浦島太郎の帰還

来冬 邦子

1 太郎の失踪

 むかしむかし、青い岬のたもとに白い砂浜がありました。白波の打ちよせる砂浜を登ってゆくと、松林のかげに数軒の家が寄り添っていました。


 或る日のこと。この浜辺の村に若い母親が小さな男の子の手を引いてやってきました。春先のことで、親子の足元には黄色い都草の一群れが風に揺れていました。

 親子はそのまま村に住みつきました。男の子は太郎といい、いつも母親の傍から離れず、村の子どもと遊びませんでした。そして大きくなると、一人で入り江に舟を浮かべて魚を釣って暮らしを立てるようになりました。



 * * *



 その朝も太郎が舟を出そうとしていると、子どもたちの歓声が千鳥の群れを舞い上がらせました。浜辺にそれは大きな亀がいました。甲羅の模様がたいそう美しく、眼差しはおきなのようでした。

 三人の子どもが大きな亀の行く手をはばんでいました。石をぶつけられ棒でつつかれ、そうでなくともおかでは動きの鈍い亀は大儀そうに目を閉じるばかりです。


「これ、可哀想ではないか」


 叱った声の主が太郎だと知って、子どもたちはびっくりしました。無口な太郎の声を聞いたのは、生まれてはじめてだったのです。


 太郎は腕組みをして重々しく言いました。


「亀を苛めてはならぬ」


 こどもたちは顔を見合わせました。体の大きい丸い目をした男の子が勘八カンパチで、小柄で釣り目の男の子が三吾サンゴ、頬の赤い元気な女の子がおヒョウでした。


「苛めてんじゃないよ。この亀は捕まえて喰うんだよ」


 三吾が真面目に言い返しますと、太郎の足元で亀が観念したようにため息をつきました。貧しい村のことです。人も生きていかねばなりません。

 眉を寄せた太郎は、ふところから錦の袋を取り出しました。


「これをつかわすゆえ、見逃してやれ」


 袋を開けると、黄金色の小さな仏様が出てきました。

 ものごころつく前から持たされている仏様は太郎のたったひとつの宝物でした。


 三吾は太郎を見上げて怪訝けげんそうに尋ねました。


「太郎さんだって漁師じゃないか。どうして、亀なんかを助けたいの?」


 そのとき。太郎と子どもたちの目の前に、波頭が高々と立ち上がりました。

 みんなの頭上から崩れおちた白波は、亀も人も悲鳴も、みな海中にさらったのでした。

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