第9話 篁、再び冥界へ行く。


 二度目の冥界渡りは気を失うこともなく、昨日と同じ三途の川の土手どてに着地した。

 茜色の空は変わらず黄昏時たそがれどきで、若くて健康なたかむらでも、ここが数多あまたある魂の終焉しゅうえんの地なのだと感じずにはいられなかった。


 とはいえ、今は急ぎの用がある。篁は大股で土手を駆け上り、宮城への道を走った。

 昨日はものすごい長さだった死者の列は、驚いたことに短くなっている。


「おーい、エンマ・ラジャ。聞きたいことがあるんだ!」


 広間に入って呼びかけるなり、「何たる無礼!」「人の子め、ラジャ様に気安く呼びかけるな!」と、小鬼がわらわらと駆けよって来て篁を追い出そうとする。

 その小鬼たちを長い手足であしらいながら、篁はずかずかと広間の奥へ向かった。


「通してやれ。その者は私の客だ」


 鋭い声に顔を上げれば、高座の椅子からエンマが立ち上がるのが見えた。

 銀糸のような長い髪。白っぽい衣の上から黒絹の長羽織をまとった姿は、華奢な女性に見えなくもないが、その眼光の鋭さは紛れもなく王のものだ。


「助かった!」


 篁はきざはしを駆け上り、エンマの執務机の脇に立った。


「そなたのお陰で、あれから裁きがサクサク進むようになってな。この通り、死者の列もだいぶ短くなった。感謝している」


「あー。あんたの裁きは丁寧過ぎたもんな。遠回しに色々聞いてるんだもん。あれじゃ時間がかかって仕方がないよ」


 篁が正直な感想を述べると、エンマは不快そうに眉をひそめたが、怒りはしなかった。


「で、何用で来た?」

「そうだった! 実はさ、壱子みたいな魔魅まみの被害者がたくさんいたんだ。あれから書類のない魂は来なかったか?」


 篁は机の上に両手をついて身を乗り出した。


「いいや。来てはいない」

「ってことは、魂は狩られたままってことか」


 わずかな希望をきっぱりと否定されてしまい、篁は腕組みをして考え込んだ。


「実はさ……突然倒れて目覚めないのは、怨霊の祟りなんじゃないかって噂があるんだ。……なぁエンマ・ラジャ。例えばだけど、十年前にこの冥府で裁きを受けた者の記録って、見ることは出来るかな?」


「出来ないことはない。その十年前に死んだという者の名は?」


「藤原仲成と、妹の藤原薬子だ。正確には九年前の十一月前後だったと思う」


 エンマがくいっと顎をしゃくると、小鬼が分厚い書類束を担いでトトトトとやって来た。

 それを受け取りエンマがぱらぱらとめくる。


「あったぞ。ああ、この兄妹のことは覚えている。特にこの兄がふてぶてしい者であった。二人とも【地獄界】へ送ったのだ。この者らが実際に手を下した訳ではないが、多くの人を死に追いやった罪は重い」


「今も? 間違いなく地獄に居るのか?」


「間違いない。そなたの予想を裏切って悪いが、地獄に居る者に人界を祟ることは出来ぬ。そなたの言う祟りが本当だとするなら、別の者の仕業ということになるな」


「仲成と薬子じゃ……ないのか」


 篁は呆然とした。

 彼らの祟りだと言われても対処に困るが、手掛かりが一つも無いのは余計に困る。


「いったい誰なんだ? 魔魅を使って、官吏たちの魂を集めてるのは。……ええぃくそぉっ!」


 篁はイライラと高座の床を踏み鳴らした。

 生身の大男が立てる物音と振動に、繊細な冥府の広間は大いに揺さぶられる。


「篁、そなた、うるさいぞ! この冥府を壊す気か?」


 半眼のエンマに冷たい視線を向けられ、篁は足踏みをやめた。その代わり質問をする。


「なぁ、魔魅は本当に人の魂は喰わないんだよな? なら、集めた魂をどうするつもりなんだろう? 冥府の王なら、魔物の考えそうなことがわかるだろ?」


「は? そのような些末事まで把握してはおらぬわ。そもそも人界を彷徨う魂の先は、怨霊となるか、自我を失って思念の塊となるかの、どちらかに決まっておる。

 それより、魔魅のことなら改めて魔犬一族に命じたぞ。今頃は一族を上げて魔魅を追っているだろう。少しでも進展があればそなたにも知らせる。シロタを行かせるから、それまで人界で待つが良い」


「え、ああ」


 冥府の王にそう言われてしまっては、篁も引き下がるしかなかった。


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