻って来てね。


 私待ってるから。


 元気になって待ってるから。


 必ず迎えに来てね。」と


 俺は、浩子の頬を伝わり落ちる涙を指で拭い、優しく口付けをした。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る