第3話 油断した一目惚れ

 7月の終わり、台風5号の影響もあり、空には湿気を帯びた雨雲が低空に散らばっていた。


 其れ等雲たちは、強風に尻を叩かれながらも、腰は重く、牛歩の如く北に進んでいる。


 今日は土曜日、野球部の朝練もなく、僕は家でごろごろ暇を弄んでいた。


 時折、考えるのは…


 負け犬様と中川の事だが…


 負け犬様には申し訳ないが、圧倒的に中川の事に想いを巡らしていた。


 中川の存在に気付いたのは、ほんの2ヶ月前…


 それなのに、今は四六時中、中川の顔、仕草が頭から離れない。


 中川の事を思い浮かべると胸が張り裂けそうに苦しくなる。


 僕の中学校は県庁所在地のど真ん中にある。


 2つの小学校の生徒が通っていて、街中でもあり、生徒数は知れている。


 だから、1年間共にすると、学年生徒の殆どの顔と名前は察しがつく。


 僕は油断していた。


 いや…、油断というか、驚いたというか…、途轍もない衝撃を真面に受けてしまった。


 中川の存在に気付いた瞬間に…


 それは中学2年の5月の初め、新学年になって初めての席替えが行われた。


 僕のクラスは、当初、男女隣同士、苗字のあいうえお順に席が並んでいた。


 1クラス40人程、大抵の奴は顔馴染みだ。


 学年が変わり、クラスメンバーも変わったが、その変化に全く違和感はなかったのだ。


 まさか紛れが居るなど…


 加えて、学年変わりで途中でもなく、転校生の紹介などなかった。


 そんな中、席替えが行われた。


 僕の席の後ろには、同じ小学校で野球部の健人が居座った。


 僕は休み時間、いつも、後ろを向いて健人と話していた。


 初めの頃は全く気付かなかった。


 しかし…


 日が経つにつれ、振り向いて健人と話していると、誰かに見られているような気がし出した。


 そう、皆んな顔馴染みだ…気にする必要なんてない!


 でも、何かが違う…


 僕の把握している視線と何かが違う…


 そう思いながらも特に気を止める事はなかった。


 ある日


 休み時間、僕は後ろを振り向き、健人とふざけて話していた。


 確か、昨日の歌番組のことなどたわいも無い会話をしていたと思う。


 その時


 会話、会話の中に健人と違う笑い声が聞こえてくる。


 それも女子の笑い声


 僕はその声の方向、健人の斜め後ろを何気に覗いて見た。


 すると


 大きな黒い瞳の猫のような女子が両手に顎を乗せて、僕を見てクスクスと笑っていた。


 一瞬だった…


 身体中に電気が走った…


 固まった僕の表情を不思議に思った健人が振り向き、


「中川、お前も昨日のテレビ見たのかよ!」と気軽に声を掛けた。


「中川…」


「何びっくりしてんだよ大介!


 中川だよ、中川浩子!


 転校生さ!」


「転校生…」


「知らなかったのかよ!そっか、4月は大介、席が前の方だったからな。」


「うん…」


「この子は中川浩子、隣町から4月に転校して来たんだ。


 中川、これが大介!


 野球部のピッチャー、俺とは小学校からバッテリーを組んでいるんだ。」


 そう紹介された中川は何も言わず、顔を赤くして、微笑みながら下を向いた。


 僕も一言も声を掛けなかった。


 いや、声が出なかった。


 一目惚れだった…


 次の日から僕は何かにつけて後ろを振り向くようになった。


 健人とふざけ話をして、中川を笑わそうと懸命になって行った…


 でも、どうしても直接、話しかけることができない…


 何故だか分からないが…


 気軽に中川に話しかける健人が憎たらしく思えて来た…


 修学旅行でも同じだった。


 中川とはバスの中でも何度も目が合うが、直接、話せなかった。


 そんな思いが募る中、僕は身体も大人になって行った。


 あの日の事はある意味、ショックだった。


 それは、6月の雨の日であった。


 放課後、部活は中止となり、僕は珍しく1人で下校支度をしていた。


 下駄箱で靴を履き替え、渡り廊下を渡り、雨除けに、体育館の縁を校門に向かって歩いていた。


 体育館の中ではバレー部、バスケ部、卓球部が練習をしていた。


 僕は体育館の軒下の窓から何気に中を覗いて見た。


 目の前では女子の卓球部が練習をしていた。


 その中に体操服姿の中川が居た。


 緑の体操服から白く細く長い脚が露出していた。


 僕は呆然と見つめ続けていた。


 生徒の掛け声など全く聴こえない。


 ただ、キュッ、キュッと体育館シューズか床に擦れる音のみが聴こえていた。


 暫く、僕は中川の姿に見惚れていたと思う。


 我に返った僕は、何か罪悪感を感じ、逃げるように家に向かった。


 家に着き、一目散に部屋に閉じこもった。


 そして、ベットに仰向けに寝て、目を瞑り、さっき見た体育館の画像を振り返った。


 中川の白く長い脚が脳裏を占領した。


 その瞬間、胸が痛くなった。


 そして、股間に電気が走った。


 そして、電気が走り去った後も股間がドクドクと音を立てるかのようにざわめいている。


 僕は慌てて股間に掌を被せた。


 熱くなっている。


 そして、脈を打っている。


 僕は怖くなった。


 恐る恐るズボンを脱ぎ、下着を降ろした。


 汚れていた。


 白く汚れていた。


 その夜、母に話した。


 病気になったと。


 母は笑いながらこう言った。


「大ちゃん、これは病気じゃないのよ。


 男の人が大人になった証なのよ。


 大丈夫よ。」と


 安心して部屋に戻ると、にいちゃんがニヤニヤしながら、保健の教科書を持って、やって来た。


 そして、僕の頭を撫でながら、「射精」という生理現象を教えてくれた。


 そう!


 僕は中川を想い射精したのだ。


 その時から、僕は中川と結婚することに決めた。


 今日も中川の体操服姿が脳裏から離れない…


 長い長い夏休みだ。


 中川に逢えない。


 負け犬様は何をしている!


 あれから全然現れない…


『俺の言う通りにすれば、必ず上手く行く』


 早く教えてくれよ!


 でも…


 負け犬様は駄目な時にしか現れない…


 そうか…


 今は上手く行ってるということなのか…


 僕はそう思い直し、中川の全ての画像を動悸に揺れる不安定な胸の中のキャンバスに写そうとするのであった。


 

 


 


 

 


 


 

 


 

 

 


 


 

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